第6話

 軍隊蟻は、Xデイ以前の記録では中南米の熱帯雨林に生息する二センチほどの蟻の事を主に指し、Xデイ後は水中以外のどこにでも生息する二メートルほどの蟻の事を主に指す。類似点は巨大な顎を持ち、獲物や敵に向かって獰猛に襲い掛かる点。

 体長以外の相違点は、デイ以前は数百万匹で隊列を組んで移動し、巣を持たず、鋭い顎で獲物にかみつき、腹部先端の毒針を刺す。対してXデイ後は十体以下で分隊をいくつも作り、巣の周囲五キロから十キロを哨戒し、顎で食いちぎり、毒針をニードルガンのように十発まで連続で発射することが可能となっている。撃ちきった後は、腹部内で新たに針が生成され、再度撃つことができる。これは人類のハンドガンとマガジンを模したという説があるが、定かではない。

 分隊は人類の軍と同じくリーダー、指揮官が存在し、他の個体を率いている。リーダーは接敵時にフェロモンを放ち、別の分隊に敵がいることを知らせる。フェロモンの効果範囲は広く、数キロ圏内にいる全ての分隊に届くと言われている。

 今、荒廃した街の中を一つの分隊が進んでいる。かつて整備されていた道路はひび割れ、繁殖力の強い雑草がその隙間から葉を伸ばしていた。それを踏み潰しながら、四体の軍隊蟻は進む。

 先頭にいた一体が立ち止まり、頭を持ち上げた。後脚と中脚でバランスを取り、すぐに腹の毒針を相手に向けられる警戒態勢を取る。それに倣って他三体も周囲を警戒し始めた。

 建物のていを成していない、コンクリートの残骸の影で、何かが動いた。蟻たちの視力は弱いが、代わりに匂いによって相手の居場所や、その大きさ等を測ることができる。嗅覚が、自分たちと環境以外の、何らかの生物の匂いをかぎ取っていた。

 閃光がパチッパチッと瞬いてほとんど見えない視力を刺激し、外骨格に振動が起こる。次いで、辺りに広がるのは焦げた匂いだった。蟻たちはこの匂いが火薬の発火によるものだと知っている。かつてのワイルドとマトリクスとの戦いの記憶は、その後に生まれた蟻たちにも引き継がれている。

 匂いが揺らぐ。蟻たちの感覚として、匂いが視覚の代わりになっている。匂いの空気の層があり、それがかき混ぜられたように感じたのだ。火薬の層が揺らぎ、隙間ができた時、その奥に蟻たちが察知した何かの正体がいた。

 蟻たちワイルドが敵対しているマトリクスの勢力、ではないと判断する。それよりも小さな個体だったから。

 リーダーが指示を出すと、一体が正面から、残り二体が左右に展開して、個体を追う。個体は更に何度も閃光を生み、正面から迫る蟻の外骨格を削る。だが、それまでだ。多少の傷はすぐに修復されてしまう。エネルギーがある限り再生し続ける蟻たちを機能停止させるには、そのエネルギーを使い切るまで攻撃を受けるか、コアを破壊されるか、マトリクスたちが使う毒によって細胞分裂を阻害されるかのどれかだ。

 それがわかっていないのか、個体は断続的に、狂ったように蟻たちに攻撃を加える。この時点で、蟻たちはこの個体が脅威ではないと判断した。自分たちだけで対処可能だとし、リーダーは他の分隊へのフェロモンによる連絡の緊急度を低度で設定した。

 個体による攻撃は続いている。自分たちにとって脅威ではないと判断した蟻たちは移動速度を上げ、より大胆に個体へと接近し包囲網を狭めていく。リーダーは少し離れたところで蟻たちの戦闘を監視していた。なぜ無意味な攻撃を個体は続けているのか。攻撃よりも逃走にリソースを割いた方が生き残れる可能性は高いのではないか。

