エンサラータと星空

Tempp @ぷかぷか

第1話 エンサラータと星空

「あ、あぁ~」

 思わずそんな声を上げたのは、無情にも駅のシャッターが目の前でガラガラ下がったから。地面とギリギリの隙間を覗き込もうとしても今更で、ガシャンという拒絶音と一緒に埋まってしまった。しばらく呆然としていたら、ガコン、ガコンとホームの照明が落ちていく。崩れ落ちそう。

 ……どうしてうまくいかないんだろ。

 なんとなく、心の奥からそんな声が聞こえた。

 スマホを見れば午前1時を回っている。だめだなぁ、走ってくれば間に合う計算だったのに、上司に捕まったほんの10分がこの結果。でも本当にいつも、そんな感じ。最近全部が全部そんな感じ。ちょっとずつ歯車がずれて、少しずつ何かに間に合わない。

 けど、どうしよう。なんだかもうすっかり疲れてて勿体ないけどタクシー乗っちゃおうかとロータリーを眺めても、乗り場には一台も止まっていなかった。本当にもう。

 次に思い浮かんだのは夜道よみちちゃん。一次会の後で上手く抜けてった。電話をして泊めてもらう? この近くだったはず。

 だめだめ、確か実家住みで家族と暮らしてるんだっけ。こんな時間じゃ迷惑。あたしも夜道ちゃんと一緒に帰っちゃえば……でも、そんなことできっこない。


 振り返れば、街はまだキラキラと明るくそこかしこに人が歩いてる。人波に戻るのもなんだか面倒で、駅前のベンチにへたりこむ。仕方なく。この夏の暑さは人と人が触れ合うことに、嫌な感じをくっつける。体がぶつかれば汗がくっつき、手を握れば過剰な温度が伝わり、その重さがなんだか億劫になってきた。

 今日は会社の暑気払い、飲み会。

 うちの部が担当するタウン情報神津はこの時期、飲食店からのお声がけが多い。今日も3つのお店をハシゴして、あたしの担当は飲食店の紹介コーナーだから途中で抜けるなんてとんでもない。それでこんな時間。

 ご飯を食べて紹介する、それがあたしの仕事。夜道ちゃんはホラー係だから1軒目で抜けたって全然かまわない。少しうらやましい。

 ……今もまだ、部長たちは別のお店で飲んでるはずだ。けどそこに戻る気にはならないな。なんだかすっかり疲れてしまった。この街のピカピカした明かりにも、年々強まるこの暑さにも。なんだかすっかり、そう、いったん人波から外れちゃったら、もうあそこに戻りたくない気分。


 ふいにぬるい風が吹く。

 この時期なら外で一晩過ごしても風邪をひいたりしない。そう思うとなんだかぐったりと疲れて、まるで足に根が生えて、椅子ごとそのへんの植木にでもなったみたい。


「あ、やっぱり駄目かぁ」

 その声に隣を見上げれば、男の人がシャッターをしょんぼり見つめていた。終電逃しちゃったのかな。そう思っていれば、目があう。そして外れてあたりを見渡して、1つ飛ばしてとなりのベンチに腰掛けた。

「ちょっとお隣、お邪魔させてください」

「……どうぞ」

 公共だから、別に断らなくてもいいのに。まあ、一つ飛ばしというのは今のあたしには丁度いい距離。体温も伝わらない。スマホを取り出しどこかに電話しているようだけど、繋がらなかったようでまた目が合う。そしてまた、スマホに目が戻る。

 一晩、か。

 始発が動くのは5時半くらいだっけ。あと4時間。カラオケで一人オール? っていうかカラオケで寝る? 今日は水曜だけどお盆前で、暇な人も多そうで、隣からヘビメタとか聞こえてきちゃうとたまったもんじゃない。

 幸い明日は予定はないし、というか明日、つか正確には今日からお盆で何もない。ここで過ごして帰って寝よう。それもなんだか手持無沙汰で。そうだ。仕事しよ。幸いにも私の仕事はあんまり場所を選ばない。


