第十話 選択と信用

境内に張りつめた空気の中で、颯人は息を呑んだ。 リコの御幣は光を帯び、神様は不敵に笑っている。 どちらも譲る気はない。


——でも。 颯人は拳を強く握りしめて叫んだ。

「俺は……神様を信じる!」


その言葉に、リコの笑顔がわずかに凍った。


「……颯人くん」


「確かにコイツはずうずうしいし、俺の部屋勝手に使うし、プリンばっか要求するし……でも、怪異から守ってくれたんだ!あの灰色の手も、影も、俺一人じゃどうにもできなかった!信じられるのは、こいつしかいない!」


神様は目を丸くして、それからふっと微笑んだ。

「……ありがと、颯人」


その瞬間、境内の影がうごめき出した。 黒い靄のような怪異が集まり、神様の背後から大量に這い出てくる



境内の空気が裂けるような音を立てた。


張りつめていた静寂は破られ、黒い靄が次々と地面を這い出し、やがて腕や顔の形を模した怪異の群れへと変わっていく。無数の目がぎらつき、湿った声で嘲笑を上げた。


「来るな!」


リコが御幣を振り抜く。白布に宿る光が弧を描き、最前列の怪異を薙ぎ払った。煙のように消えるそれら。しかし倒しても倒しても、後ろから湧き出す影は止まらない。


「っ……やっぱり、颯人くん。あの神様が呼び寄せてるんだよ!」

リコの声は鋭いが、微かに震えていた。


神様は石段の上に立ち、挑発するように微笑んでいる。


「君たちのような人間が“祓う”って言葉で片づけてきたものの、恨みや渇き……それがこうして形をとる。人間が身を守るために怪異を殺すなら怪異もまた人間に危害を与えても問題はないと思うけどね?」


神様がそう言うとリコの背後から大量の手が出てき、リコの足を掴む


「...やっぱり怪異にまともな思考があるわけ無いか。」


リコは舌に含んでいた札を大量の手に落とすと、一気に祓い終わる


そのまま一歩踏み出し、御幣を槍のように突き出す。その瞬間、神様の背後に渦巻いていた怪異の影が膨れあがり、辺り一帯を吹き飛ばす爆発を行う。


「リコッ!」

颯人は思わず叫ぶ。


「痛った〜やっぱ一筋縄ではいかないよね。神様なんだし」


彼女は足をひねり、御幣の光を盾のように広げる。すると触手が次々と打ち込まれ、火花のように光が散る。境内全体が震え、狛犬の石像がひび割れるほどの衝撃。


だが神様は一歩も動かず、ただ颯人の方を見やって微笑んだ。


「颯人、あなたはまだ信じる? この娘はあなたを救うんじゃない。あなたから“私”を引きはがすために近づいてきたんだよ?」


颯人の胸が痛んだ。確かにその通りだ。リコは最初から“敵”として来た。けれど、それでも。


「俺は……俺は神様を信じる! だけど……リコも信じたい!」


自分でも矛盾しているとわかっていた。だがその言葉に、リコの動きが一瞬だけ止まった。


「……ほんと、颯人くんは甘いね」

リコの目が決意に燃える。


「でも、それが颯人くんらしいのかも」


彼女は御幣を高く掲げ、呪詞を唱える。光が天を貫き、怪異どもが耳を塞ぐように身をよじる。


だが神様は微動だにせず、むしろ楽しげに笑っていた。


「やれやれね、神道派の名家の娘がその程度なんて」


次の瞬間、神様の影が爆ぜた。黒い靄が矢のように飛び交い、リコの体を掠めていく。袖が裂け、血がにじむ。リコは顔を歪めながらも踏ん張り、御幣を振るった。


「光明照覧――祓え給え!」


閃光が境内を満たし、神様の周りにいた怪異の大群が一気に塵と化す。


だが、その奥に潜んでいたさらに巨大な影が現れた。人の顔の形をした、異様に歪んだ怪異。境内の屋根を覆うほどの大きさで、濁った声を轟かせた。


颯人は思わず後ずさる。

「な、なんだよあれ……」


「人々が恐れを忘れた“古きもの”……」


リコは少し冷や汗をかきながら冷静に答える。


「……神様の力に引き寄せられて、ここに出てきたみたい。」


その巨影が咆哮し、地面を叩いた。石畳が砕け、颯人は地面に投げ出される。頭がくらくらとし、視界が揺れる。


「颯人ッ!」

リコが駆け寄ろうとするが、触手の一撃がリコの右手を吹き飛ばす。


「来るな! お前までやられる!」


颯人は叫ぶが、リコは首を振る。


「颯人くんを置いて行けるわけない!」


リコが術を使って必死に光を放ちながら戦うのを、颯人は見つめた。血が滲み、息が荒い。だが彼女の瞳には、確かな覚悟が宿っている。


神様は静かにその光景を見下ろし、ふっと呟いた。


「めんどくさいことになったなぁ……颯人だけ取り返して逃げよっと。」


巨大な影がさらに迫り、リコを押し潰そうとする。

颯人の心臓が爆発しそうに高鳴った。


――このままじゃリコが……!


立ち上がろうとするが、足は震え、体は言うことをきかない。だがそのとき、耳元で囁く声がした。


「颯人、私を信じるって言ったよね」


神様の声だった。


「だったら、力を貸してあげる。あなたが望むなら――一緒にあの影を祓おっか?」


颯人の視界が揺れ、胸の奥から熱がこみ上げてくる。心臓に火が灯るような感覚。


「……俺に、できるのか?」


「そろそろ信じてもいいんじゃない?私も、自分も」


颯人は歯を食いしばり、立ち上がった。

その背に青白い光が広がり、まるで神様の影が重なるように纏う。


リコが振り向き、驚きに目を見開いた。


「颯人くん……?」


「....せっかく仲良くなった友達をなくすわけにはいかねえからな」


颯人はそう言うと“祈り”を神様に行う。


巨大な怪異が吠え、触手を振り下ろす。すると“祈り”によって強化された神様が笑いながら怪異に触れる。


その瞬間巨大な怪異の体が膨らんだかと思うと爆発する。


轟音と共に闇が裂け、怪異は悲鳴をあげて霧散していく。


残ったのは、荒れ果てた境内と、立ち尽くす三人だけだった。


リコは息を切らし、御幣を握りしめたまま膝をつく。

「……信じられない……神様が……」


神様は口の端を上げ、颯人の肩に軽く触れた。


「いいタイミング!さすが私の颯人だね」


颯人は荒い呼吸を整えながら、リコを見つめる。


「リコ……俺はまだ、お前のことも信じたい。敵とか味方とか、そんなのじゃなくて……」


リコの瞳が揺れた。迷い、痛み、そして――わずかな安堵が浮かぶ。


だがそのとき、境内の奥から再び冷たい風が吹き抜けた。

まだ戦いは、終わっていなかった。

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怪異と神様の同居生活 ラクザン @saekiwa8693

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