Island Hopping

@miuram

第1話

【プロローグ】

南の島のセブであっても木陰は、汗ばんだ首筋に心地よい風をもたらすことがある。

週末に金曜日1日だけ休暇を取り金土日の2泊3日でこのパラダイスへバカンスにやって来た。

地球が丸いことを実感させる丸く見える水平線。

どこまでも続く青い空。そこに浮かぶまさに綿のような白い雲。

汚れを知らない透明に透きとおった海。

波と戯れる天然ネアカのPナ達。


僕は、普通に生きてきて、普通に暮らしているごく平凡な46歳の中年サラリーマン。今まで酒を飲んでドンちゃん騒ぎをして不覚にも恥ずかしいことをしでかした事もごくごく普通の人と同じくらいの数はある。フィリピンパブにも行ったこともある。マレーとスパニッシュの程よく交じり合ったセクシーな彼女たちを食べてみたいと思ったことも正直言えば無いとは言えない。


今は2004年7月の中旬。僕は今年になってまだ1日も有給休暇を取れないくらいに忙しい。毎晩深夜まで残業しているし、たまには自分のためにリフレッシュするための時間が欲しいと思っていた。そんな時、友人の新が僕に声を掛けてきた。

新は僕の友人の中でも特異な奴である。掴みどころがないようで細かいところに気が付き、繊細なようで大雑把なところがある。涙もろく人情家だが、ものすごいスケベでもある。仕事面でもズボラなようで、ツボを押さえ込んでいる。そういう奴だから何も考えずに僕を誘ったのか、または深い罠を仕掛けようとして誘ったのかわからない。いずれにしろ、偶然を装っているが、実は新は僕が休息を求めているのを彼の嗅覚で嗅ぎつけていたに違いない。見事に心の隙を突かれた。

「おーい、海外旅行に行こうよ」軽く声を掛けてきた。「いいよ」と即答してしまった。スケジュールを聞けば、2ヶ月も先のことだし、いつでもキャンセルできるだろうと軽く考えていた。しかし、そこには新の周到な罠がありこの時点で僕の運命は決まっていたのかもしれない。まぁ面倒なことは省略するとしてとにかく旅に出ることになった。


【ラストチャンス】

9月のある金曜日の早朝、3時半に新から携帯に電話があった。「おはよ、起きた」。

僕は倅とともにとっくに起きていた。ここ2週間自宅のおかあちゃんへのお勤めを今日のために怠っていた成果が早くも股間に現れていた。


ここは北関東の県庁所在地である地方都市。気になることが1つある。僕の上司が早朝九州に出張するために羽田へバスで行くというのだ。僕たちの乗るバスは4時40分発。上司の乗るバスもこの時間に近い。長距離バスのバス停は1つ。ばったり顔を合わせたらどうしよう。実のところ休暇の許可は得ていない。急な体調不良にして休むつもりだった。バス停の様子を遠くから見ていた。何とかクリアできそう。人目につかないようにバスに乗り込む。そして、3時間のバスの旅を終えて成田に到着。JALカウンターでチェックインしようとした時に携帯がなる。マジかよ。上司からだぁ。「むぉ、むぉ、おまえはん、何しておまんのや、あの件どぎゃんなっととちゃ~」と訳の分んない九州弁でまくし立て始めた。

困った。困った。困った。困ったの100連発。

搭乗まで時間がない。トージョーをドーシヨー。なんて馬鹿いっている場合じゃないでしょ。「9時40分発マニラ行き、最終案内を申し上げます。」なんてアナウンスが流れてきた。えらいことだぁ。あと10分しかない。むおぉ、こーなったら会社へ電話して誰かに頼んじゃえ。

そんなとき新から携帯へ電話「どーすんの。飛行機飛んじゃうよ」呑気なこと言ってんじゃないよ、飛んでんのはお前の頭だ、と毒づきながら「すぐに行きますよ。5分前には行きますよ」急いで電話を切った。この時が最後のチャンスだったのかもしれない。この時引き返せばあんなつらい思いをしないで済んだのに。


