第2話 帰郷
何年ぶりになるのだろう。
村に帰ってきたのは、少なくとも村を出た十年以来だった。久しぶりに降り立った駅は、記憶よりもずっと小さく、くすんで見えた。
商店街の並びは、ほとんどが閉め切られた店ばかりで、看板の文字も褪せていた。
駄菓子屋のおばあちゃんはもういないだろうし、向かいの本屋も跡形もなかった。
それでも冷えきった空気に混じる雪の匂いは、確かに子供のころと同じで、胸の奥をざわつかせた。
僕が一番気にしていたのは、村のはずれにある椿の木のことだった。
あの木はまだあるのか。
もし残っているなら、あの場所に立てば――あれが夢でも幻でもなく、確かに自分の中で生き続けているものだと信じられる気がした。
荷物を実家に置くやいなや、僕は足を向けた。
雪道を歩くと、きゅっ、きゅっと靴底が沈む音がやけに大きく響いた。
山道の入り口は、昔と変わらず寂しい。
人の気配はなく、風の音と雪が木々を叩く音だけが耳に届く。
そして――見えた。
あの椿の木。
濃い緑の葉を広げ、雪をしんしんと受け止めている。
枝には赤い花がぽつぽつと咲き、白い世界の中に点々と血のように浮かんでいた。
僕は思わず息を呑んだ。
子供のころ、彼女と一緒に見上げたのと、まったく同じ景色だった。
時間が止まっているみたいに。
「……残ってるんだ」
声に出すと、胸の奥が震えた。
木の根元に目をやる。
当然、誰もいない。
ただ雪が積もり、冷たい風が通り抜けるだけ。
それでも、確かにそこに座っていた少女の姿が脳裏に焼きついて離れない。
僕は長いあいだ、その場から動けなかった。
手袋の中で指先がじんと痺れるまで立ち尽くし、ようやく重い足を引きずって家に戻った。
夜。
母が「いらないから片付けて」と言っていた段ボールを何気なく開けた。
古い新聞や村の広報誌が山のように詰め込まれている。
黄ばんだ紙を一枚ずつめくっていくと、どれも色褪せた昔の出来事ばかりだった。
だが――ページの途中で、僕の指が止まった。
五十年前の日付。
見出しには「少女行方不明 捜索むなしく」とあった。
白黒写真の少女の顔が、そこに載っていた。
荒い粒子の奥に浮かび上がるその目元も、口元も、笑ったときの頬のふくらみも
―間違いようがなかった。
あの子だった。
僕が、冬ごとに椿の下で会った、あの女の子。
五十年前に消えたはずの子供と、僕は確かに遊んでいたのだ。
心臓がどくん、と大きく跳ね、手に持った新聞がかすかに震えた。
紙の匂いと古いインクの匂いが、妙に生々しく鼻を刺す。
どうして。
どうして僕だけが会えたのか。
なぜ冬にだけ現れたのか。
答えはひとつも分からなかった。
ただ、背筋を這い上がる寒気だけが、はっきりとした現実だった。
(第三話へつづく)
椿の下で 猫柳 星 @NEKO_YANAGI_SEI
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