抜殻を拾う

九前七次(48円)

 有魔ありまという名字は生まれついてのものではないが、「有魔ありま赫赫りんご」を名乗るようになってから人間は冷たいものなのだと知った。どんな刃物よりも、墓石や土の中よりも、死体の手を握れば少しずつ冷たくなっていくように。この名字と同時に手にした蠍の肩書きとその毒だけが、熱く燃えて自らの身体をあたためているのは救いだった。


 夏の日差しにあてられたコンクリートが熱した夜だった。

 路地で従兄弟を待つ赫赫はタバコの火と共に、睫毛のように目から漏れ出る魔力の炎を赤く灯している。これは能力者の証であり、「普通」でないことの証だ。加えて手入れのされていない長い赤髪を二つに結った姿は、一見した限りでは成人の男には見えなかった。目元の火を差し引いても異常だ。

 しかし、彼は朝から都会に出て働くビジネスマンと同様に人間であった。ただ心身の苦痛と引き換えに手にした能力の影響で、見た目の異常さを与えられただけの。心臓を動かして生きている人間なのだ。

 ……とは言っても、夜間に外を歩く影はほとんどが能力者、あるいは生きた屍だ。この世界における「普通の人間」、それこそサラリーマンや若い学生達はこんな場所には居ない。彼らは、地下の繁華街で今夜を共に過ごす相手を探しているか、または大した幸福もない割に手間のかかる家族と食卓を囲んでいる。

 地上のゾンビ達の文字通り「魔の手」には性別も体格も関係はなく、伸ばす先を選ばない。重要なのはそいつがどれだけの魔力を持っているか、だ。そうであれば狙われやすいのは勿論を多く有する能力者だ。今夜消えるのは赫赫やその待ち人であってもおかしくない。

 だが路地に立つその男の吐き出す煙に緊張感は見えず、むしろ脱力し切った指使いで灰を落としていた。


「それ何本目?」

「遅えよ、求久もとひさ。」

 時間にルーズな従兄弟は悪びれる様子もなく、見慣れた浅葱の目で落ちた灰とタバコの灯を順に追っていた。瞳と揃いの水色の髪は街路灯に照らされ、赫赫は雨止みの空と同じ眩しさに瞬きをする羽目になる。

「で、どこ行くって?」

 彼と同じ苗字を持つ有魔ありま求久もとひさは、彼にとって実の弟以上に慣れ親しんだ仲だった。

「運のとこ。欲しいものがあるから。」

「はぁ……1人で行けよ。」

「お前も居た方があいつ、喜ぶでしょ。」

 運……、無魔むまめぐるというのは2人が有魔になる前から世話になっていた師匠である。求久と同様に親しい相手ではあるが、赫赫は苦い煙を飲み込んだように渋った顔をした。

 というのも、組織の重鎮である運の元を2人はすでに離れ、更に求久に至っては敵対組織のリーダーをも務めており、立場は指名手配犯も同様。会い難い仲もいいところだ。

「早く行こうよ。ついでに新しいナイフ貰えば?」

「……ああ。」

 フィルターの手前まで来て短くなったタバコの不味さに顔を顰めながら、兄弟弟子の言葉に「確かに」と無理矢理理由をつけて後を追った。今日はこいつを独りにしたくはなかった。


 能力者を侮蔑するような無能の視線を冷たく受けながら地下鉄を乗り換えた有魔の2人が談笑をする間、暗がりを進んでいた終電が無造作に揺れ最寄駅に停まる。

 降りてまた行き歩く道中、運は普段仕事でほとんど家にいないが行って会えるのかと聞けば、

「今日は居るよ。がビルから落ちた日だから。」

と当然のように少し前を歩いて答えた。

「黒絹が、幹部の奴等が交通事故で死んだこと調べてたんだよ。でも途中でやめてて、俺も気になるからその途中のやつ欲しくて。それで、黒絹の荷物は全部運のところにあるんだよ。」

 求久の表情はいつも無機質で話す言葉は同齢にしては辿々しい。しかし黒絹という名前を口に出す時は普段以上に虚で、もし死人が本当に人に取り憑くんだとすればこいつは黒絹に憑かれているのだろうと何も言えないまま思う。坂の先に思い出深いあの門が見えた時、求久の背中も遠くにあるような気がした。

 幼馴染の心配を察したのか、単なる確認か、振り返った首元には大口を開けた黒い蛇のタトゥー。こちらに声を掛け、昔と同じ素振りで門を開き暗い石畳を踏んだ。


 23区内にしては大きすぎる平屋、奥には洋館。庭は手入れが行き届いており、とっくに旬を過ぎた紫陽花の低木が裸で突っ立って、夏も終わろうという最中に咲く向日葵は少し背が丸い。

