無魔むま黒絹の名前、『黒絹』は『しらぎぬ』と読む。有魔ありま赫赫りんごと同じく難読な当て字の所以は彼等の苗字にある。


 まだ力を持たない赫赫と求久もとひさが4歳で親に連れられ初めて表門をくぐった先、迎えとして顔を出した黒絹はその新入り達とは僅か3つの差であったが、その場に居た誰よりも毅然きぜんとして立派な大人に見えていた。

 春の手前、早めの暖かさがまだ黒であった頭髪を柔く撫でる。広間にちゃぶ台を置いてもらい拙い線で自分の名前を練習していた傍、そこに座った兄弟子も鉛筆をするすると走らせ嬉しそうに笑った。

「俺たち色同士だよ。ほら、赤と、黒。」

 有魔と無魔、これらの能力者血族は能力を持つことを祈願し人としての曖昧さを求め、性別に反する衣装や不明瞭な名を与えることを好んだ。未だにその古臭い伝統を守る家系に生まれたのが黒絹や赫赫であった。

「赫赫は自分の名前好き?」


 庭の草花は季節を跨げないまま色を変えていく。


 黒絹が能力を得て仕事であまり顔を出さなくなった後も求久はずっとついて回っていたようだ。弟弟子達は皆 目の色を違えた。当然と言うべきか赫赫にも有魔としての役割を与えられると、兄弟子は仕事の先輩に、その付き人となった従兄弟は同僚と、立場が変わった。しかし時々顔を合わせた際にはあの頃と同じ凛とした佇まい。妖麗な黒の長髪は近づき難さを感じたが、異常な色彩に変わったこちらの髪や目を見てまた嬉しそうに彼は言う。

「見て、赤と黒だ。」


 そんな姿とは全く重ならない、酷い部屋だった。

 遺品を運び込んだ時に増設したらしい棚が幾つも置かれた仄暗い室内、納骨堂さながらに並んだ大きな瓶が異様に白く浮かぶ。中には、紙?格子柄の布か?近付き目を凝らせば、それは全て蛇の抜け殻だった。首の後ろを細く冷たい舌で舐められたような感覚。隙間もなく押し込められた瓶が一体いくつあるのか数えられずにいるその側を、鼻歌を歌うように抜けていく求久は指先で順々にガラス越しの蛇を撫でていった。

 さっき求久がご機嫌に吸い込んだ匂い、それを感じて思わず口元を手で覆いうずくまる。

「何か見つけた?」

「……いや」

「蛇苦手だったっけ?」

 こいつは今、人の心配ができるほど暇じゃないらしい。例の資料を探してるというより、光を遮り床を這う烏蛇カラスヘビを追って部屋中を遊び回っている。掴めない影を鎖の巻きつく手で捕まえてはこちらに笑いかけた。

 仕方ない。

 気を紛らす事にもなる筈だと、棚に押し込められている本やファイルを引っ張り中を確認する。文字の上を紙魚しみが逃げ惑い、また次のファイル、紙をめくり埃を払う。それを重ねる程に募る感傷と違和感。仕事のマニュアルがこれ程の量になる訳がない。中身を改めればその大半は無意味な思い出の品、それにも満たない廃品だった。


 例えば、あの時2人で並べた赤と黒の文字。


 押しつぶされた茶色の花が膝の上に崩れ落ちていく。焦げたような影が残る薄肌の紙切れに、自分達の存在を示す名前が2つ、黒絹の字だった。ちゃぶ台の木目に引っ掛かりながら細く伸びていく黒々とした鉛の筆跡は、あの頃には分からなかった拙さがあった。

 無魔として与えられた不安定な二文字を辿って黒絹が縋った先に、果たして自分の姿もあったのだろうか。


「赫赫、見て」


 聞き馴染んだ声と共に聞こえるばさばさという音。

 見ればあの瓶をひっくり返し頭の上に掲げている。開け放たれた蓋から飛び出していく風化した抜け殻は、空気に触れただけで溢れ舞い散った。

 今更手を伸ばしてもその鱗は一枚も掴めず、笑うように瞬いては指の隙間を縫い落ちる。

 赫赫は暗い畳に沈んだ何かを見つめた。

「ねぇほら、見つけた」

 重々しく頭を持ち上げたその先、求久の手の中には丸められた封筒があった。


 広縁に座って眺める景色も程々に、新調したナイフを仕舞い込み飛び石に降りてブーツの留め具を締める。

「またいつでもおいで。」

「うん。」

 つま先を打ってスニーカーを履いた求久が運を見上げて頷いた。あの後で他の瓶も逆さにして見つけたものは全部、ズボンに挟んで服の中に隠し持っている。

 ふと運が弟子の肩に腕を伸ばしたので、目の前の水色はびくりと跳ねて一歩後ずさった。構わず師はただ埃を払う。

「また掃除をしないと。綺麗にしていたつもりだったのですけれど。」

「うん……。」

 わかりやすく強張った返事をした従兄弟に、つい小さく溜息を吐いてしまった。対して朱い後毛を指で掬いながらそっと微笑む家主に、庭園の草花が揺れ柔らかい風が吹き込む。

「黒絹のこと、よろしくお願いしますね。」

 その言葉を受け取った浅葱の目が何を訴えていたのか横目では分からなかったが、そのまま「分かった」とまた頷いて今度はこちらに目をやった。

 それに応えられるような度胸が自分にあれば……今黒絹もこの場にいたのかもしれないと責めるような風、赫赫にとっては余りにも冷た過ぎた。消えかけた炎を庇うように顔を伏せて裏門への道を戻る。

「またね」

 背後で無邪気ながらも芯のある声。ガラス戸が閉まる音が見上げた夜闇を思い出させ、頭を撫でるような晩夏の柔風が身を振り向かせた。

 従兄弟は立ち止まってまた同じように目を見る。

「また呼べよ。何かあったら。」

 彼は嬉しそうに笑って頷いた。

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抜殻を拾う 九前七次(48円) @Kuzen_Natsugi

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