金縛りの痕跡
齊藤 車
金縛りの痕跡
夜寝ていると急に目が覚めた。体が動かない。人生で初めての金縛りだ。
手足に本気で力を入れてみるが、両手両足が、まるで見えない何者かに一つずつ馬乗りにされ、押さえつけられているようだった。
目だけを動かして辺りを見るが、もちろん誰も僕を押さえつけてなんていない。ただ、四肢を押さえつけられている感覚は気持ちが悪いほどにリアルだった。
なるほど、これは恐ろしい。ただ僕は全く恐怖を覚えていなかった。むしろこの状況を楽しんですらいた。
なぜなら金縛りというのは、体は休んでいるが脳だけが目覚めている状態で、体が動かなくなる現象だとテレビで言っていたのを覚えていたからだ。この知識がなければ、今ごろ恐れおののいていたことだろう。ストレスも一因だと言っていた。
ちょうど引っ越したばかりだった。新しい住居に慣れていなくてストレスを感じていたのかもしれない。心霊現象だと信じられてきたのも納得だ。知らなければ新しい住居のせいだと思ってすぐに引っ越ししてしまう人がいるのも腑に落ちる。
「あ」
声は出せる。もう一度力を込めて手足を動かそうとするが、関節が曲げられないほど力強く押さえつけられている感覚がして、数センチ、いや数ミリ持ち上げるのがやっとだった。じっとしていれば特に何も感じない。動かそうとする間だけ、それを妨げるように押さえつけられる感覚が戻ってくる。なかなか興味深い現象だ。
そんな状態も長くは続かず、体感二、三分程度で金縛りはすっかり解けてしまった。
なかなか貴重な経験をしたなと思ってそのまま眠ろうとする。
ふと、時間が気になった。丑三つ時だったりすると知識がない者はさらに震え上がることになるだろう。
スマートフォンで時間を確認する。二時十五分。あまりに出来すぎていて思わず鼻で笑ってしまう。
しかし、次の瞬間、僕の余裕は一瞬で恐怖に呑み込まれた。
スマートフォンの画面の明かりに照らされた右腕。ちょうど押さえつけられていたと感じた辺りにうっすらとした赤い跡があった。
慌てて左腕も照らして確認する。――同じような跡があった。
スマートフォンを放り投げ、枕元のスタンドライトを点けて足を見る。
両足にも跡があった。腕と同じで薬指、中指、人差し指の隙間とおぼしきものまで見て取れた。ただの夜の闇が何か恐ろしいものに変わってしまった。
布団から飛び起き、部屋の電気をつけてもう一度確認する。
痣になっているようなほどはっきりとしたものではなかったので、みるみる赤みが引いて見えなくなっていく。
よく見れば赤いかもしれない、くらいまで手足の跡は消えてしまった。見間違えだったのだろうか?
間もなく赤みは完全に引いてしまい、真偽のほどが分からなくなってしまった。
布団の上に転がっているスマートフォンを拾って『金縛り メカニズム 痣』で検索する。
創作と思われるものや、これがその痣の写真です、といったあからさまに信憑性のない記事は無視をする。
『金縛りの直後に一時的に赤い跡があったとしても、それは身体的な接触ではなく、無意識下の動きや寝具との摩擦が原因である可能性が高い』
意識は間違いなくはっきりしていた。真夏で薄いタオルケット一枚、しかも腹の上に乗せていたので手足に触れることなど絶対にない。そもそも生まれてこの方、寝ている時にそのような跡が付いたことなど一度もない。
自分で腕を思いきり掴んでみる。似たような赤い跡が数秒だけついた。全く同じだったかどうかはもう分からない。
――もし、また金縛りにあった時、僕は平静を保ったままでいられるだろうか。
金縛りの痕跡 齊藤 車 @kuruma_saito
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