 裏門から庭に回って縁側から入るのが近道、そう言い始めたのは黒絹だっただろうか。その幼少からのしきたりを求久は律儀に守って縁側の引き戸を開けた。そこを通りかかっていた使用人が騒ぎ出したのも構わず、だ。

 靴を脱いで迷いなく仏間の襖を選び開ければ、幼馴染の言う通りに運は凛とした佇まいでそこに居た。纏めた朱い髪、おくれ毛が流れたうなじには半袈裟が掛かっており、ちょうど数珠の擦れる音が鳴って彼はゆっくりこちらを向いた。

「おかえり。」

 静かで優しさを感じる声。線香の煙が耳元に揺れる羽根と戯れる姿を羨ましく思ったのは、そこの庭を走り回っていた頃の自分か。あの時には確かに兄のように感じていたその男が向ける笑みに堪らなくなり、視線を外した先、厚みのある座布団が数枚。他に線香をあげに来た奴等の顔が容易に想像出来て、深くため息を吐く。

「ただいま。」

 隣で水色の髪が揺れた。なるほど、こいつにはノスタルジーなんて腑抜けた言葉は似合わない。

「……ただいま。」

 ようやく口に出した挨拶を満足そうに受け止めた運は、菊があしらわれた絵蝋燭の火を消して念珠と半袈裟を仕舞った。黒絹の死を受け入れない求久は黒い畳縁を隔てて、灰の匂いの届かない場所にいる。

「少し痩せましたか。ご飯ならいつ食べに来ても良いのに。」

「お前が全然家に居ないから来られないよ。暇になるつもりもないでしょ。」

「でも、今日は帰って来てくれたんですね。」

「居ると思って。」

「そう、嬉しいな。」

 求久はまだ生気がある方なのだと錯覚する程、目の前の男は優しくて機械的な話し方をする。これでも精一杯感情を込めていると分かるのは、幼い頃からこいつを見てきたからなのだろう。

「りんごは、何か困ってることはない?」

「……特にねえよ。ナイフ新しくしたい、くらい。」

「あぁ、なら取って来ます。広間で待っていて。」

 昔と変わらぬ所作で立ち上がる兄であった人に、幼馴染は礼儀も無く声を掛ける。

「黒絹の部屋行って良い?」

 その言葉に運は少し目を伏せたように見えたが、ため息もなく淡々と返す様はおそらく、兄弟弟子の誰にも似ていなかった。

「良いよ。でも、何も持ち出しちゃ駄目ですからね。」


 有魔と無魔の関係は能力者組織『鼓星会つづみぼしかい』の発足に伴い始まった。

 能力者が組織を成した理由として、人類の誕生とともに起こった超自然災害『人落ひとおち』の存在がある。文字通り人間が空から降ってくるというもので、地上に落ちて事切れると生きた屍となって人々に襲い掛かる。そこで能力者は力を持たない無能力者に代わってこれを討伐し、無能力者は彼等を神格化することで健全な関係を続けてきた。……これは理想郷だ。

 現実はそうではなかった。簡単に死体の山を築くような力を持つ能力者と兵器を作り抗う術を得た無能力者。一度でも弱者が強者に陥れられれば、その恐怖と怨みは永遠に続く。先に上に立ったのはどちらなのかは知らないが、数多の戦争の末にお互いを差別する社会が生まれたのだろう。人類が滅ばなかったのは幸いか、いや、その逆か。

 とにかく、鼓星会は能力者をまとめる組織の中でも長い時間を掛けてトップに登り詰め、今や政治や宗教、医学界や警察組織とも繋がりのある巨大な存在になってしまった。その果て、人落ちが起こる頻度は不安定になり、差別は消えず、最早文化となって土の中に大きく根を張り続けている。

 そして同様に深く根付いた有魔の血は鼓星会との縁を切らせてはくれない。それは無魔も同じく、数年前の今日死んだ無魔黒絹もその呪いに堕とされたのだと思う。

 ビルから飛び降りたあの黒々とした長髪に手を伸ばす有魔求久が、今度は足を踏み外すかもしれない。赫赫がどれだけの面倒に巻き込まれようと求久について行くことは孤独からの離別と同義であり、つまり求久に手を伸ばしているのかもしれない。だからもし彼が死ねば、次は自分が憑かれて堕ちる番だ。

「黒絹の匂いがする」

 遺品の置かれた部屋に入ってすぐ、そう言って振り向いた幼馴染の顔は滅多に見せない朗らかな笑み。この物置きと同様、無邪気で不気味だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る