無限図書館

五十貝ボタン

無限図書館

 扉をくぐった先も、六角形の部屋だった。

 壁の一面は、私の歩幅で10歩分はある。そしてその壁はすべて本棚になっている。一列につき100冊以上は収められているだろう。段数は数え切れない。真っ白な照明が天井から部屋全体を照らしていて、見上げると目が眩む。しかし見える限り、天井まで壁はすべて本棚だ。

 空間にはうっすらとインクのにおいが漂っている。どこかで空調装置が回っているはずだが、全面が本棚になっているこの部屋のどこで稼働しているのか、私にはわからなかった。


 部屋の中心にデスクがあり、男がコーヒーメーカーのポットから中身をカップに注いでいた。

 私はその男に声をかけた。

「すみません。ここは無限図書館ですよね?」

「もちろん、そうです」

「さっきから同じような部屋ばかりで」

「無限に部屋がありますから」


 男の言うとおりだった。私はこれまでも同じ構造の部屋をいくつも通り抜けてきた。

 六角形の、全面に本棚がある部屋。

 最初の頃は本棚に並ぶ背表紙を眺めて歩いていたのだが、あまりにも数が多すぎて一冊一冊が区別できなくなってきていた。


「ここにある本だけでも無限に思えます」

「ごく一部ですよ。無限図書館には無限の本が収められています」

 男はカップの中のコーヒーに息を吹きかけている。飲むには熱すぎるのだろう。


「職員の方とお見受けします」

「私は司書です。無限分の1むげんぶんのいちの司書です」

「司書もたくさんいるのですか」

「たくさんではありません。無限です」

「そんなには見かけませんでしたが」

「部屋が無限にありますからな」

 無限の部屋に無限の司書がいるなら、すべての部屋にいるのではないだろうか。無限にも大小があるのだろうか?


「なにかご用でしょうか」

 司書に聞かれて、私は想像の中の無限から目の前の無限に意識を戻した。

「そうでした。私は作家なのですが、自分が何を書いても同じような作品が先に存在していることが気がかりなのです。そこで、無限に本があるという無限図書館でなら、まだ書かれていない本がないか探せるのではないかと」

「なるほど、それはおもしろいことを考えましたね」

 司書はコーヒーを一口すすろうとしてやめた。まだ熱いらしい。


「しかし、無限図書館にある無限の本は誰かが書いたものではないんです」

「誰も書いていない本があるんですか?」

「ふうむ。説明いたしましょう」

 司書はコーヒーを置き、デスクの上の本を取った。

 何の変哲もない本に見える。いや……あまりに大量の本を見すぎて、私に区別がついているかどうか、自信がない。


「本は何でできていますかな?」

「ページです」

「その通り。ですから、まずページから作ります」

「というと?」

「昔ながらのやり方では、まず無限の印刷機があります。それらの印刷機は、完全にランダムな文字を印刷します」

「完全にランダムな文字というのは?」

「漢字、ひらがな、カタカナ、英数字、顔文字、その他様々な文字を無作為にページに出力します。どこに空白があるか、どこで改行を行うかもランダムです」

「それじゃあデタラメに文字が打たれた紙が大量にできるだけだ」

「ですが、無限ですからね。ページを無限の編集者が集め、意味が繋がるページ同士を組み合わせて、たまたま一冊の本になったらそれが無限図書館に収められます」

「そんなやり方でこの大量の本を?」

 私は周囲を見回した。六角の壁の一面に本が隙間なく収められている。この部屋だけでも、1万冊はあるのではないか?


「まあ、それは昔の話です。今は仮想空間で無限のページを生成できますからな。仮想空間で編集者が組み合わせ、できあがった本を印刷します。この方法にしてから、かなり効率がよくなりました」

「何倍になったんですか?」

「はて。元が無限ですから、効率化しても無限です」

 今のは、聞いた方が悪かったかもしれない。


「それでは、ここにある本は誰かが書いたものではないんですね」

「そうです。しかし無限の組み合わせがありますから、すべての本の内容がここには収められています」

「書き手の意思が載っていないのではないですか?」

「誰かが書いた文章を活字で印刷した本と、ランダムな活字が印刷された本。すべての文字が同じとき、何が違うというのですかな?」

「ううむ、そう言われると……」

 釈然としないものを感じながら、私は話を進めることにした。


「しかし、ここにはありとあらゆるストーリーがあるということですか?」

「もちろん。無限ですからな」

「たとえば……人間の記憶を読み取って、その人を取り込もうとする惑星というのは?」

「もうあります」

「未来予知によって犯罪を防ぐ捜査官が、自分が犯罪を犯す未来を知ってしまうというのは?」

「もうあります」

「誰かが見た夢を預かって別の人に貸し出す銀行というのは?」

「とっくにあります」

 私が精一杯集めたアイデアをあっさりと流しながら、司書はコーヒーをすすった。


「じゃあ、何を書いてもすでに先にある本と同じになってしまうということですか?」

「無限図書館にはあらゆるストーリーが存在します。文字で書かれている限り、まったく存在しない本はありません」

「ううむ……。それじゃあ、新しい文章を作るのは不可能なのか」

「無限にある以上は、当然そうですな」

 司書はコーヒーに角砂糖を入れた。味変あじへんだろうか。


「あなたの独自性オリジナリティを守る方法があるとすれば、書いた話を発表せんことです」

「発表しない?」

「そうです。発表してしまえば、誰かが同じ話を見つけてきます。その人にとっては前に見た話ですが、あなたが発表さえしなければその話はあなたにとって唯一の作品であり続けます。他の作品と比べなければ、同じだとか劣ってるとか優れてるとか、そんな評価をつけられることはありません」

「しかし、私は私だけの作品を書きたくてこの図書館に来たんです」

 すでに無限の本があるのなら、完全に新しい作品を作ることはできないのだろうか。

 過去の作品を調べ、その内容からさらに発展させた物語を思いついたとしても、それすらもすでにあるとしたら……。


「では、すである本と同じ内容だとしても自分の作品として発表したいのですかな?」

 私は無限の本棚を見上げた。この壁の向こうにもまた同じ部屋があり、そこにも何万冊という本が収められている。そして部屋は無限に続き、無限の本がある。私が何を書こうとも、いまこの瞬間に考えていることさえ、この図書館にはすでに記されている……。


 私たちはしばし、互いに口を閉ざしていた。

 司書は私が考えているのを察したのだろう、自分の仕事に戻ることにしたようだ。デスクの上に積んであった本を手に取って、それを広げる。

 その動作を見て、私は思った。


 どうせ全ての本があるのに、なぜここにあるのはこの一冊なのか。

 どの本でもいい場所に、この本がここにある理由があるのではないか?


「そうだ、それだ」

 私は頷いた。

「それとは?」

「私が書いたということだ。すでにまったく同じ文字列の本が存在したとしても、それを私が書いたことはまだない。いつ、どこで、どんな風に、誰が書いたかってことまでは同じじゃない。もう同じ作品があるとしても、誰が誰に読ませているのかということは同じじゃないはずだ」

 司書は黙ってうなずいた。


「ありがとうございます。手間を取らせてすみません。まだない物語を探しに来たんですが、私が書きたいものを書きたいということがわかりました」

「たしかに、あなたが誰かのために書きたいと思う気持ち……それは無限図書館にもありません」

 司書はコーヒーを飲み終えた。


「分館の、無限+1プラスいち図書館にあります」

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