レッスン
真花
レッスン
あの日、電話でレッスンの予約をキャンセルしてから、ついに俺は次の約束の電話をかけなかったし、はるみちゃんからの連絡もなかった。高校二年生の大雨の日だった。俺は誰かと一緒にいて、そのときには大切だと思った、後から見れば思い出すことも出来ないような些細な用事のためのキャンセルだった。鼠のようにずぶ濡れの大通りを歩きながら携帯電話越しに話すはるみちゃんの声はいつもと何も変わらなかった。それからも俺は一人でピアノをかなり弾いたのに、はるみちゃんのところに再び習いに行こうとはしなかった。十年以上経って、今俺はのうのうと生きています。たくさんの失敗と恥と瑕疵を積み上げながら息をしています。それは思い出すのも嫌なものも含まれるけど後悔は一つもない。でも、はるみちゃんにその後に何の連絡もしなかった不義理だけは、その年数を重ねるごとに、確かに後悔になっている。最初はいつか自力でお金を稼げるようになったら最後のレッスン料を払いに行こうと思っていた。でも、行かなかった。何かアートなことがお金になったらと考え直して、でもそんな日はずっと来なかった。ところが小説を書くようになって、ついに賞金をもらった。じゃあ、はるみちゃんのところに行くかと言うと、行かない。いや、行こうと思ったんだ。でも、住所も連絡先ももう分からない。ネットで検索しても、繋がれそうな情報はない。はるみちゃんに会って何を言うのだ。まだ、胸を張れる成果には程遠い。違う。みっともない言い訳を並べる前にすることがあるだろう。
初夏の貫くような太陽に照らされた駅の前で待ち合わせた。俺は高校で上京したばかりで、分からないことが多い代わりに素直でいられた。遠くからその人がはるみちゃんだとすぐに分かった。花柄のワンピースと麦わら帽子で自転車を横に置いて立っているその周囲だけ、心の風景を投影したような別の空間になっていた。吸い寄せられて、目が合うとはるみちゃんは儚く笑った。挨拶をしてはるみちゃんの家まで歩いた。
両親と同居していると言う家の一階のひと部屋丸ごとが防音室になっていて、ソファと本棚とグランドピアノがあった。閉じられた部屋の密封はムッと息を殺させるようで、促されてソファに座った。はるみちゃんのレッスンの半分はソファに座っての話だった。最近の俺はどうかと問われたり、はるみちゃんの留学時代の話を聞いたり、だが、やっぱり本領はピアノに向かったときで、技術的なことはもとより、グルーヴやストーリー、イメージといったところに重点が置かれた。それらは究極的には、何を伝えたいのか、表現したいのか、と言うところに常に自覚的であることのレッスンだった。そして同時に、はるみちゃんはそのままだった。アートをする人、ではなく、アートを遂行し続けている、息づかいまでがアートだと感じた。まるでそう言う生き物だった。それはとてもエロかった。性的な要素は含まれるが、心が体の境界をはみ出して出ていることがエロい。だから当然演奏もエロくなる。全く下品ではない。レッスンが終われば玄関まで送ってくれて、そこから俺は一人で帰った。俺にははるみちゃんとはるみちゃんの巣の空気がまとわりついていて、それを溢すまいとする自分と、早く振り払いたい自分が同時にいた。
二週に一回のレッスンを続けて、行くときはいつも緊張した。まるで亀で、帰るときには羽を生やしていた。大雨の日が来るまで、その日ですら、レッスンはずっと継続すると思っていた。電話をしたとき、俺は本当に、またレッスンの約束をするつもりだった。些細な用事がどう作用したのかは分からないが俺は連絡をしなかった。忘れていた訳じゃないんだ。最初は。でも、次第に本当に忘れた。ときに思い出しても顔を逸らすように実行に移さなかった。そんなことを繰り返す内に俺の中のはるみちゃんへの小さなたくさんが累積して、今、後悔と名を付けるのに値する塊になっている。それは多分、俺の在り方の基盤にはるみちゃんが強烈に影響しているからなのだと思う。自分の成分に不義理をした。しかももう届かない。
ひとかどの人物に本当になれたら、必死ではるみちゃんを探すのだろうか。それともそのときもまた言い訳をするのだろうか。言い訳すらしないで、実行しないのだろうか。ピアノに就いて、自分で作った曲を弾く。はるみちゃんに習った曲は今はもう弾かない。楽譜はすぐそこにあるけど、弾かない。触れてしまって、あの時代が洪水のように戻って来るのに怯えているのかも知れない。今みたいに仮面を被って仕事をするなんて考えられなかった、シンプルで強かった頃、だからこそエロいはるみちゃんと対峙出来ていた頃。再びそうなりたいとは思わない。多少複雑でも、俺は俺で俺を生きているし、でも、はるみちゃんとの向き合い方は同じではいられないだろう。曲が嵐のように盛り上がったり、凪のように落ち着いたり、それは行き場のない青春のエネルギーの曲で、自分では好きだけどはるみちゃんに聞かせられるレベルではないことは明らかだ。これよりも小説の方が数段よい。多分、社会の中でちゃんと生きているとか、生活をまともにしているとか、家族を持つとか、そう言うところでははるみちゃんに胸を張ることは出来なくて、アートのものだけが、それに値する可能性を持つ。
「いいじゃない」
曲を仕上げたときに言われた言葉と同じ言葉を、もう一度言われたい。
(了)
レッスン 真花 @kawapsyc
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