【セブ到着】

JAL741は定刻通りマニラ空港に降り立った。手荷物だけの僕たちはイミグレを通ったらすぐに表へ出られた。熱いと感じた。南国マニラに到着したことが肌で感じられた。タクシーで国内線ターミナルへ移動してフィリピン・エア・ラインへ乗り込んだ。マニラからセブまでは70分足らず。今朝3時に起床してから14時間。現地時間午後4時にやっと目的地のセブに到着した。

ここは、2000年直木賞受賞作、船戸与一氏が書き上げた「虹の谷の五月」の舞台となった場所である。日本人とフィリピン人の間に生まれた子供の目を通して描かれた大作である。14歳から16歳までの間の少年の成長する姿を書き上げたもので、最後に少年が年長者に向かってフィリピン人としての、人間としての「勇気と誇り」を説くシーンは感動ものだった。

そんなことを思い出した。

新の行動が変。「おかしいなぁ。迎えがいないぞ。」と独り言をかましながら到着ロビーをうろうろしている。こいつ大丈夫かなぁ。旅慣れてないなぁ。おもむろに携帯電話を取り出してどこかへ電話している。「Hello?」だと?こいつ英語喋るのかよ。でも、すぐに「もしもし」ってかましてやんの。やっぱり日本語だ。なんだかんだあったけど、何とかガイドとも出会えたしホテルにまではたどり着きそうだ。

ガイドの名前はアルフレッドといい、小柄な頭の禿げ上がった同年代の親父であった。どういうわけか新と仲がいい。新が前回ナ○バ○シさんとお忍びでセブに来たときのガイドさんで、その時に仲がよくなったらしい。ここでは、変に格好つけたり偉ぶったりしないで、自然体で接することが仲良くなる秘訣のようだ。もともと裏表をつくるなど器用なことのできない新にとってはまことに都合のいい国のようである。

ホテルはWaterFront‐CebuCityといい、南国の地の豪華なお城そのものの威容でそびえ立っている、いかにも高級ホテルといった風情であった。新にしてはなかなかいい所を予約したのもだと感心した。

チェックインを済ませ、荷物を部屋に置き早速街に出ることにした。部屋の前に立ちカードキーを差込み、今晩の営みを行うのはどんな部屋かとわくわくしながら入っていった。う~ん、少し狭いようだけどまぁまぁかな、などと眺めていた。カーテンを開けると、山なみが夕陽にあたって黄金色に輝いている。どちらかというとオーシャンビューを期待していたのだけれど、これも悪くないなと、だんだん気に入ってきた。そうだ、トイレはどうだろう。僕は長男だけどお尻は次男です、なんて。ウォッシュレットはあるはずないだろうけど、きれいかなぁ?

嘘だろ!おいっ!。何でバスタブが無いんだよぉ。シャワーだけやんけ。やっぱり新が予約しただけのことはある。あんの野郎、値切りやがったな。

バスタブで海を眺める僕の姿を思い浮かべて楽しみにしてきたのに。

今日何回目かの毒突きを発しながらエレベーターでロビーに降りていった。


【シーフード・レストラン】

1BOXの車に乗り込み街にでることにした。まだ夕方5時である。

「新さん、何を食べますか?」アルフレッドが聞いてきた。

「そうだなぁ、サッパリしたものがいいなぁ」と新が返事。僕も同感。

「そうですかぁ、それでは焼肉にしましょうか?」。

おいおい、どこがさっぱりなんだよ。

「いや、あっさりしたものでいいんだ。シーフードはあるかな?」

「はーい、わかりました。焼肉は美味しいですよ~。シーフードですねぇ」

こいつ、本当に焼肉が食いたいらしいな。


シーフードレストランでは、腰より少し低いぐらいの高さにショーケースのようなものが並び、色々な食材が載せられている。

それをカートに入れながら、いちいち料理法をついてきている店のお兄ちゃんに指示していく。始めに大きさや種類の異なる海老と蟹が並び、次が魚、イカ、タコがあり、野菜は頭の上までありそうな棚に並んでいる。