 蟻たちにはほぼ意思がない。必要ないと言った方が正しいか。彼らの全ては巣と彼らを作り出す女王、そしてワイルドという勢力を守るためにある。唯一自分たちで考える必要があるのは、戦闘においていかに敵勢力にダメージを与えるか、という戦闘に関する部分だろう。だから今回についても考え、判断を下したのだ。敵はマトリクスではない。自分たちを機能停止させられる武器を持たない。だから脅威ではない、倒せる、と。

 匂いが、揺らいだ。リーダーは感知した。前方の戦闘の影響ではない。自分たちを包む、広範囲の火薬の匂いのドーム、その層を切り裂いて、左右から別の何かの匂いが接近している。

 すぐに応戦のためリーダーは立ち上がった。だが、どちらから対処すればいいか、一瞬迷った。二つの何かはほぼ同じ速度で、同じ距離にいたからだ。

 数では不利。では、味方を呼び寄せるか。それでも一瞬迷った。なぜなら、迫る個体は正面にいる敵性個体と似た匂いだったからだ。同様の個体であれば、やはり自分たちを機能停止させられるだけの能力はないのではないか。また、せっかく追いつめているのにここで呼び寄せれば、それこそ敵を野放しにすることになるのではないか。ここで正面の個体を叩いた方が良いのではないか。そう迷った。

 二つの迷いが、リーダーの動きを止めた。数秒にも満たない、ほんのわずかな時間だった。

 敵対者たちにとって、それで十分だった。

「ふっ」

 呼気と共に、剣が突き出される。アンチが刀身に巡らされた剣は、蟻のリーダーの頭と胸部の間にある最も細い箇所、くびれに突き刺さった。柄付近まで刺さった剣は、蟻のくびれを貫通していて、剣先が反対側に飛び出していた。

 リーダーは敵の攻撃は自分の体を貫いた。しかも、再生機能が著しく低下している。脅威度を上方修正し、他分隊に知らせるべきだ。

 いや、先に敵を攻撃すべきか。このままでは確実に機能停止させられてしまう。その前に目の前の敵を倒す、もしくは連絡を確実にするための距離を取るべきだ。三度、蟻のリーダーは迷った。

 突き刺した敵、シュウジは突き刺さっている部分を中心点としてそのまま柄を下に押す。

「っらぁ!」

 同時、反対側から接近していたユウキが、飛び出た剣先にアッパーを当てる。剣がぐるりと回転し、蟻のリーダーの首が胸部から切り離される。

 頭部を切り離されたが、それでもリーダーの体は動き続ける。彼らの体は小さな個体が集まって出来た群体でもある。ゆえに、切り離されたとしても、各部位ごとに動き回ることが可能だ。迷いから解き放たれた体はまず近くにいるシュウジとユウキを腕を振り払うことでけん制し、距離を取らせる。頭部の顎の根本にある分泌腺からフェロモンを出す。

 空気を切り裂いて、弾丸が飛来した。アンチが含まれた弾丸は顎を吹き飛ばし、さらにえぐった周囲の個体たちの再生をはじめとした行動を阻害する。そこには分泌腺の活動も含まれる。タイチによる長距離射撃だ。ヤマトの援護だけでなく、こちらの様子も見ていた。初の実戦に緊張していたが、周りがよく見えているようだった。

「やるじゃないか」

 口笛を吹いて、シュウジが追い打ちをかける。剣を頭部に振りおろし、真っ二つに切り裂いた。切り口からアンチが回り、頭部の色が灰色になっていく。機能停止の証だ。これで、仲間を呼ばれることはない。その彼の背後から、首を失った蟻の体が迫る。覆いかぶさり、押しつぶす気か。

「ぼうっとしてんな!」

 横合いから飛んできたユウキが、後脚を殴り折った。バランスを崩し、ぐらついて倒れてきたところに、殴った反動を使ってもう一撃、弧を描くフックを胸部に叩き込み、追加で籠手のギミックを作動させる。胸部奥深くに飛び出した刃がめり込み、刺さった個所から灰色に変わる。

