終章:残響の観測者

 警察は、予定通り三日後にやってきた。


 彼らは、アリアの死を「原因不明の突然死」として、最終的に処理してしまった。


 クォンタム・ファラデーケージの存在も、物的証拠の完全な不在も、彼らの常識の範疇で解釈できるものではなかったからだ。


 僕も、榎園も、何も語らなかった。

 語るべき言葉は、彼らの世界には存在しなかったからだ。


 アリアの身体は、警察が到着する前、僕たちがケージの電源を落とした瞬間に、まるで陽炎のように揺らめき、一瞬で、ただの細かい塵となって、静かに床に積もった。


 警察はもちろん慌てた。しかし彼らは最終的にそれを、異常な速度で進んだ腐敗、と結論付けた。さすがにそれは無理があるだろう、と思ったが、彼らの中では書類のうえでの事実の整合性が取れればそれで十分のようだった。


 榎園は、数日後、この島を去った。荷物は、小さなバッグ一つだけだった。

 去り際、彼は僕に、初めて穏やかな笑顔を見せて、こう言った。


「苅部君、君はきっと理解してくれると思っていた。ドクターも言っていたよ。『新しい管理人は、私たちの理論の、最高の観測者になるだろう』ってね。彼女は、全てを分かっていたんだ」


 最高の観測者。


 その言葉の意味を、僕は、今なら理解できる。感情に惑わされず、現象を現象として、その構造をただ静かに見つめる存在。アリアは、自らの消失という、究極の実験を、正しく理解し、記録する人間を、必要としていたのだ。


 僕は、何も答えなかった。

 ただ、黙って彼を見送った。


 僕も、この島を去ることもできた。だが、僕は、残ることを選んだ。


 今でも時々、施錠されたままのアリアの部屋を、僕だけが持つマスターキーで開けて、中に入る。そこには誰もいない。塵一つない、完璧に清潔な空間。


 だが、時として、ふと、かすかに暖かい空気の流れを感じることがある。まるで、見えない何かが、僕の隣で、まだ思考を続けているかのように。


 アリアのQIDは、アルゴスから削除された。しかし、、情報として、今もこの島のシステムの中に、


 彼女は本当に消失したのか、それとも別の存在状態――純粋な情報生命体として、アルゴスの中に、あるいは宇宙そのものに偏在しているのか。


 僕には、どちらでもよかった。

 それは、もはや、定義の問題に過ぎない。


 重要なのは、美しい理論が、完璧に実証されたという、その事実だけだ。


 そして僕は、今日も、この島の、静かな背景でいることを選ぶ。


 いや、少し違うな。


 僕は、アリアが遺したこの美しき論理の世界を、ただ静かに見守り続ける、『観測者』であり続けている。


(了)

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【SF短編小説】テセウスの消失、あるいは彼女の存在確率 ~観測されない殺人~ 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi

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