読書が本当に好き……か?

異端者

『読書が本当に好き……か?』本文

 私は、読書が本当に好きだろうか?


 時折、そう自問する。答えは……出ない。

 そもそも、自分にとって読書というのは「逃避」ではないのか?

 そう思わなくもない。

 では、何から逃げているのか?


 一つは、無力な自分から――

 一つは、どうしようもない現実から――

 一つは、苦痛と失敗しかない過去から――


 こうして、逃避する理由は幾らでも思い付く。

 要するに、私はそれらを考えるのが辛いのだ。だから、無意味な情報で頭の中を満たすことで考えないようにする。忙しい忙しいと連呼して後のことを考えない人間と同じだ。

 そう考えると、読書を心から大好きで、読むのが楽しいという方に申し訳ない。私のような逃避の手段として扱う人間は卑屈なのだと思わせられる。

 しかしそれでも、読み続ける。頭のメモリを本でいっぱいにしておかないと、辛いことを考えてしまう。それから逃げ続けるために。

 逃げるが勝ち――言葉としてはあるが、実際に「逃げ」を称賛する声は少ない。

 一般的には、逃げるという行為は何かしらネガティブな意味を含めて伝達される。逃げた人間を褒める者は少ない。リスクマネージメントが声高こわだかに叫ばれるこの時代でも、この国では「逃げるは恥」という精神論が不文律として蔓延はびこっている。

 ちなみに、私が読む本の多くは小説だ。エッセイや専門的な本も読まなくはないが、軽く読むには小説がちょうど良い。

 それも、文学作品などという高尚なものではない。大衆文学、娯楽小説とカテゴライズされる軽いもの。他人が二束三文で惜しげもなく古本屋に売ったようなものを、平然と読む。

 難解な文学作品には挑まない。安物の古本ばかり読む。


 これも「逃げ」である。


 お高いハードカバーの文学作品ばかり読んでいる方には、私の読書はいかにも「俗っぽい」ものに見えるだろう。

 俗世間にどっぷりと浸かり、現実から目をらして毒にも薬にもならない本を読む。いかにも低俗なやからだと風流人はまゆひそめることだろう。

 しかし、先に述べたように私の精神の安寧あんねいはそれで保たれている。理屈などではない。どんな薬よりも、無意味な情報で頭を満たすことは楽になる。だから読む。

 とはいえ、何時間も続けて読むことはできない。集中力が続かないからだ。どんな面白いと思った本でも、長時間続けて読むのは苦痛だ。途中で幾度となくしおりを挟む。


 これも「逃げ」である。


 私の精神はとっくの昔に壊れており、その脳も正常ではない。自身が世界を正しく認識しているかも怪しい。今いる世界は幻でないのか、本当は精神病院で見ている夢ではないのか――そう疑うこともある。むしろ、そうならばどれだけ幸せかと思わなくもない。少なくとも、これ以上心配する必要はないのだから。

 そんな不安とも期待とも知れぬ気持ちを抱きながら、私は今日も本のページをめくる。いまだに電子書籍にしないのは、気が向いたらすぐに手に取れるのも理由の一つかもしれないが、単純に画面で文字を追うのは疲れるからである。

 そのため、カクヨムで他作者様の作品を読む場合にも、なるべく長編は避ける。完結している短編ばかり読む。


 言うまでもなく「逃げ」である。


 全てから逃避して読書する。私のささやかな楽しみ。いや、現実逃避か。

 それは邪道かもしれない。ひょっとすると多くの著者にとっては「侮辱」なのかもしれない。それでも私は本を手に取る。


 誰のためでもない。ただ自身のエゴのために――

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