「どっちが」

 横合いからシュウジが剣を振る。ぼとっと彼女の足元に落ちたのは腹部先端の毒針だ。毒針が彼女に向けられていたので、切り落としたのだ。シュウジは返す刀で腹部を横薙ぎに切り払う。胸部、腹部共に灰色に変わった。アンチが回り、完全に機能停止したようだ。

「最後まで油断するなって言われてるだろ?」

「してねえ。毒針だってわかってた」

「はいはい」

「信じてねえな。わかってたんだ。あえて撃たせて、躱して、カウンターを狙う予定だったんだよ」

「わかったって」

「わかってねえだろ」

「二人ともストォーップ!」

 悲鳴が正面、三体の蟻から逃げ回っているヤマトから発せられた。

「反省会は後にしてくれ! 今は、こっち、にっとぉ、加勢にきて、くれ!」

 蟻の毒針を遮蔽物に隠れて避け、回り込んできた別の蟻の顎をしゃがんで躱し、死角から突進してきた蟻はタイチが銃撃でけん制し、何とか持ちこたえていた。

「じゃあ、ユウキ。証明してくれ。あいつらを蹴散らしてさ」

 言って、シュウジが飛んだ。ヤマトと蟻の間に割って入り、顎を盾で弾く。ちらと彼はユウキの方を一瞬振り返り、ニヤッと笑った。わかりやすい挑発だ。だが、ユウキはわかって乗った。

「いいぜ。やってやるよ」

 地面がえぐれるほどの踏み込みで、数十メートルの距離を一気に縮める。振り返った蟻の頭部めがけて、スピードを乗せた一撃をお見舞いする。顎が折れ、頭部がはじけ飛ぶ。一瞬の滞空時間が発生し、ユウキは体を回転させ、くびれに両足を絡めた。そのまま自分の体を軸にして一回転、蟻の体が宙を舞い、頭部が地面に叩きつけられた。

 フランケンシュタイナーという、過去に存在したプロレスという格闘技の技だ。

 半分地面に埋まった蟻の頭部に、とどめとばかりに籠手を叩き込む。完全に埋まった頭部から、機能停止の灰色が広がる。胸部や腹部がまだもぞもぞと動いているが、彼女の目にはもう映らない。代わりに合図を出しておく。

「おら、動きは止めてやったぞ新入り!」

 返事の代わりに、さかさまになった蟻の腹部と胸部のど真ん中に一発ずつ弾丸が撃ちこまれた。風穴が開き、徐々に動きが緩慢になっていく。

「ようやく、タイチを仲間と認めたのかい?」

 危機から脱したヤマトが軽口を叩く。彼を睨みつけ、言う。

「これぐらい出来て当たり前だ」

「厳しいねぇ。さっきだって蟻の頭、撃ち抜いたでしょうに」

「知ってる。だから、この距離なら問題ないって話だろ」

 言い捨てて、次の蟻へ飛び掛かる。そんなユウキが仲間という部分を否定しなかったことに、ヤマトはほくそ笑む。口は悪いが根は真面目な彼女は、実力をきちんと評価できる人間だ。

「良い兆候だ」

 タイチも一戦こなせば固さも抜けるだろう。チームとして、かなり良いスタートを切れたとヤマトは見ていた。ここから徐々にフィットしていけば、依頼が終わるころには良いチームになっているはずだ。残念なのは、彼は今回限りのスポット参戦という点か。

「何サボってやがる! 人に働かせといてお前は高みの見物か?!」

 ユウキに怒鳴られ、ヤマトは「はいはい」と戦列に加わる。

 ゴロウが運転する輸送車が予定通りに、合流地点に到達した。車はスピードを落とすことなくそのまま通過し、三人は走る車に飛び乗った。三人が乗車したのを確認して、車はスピードを上げ、危険地帯を脱出する。後に他の軍隊蟻の分隊が、灰と化した仲間の残骸を発見した。

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