 スマホにさっきまでいた新装開店のスペインバルの感想をメモする。

 ガスパチョはキンキンにひえてたけどしょっぱかった。でも本場ってそうだって聞いたことがあるかも。

 パエリアは……まあまあかな。うんまあまあ。他のお店とたいして変わらない。

 ワインの品揃えはリオハが多かったけど、よくみるラインナップによくある価格帯。

 大きめの個室がいくつかあったから打ち上げとかには使うかもしれない。けど、個人でわざわざきたりはしなかな。あの立地と賃料相場を考えれば、ある程度うまらないと厳しそう。

 総合して可もなく不可もなく。ということは、飲食店としては最悪だ。あの店を選ぶ要素は何もない。

 なんとなく、つまらない気分になってきた。

 結局、こんなあたしの感想なんて意味なんかなくて、いくつかある定型文から無難なものを選ぶんだ。そうじゃないと通らない。何やってんだろ本当に。これじゃあたしが書く意味なんてない。それこそAIに適当にかかせればいいじゃない。そのほうがきっとお客が来たいって文章になる。でもそれって、本当? 本当って何?

 そんな気持ちはいつしかぽろりとこぼれてため息になった。


「大丈夫?」

 そ隣をみると、男の人が心配そうに私を見ていた。そんな深刻な顔してたかな。

「ああ、大丈夫です。ちょっと仕事の事考えてて」

「そう。まあ、無理しないで」

 そうして男の人もつられたようにため息をついた。

「あの、何かあったんですか?」

 気にかけてもらったから、なんとなく。

「え? ああ、俺も仕事のこと。ちょっと忙しくてね」

「そう、ですか。ご無理なさらず」

「ありがと」

 それで特に話題はなくなり、今日の1軒目と2軒目をまとめているところで唐突に世界が暗くなる。なんだと目を上げれば、街頭が半分くらい消灯していた。時計を見ると、2時。

 暗くなっちゃった。文字を打つには不適切な程度には。だからやる気も失せる。なんだか酷く、つまらない。手持無沙汰に見渡すと、さっきまであんなに明るかった街の明るさも半分くらいで歩く人もあんまりいなくて、いつまでも続くと思ってた面的な人の流れもいつしか解消していた。


 隣を向けば男の人は空を眺めていた。つられて見上げると空の色も幾分暗く、先程までは見えなかった星がぽつりぽつりと輝いている。

「へぇ。このへんでも見えるんだ、星」

「そう。今大きく見えているのは夏の大三角形で、一番高いところにあるのはデネブ」

「ああ、あれかな。詳しいんですね」

 見えるといっても両手で数えられるくらい。だからその光る星は、やけにぼんやり明るく見えた。

 夏の大三角形って小学校くらいで習って以来。星なんて見たのもいつぶりだろう。前にプラネタリウムに行ったとき? 随分前。

「詳しいんですか? 星」

「え、いや、どうかな。本当は今日も山に行く予定だったんだ。山はよく星がみえるから」

 山、か。そういえば山も海も随分行ってない。いつもなんだかこの窮屈な町を巡って、ご飯を食べて、文字を並べて、そんな生活。やっぱり窮屈でつまらなくなってきた。


「やめちゃおっかな」

「え?」

「あ、いえ、個人的なこと。今の仕事」

「そう。嫌なことでもあった?」

 嫌な、こと。これといって嫌なことは、ない。でも全部がひどく平たくなった。まるで水たまりみたい。この気持ちは、なんて言葉に当てはまるんだろ。退屈? 多分、それとも違う。

「好きじゃないならやめてみるのも一つだと思うよ、俺みたいに」

「みたいに?」

 隣をみれば、今もぱちぱちと光が消えていく街並みのさらに上を眺めている。

「ん。俺、脱サラしたんだ」

「へぇ、若いのに」

 その横顔はまだ、30くらいに見える。つまり同年代。

「若くは……どうなのかな、よくわからない」

「そう……、後悔とかしてないんですか?」

 ふと、最初にそんな言葉が出てくる自分に嫌になる。

「後悔、か。よくわかんないな。うまくいかなくて今必死でさ、それで今日も山にいけなかった」


 必死にならないといけないなら、脱サラは失敗なんじゃないかなぁ。やっぱきっと、会社を辞めても上手くいくわけでもない。他にやりたいこともないし。

 車の音がして、目の前のロータリーにおあつらえ向きにタクシーが停車する。でもすでにタクシーで家に帰る気分にはならなかった。あの運転手も大変。駅前だけどこんな時間にお客なんていない。けど深夜タクシーっていうのはそんな仕事で。隣を見る。こんな時間まで働いて、うまくいかなくて、それなら完全に失敗じゃあないのかな。

「やるなら今だと思ったんだ。元の会社じゃやりたいことがやれなかったから」

 やりたいこと、か。

 それはなんだか、よくわからなくなっていた。もともと雑誌をつくりたくてこの会社に入ったはずなんだけど。でもそれは何をしたかったんだろ。

「あたしもよくわかんない。でも他にやりたいこともないの」

 なんだか毎日、自分をすり潰してる。

 毎月の掲載数はだいたい決まってて、規定量の仕事して、一応食べにいって、でもきっと食べに行かなくても書く事なんて決まってて、でもそれで感想をメモして、その感想と全然違う組み立てたような紹介文を書いて。

 そうしないといけない理由はわかってる。掲載できる文字数はそんなに多くない。その中でお店がお勧めする料理を書いて、住所や営業時間、価格帯を書いて、それで残りで書けることなんて、そんなにない。

 でもきっと仕事ってそういうもので、それはなんだか、酷くつまらなかった。

「好きなことはなに?」

 その声は、なんとなく見上げた星から聞こえた気がした。

「好きなこと?」

 あたしは何が好きだろ。学生の時は楽しかった。そんなに映画が好きなわけじゃなかったけど何となくのノリで映研に入って、みんなで映画みてカフェにいってあれがどうだとかこうだとかわいわい話をして、それでみんなで乾杯して。

「美味しいごはんをたべる」

 それが浮かぶ。

 ご飯をたべることは昔はもっと、楽しかった。純粋に美味しかった。今みたいにお店の推しがどうとか考えず好きなものを食べて、あら捜しみたいなこともしなかった。エイギョーとかそういうことを考えずに美味しい美味しいって食べてた気がする。


 ああそうか。美味しいごはんが好きだったから、いろんなお店を紹介したいと思って今の仕事を選んだんだ。そう思って宇宙を見つめていると、星が流れた。

「えっ」

「今日はペルセウス座流星群の極大期なんだ」

「極大期?」

「そう。もう見れないかと思ったけど、開けた駅前ならワンチャンと思ってた」

 男の人の声はさっきより随分張りがあって、気持ち元気になっていた。

「いいですね、好きなものがたくさんあって」

「うん。次は願い事をしないと」

 あたしの皮肉めいた言葉にも気付かないのか、男の人はまっすぐに空を見上げた。しばらくまった。10分ばかり静かに。けれど、何も流れてはこなかった。

「さっきので最後だったのかも」

「さぁ、どうかな。始まりかもしれない」

 始まり? 何かが、始まるのかな。そう思って見上げれば、呼ばれたようにさっきより大きな星が流れた。

「わぁ」

「お客がたくさん……ああ。まにあわなかった」

 幾分残念そうな声。いいなぁ。本当にやりたいことなんだ。

「お客?」

「そう、ブエナ・ヴィーダっていうスペインバルを……」

「あっ……。あたし、さっきまでいました」

「えっ? ひょっとしてタウン情報神津さん?」

 男の人が星のかわりにあたしを真正面に見る。まじまじと眺めれば、さっきウェイターさんの中にいたような?

「えっと、そうですけど、あれ? ひょっとして終電乗れなかったのってあたしたちのせい? ごめんなさいっ」

 部長が引き留めるから。そういえば厨房の方のライトは既におちてたかもしれない。


「ああ、いいんだそれは。いつもこんな感じだから。それで、どうだった? あの店はスペインで知り合った友達のシェフと一緒に始めたんだ」

 その瞳はまるでさっきの流れ星みたいにキラキラしてて、それでなんて言おうか悩んでいる間に、流れ星みたいな煌めきはだんだん小さくなっていく。

「やっぱり、イマイチかな」

「え、いやぁ、あの」

「できれば正直にいって欲しいんだけど」

「正直に、ですか……」

 正直に。正直なところ。今? でも。そう。あたしが適当に記事に組み上げて、この人に文章の内容を確認に行くのは営業の人で。だからきっと、あたしの感想なんてこの人に伝わることなんてない。それがなんだか、嫌で。ご飯食べに行って、内容と関係ない記事吐き出して、あとはどうなったかわからなくて、知らないうちに雑誌にのる。

 そっとスマホを開いて押し付けた。

「えっと、あの?」

「リアルな感想」

 スクロールする指と表情をみていたくなくて、星を眺めた。

 星。また、流れるかな。そしたらなんて、お願いしよう。この人のお店が繁盛しますように? 会社をやめて始めたいほどの願いなんて、あたしには、ない。

「はは、本当に正直だ。美味しいものはなかった?」

「あったけど……えと、エンサラダ・ミクスタ」

 それはメモに書いていなかった料理。無意識に押しのけた、記事に乗らない地味なカテゴリ、サラダ。いろんな野菜やツナがのってて、けどどれも特別な材料でもなくて、でもあたしが心から美味しいと思ったもの。


「ドレッシングが美味しかった。他はその、なんか中途半端」

「ああ、やっぱりね」

 再び聞こえた溜息は、さっきと違って少しだけ温度があった。

「やっぱり? 怒らないの?」

「怒ったりしないよ。僕と友達はたくさん迷ってて。スペインの味に寄せるか日本の味に寄せるか。でもそうだな。中途半端はよくない。だからきっと願いは叶ったかも」

 結構酷いことを書いたのに、男の人の表情はなんだか明るくなっていた。流れ星みたいに。

「叶った?」

「そう。僕の友達の料理は本当に美味しいんだ。だからやっぱり、本場風の味によせたほうがいいと思ってた。ちょっとしょっぱいところは注意しないとだけど」

 そうして再び空を見上げる。つられて私も見上げる。

「お店が繁盛しますように!」

「君が幸せになれますように」

「え?」

 思わず隣を見る。なんで?

「お返し」

「でも、あたしは別に」

 なんとなく満足してそうな表情に、付け足す言葉はみつからなかった。

「あたしの幸せってどこにあるのかな」

「さぁ。でもきっと気に入ってもらったエンサラダ・ミクスタみたいにいろんなところにあるんだよ」

 いろんなところ。なんとなく、思い出す。

 あたしは美味しいご飯が好きで、それをたくさん紹介したくて、この会社に入ったってこと。だからボツになっても、サラダの話を記事に入れてみようかな。駄目ならいつもみたく組み立ててまた出せばいい。

 久しぶりに空を見上げた。いつも地面ばかり見てた気がする。

 それからいろんな話をした。

 これまで食べて美味しかった料理。男の人が行ったことがある外国と料理。話はだんだん広がって、そうして次第に夜が明けた。お盆の朝はいつもより全然、人がいない。そうしてシャッターがガラリと上がり、あたしは朝イチの夏の日差しを浴びた朝顔みたいに椅子から立ちあがる。

「タウン情報神津のお嬢さん。1か月後にまた来てくれるかな。きっとおいしいものをごちそうしましょう」

「自信満々」

「きっとね」

 そうして一緒に改札をくぐって、隣のホームで向かい合って手を振った。


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