さすがに南国で果物も豊富だ。ワイン棚もある。これはなかなか期待が持てそうだ。

こういう所では、現地人のガイドが同じ席で食事をするのは珍しいようだが、固辞するアルフレッドを誘ってサンミゲルで乾杯した。

前菜を頬張りながら次の行先を相談するために。

僕は初めての地であるのであまり口は出さない。

しかし、期待もしていない。だいたい新と今日一日いるけど禄な目に会っていない。この先だって何があるかわかりゃしない。

イカ、貝、わけの分からない野菜、魚、えび、少し酸味のあるバター味のソース。どれをつついても旨い。ラベルにBordeauxと書かれたワイン。本物かどうか分からないけど酸味が強くてこれらの食事にぴったりだ。

食事はシーフードと決め、食材と料理法を決めた新を褒めようと思ったけど、止めとくことにする。きっと落ちがあるような気がする。

ラプラプという魚が出てきた。網焼きのようにして、黒っぽいソースがかかっている。箸をつけてみるとぷりぷりの白身魚で味も淡白、またこのソ-スが懐かしみのあるいい香りをだしている。傍らにいるボーイにこのソースは何だと聞いてみた。

「キッコマン!」と即答された。どこがフィリピン料理だよ。日本の焼き魚そのものじゃねぇか。やっぱり新を褒めないでよかった。


しかし、それを割り引いても旨い。大いに飲み、たらふく食べた。サンミゲルは小瓶だが5~6本は飲んだと思う。ワインは銘柄の異なるものが3本並んでいる。久しぶりの満腹感である。急に、そしてかなり酔いがまわってきた。旅の疲れがあるかもしれない。


日本でこれだけ飲み食いすれば相当な金額になるだろう。ここでは日本で食事した場合の1人分ぐらいの料金で3人が食事できる。それでも現地の人たちから見れば最低賃金の30日分ぐらいの散財である。ここでの最低賃金は1日で204ペソ。マニラ空港で1万円札を両替したときには5000ペソだったので400円強が最低賃金である。それでも失業率が11%以上というから最低賃金の仕事にも就けない人が多さんいるということだ。さらに、日本のように戸籍がはっきりしているわけではないので実質的な失業率は公式発表の倍以上になっているという話を聞いたことがある。呑気にフィリピン料理は旨い旨いなどといっているのはごまかしである。本当のフィリピンの家庭ではここで取った食材の100分の1程度のコストで食卓を囲むのだ。

そして、この貧しさに付け込んで僕たちはこの旅行を楽しもうとしているのだ。アルコールで痺れた頭の中で罪悪感と闘っていた。新が言う。「その通りだ。この国は貧しい。しかし、君が今晩1人の女の子を買えば、その家族は、2週間は食事の心配をしないで済む。国全体を救えなくとも1つの家族を救うことが出来るのだ。」バカな屁理屈だ。新も分かって言っているのだ。僕たちは置屋へと向かった。


【KTV】

アルフレッドの案内で1軒の置屋に着いた。KTVって何だ?神奈川テレビではないよう思うけど何なんだろう。「カラオケのことらしいよ」と新が教えてくれた。暗くじめじめしたところにしわくちゃなやり手婆ぁがいて、客の好みと懐を見ながら今晩の相手をする女の子を決めるのかと思っていた。

実際にはえらい違いだ。

ドアを開けたとたんに「ラッシャイ、マッセー!」と勢いのいい掛け声、じゃなかった挨拶。ひな壇のようなところに60人以上の女性が並んでいる。同じ衣装だが、体の線をこれでもかっとばかりに強調する、とても正視することが躊躇われるようなものだ。派手な照明の下で、肩をむきだしにして、豊満な胸はその半分も衣装で覆われてはいない。わざとであるには違いないがどの娘も飛びっきりの笑顔をこちらに向けている。生きていくのに必要な臓器がすべて入っているとは思えないような腰のくびれ。細く、しなやかに、長く伸びた足は、とてもアジアの女性とは思えない美しさである。

ボックス席もあるが新はカウンターバーにアルフレッドと座っている。理由を聞いてみた。カラオケしたらお金がかかる、ここでは女の娘を選んですぐにホテルに持って帰るというではないか!なんと直接的で、なんて素敵な意見なんだ!またもや新を見直そうと思ったが、やっぱり止めといた。

鼻の下が伸びてくるのが自分で分かる。どの娘にしようか、あれっ新がいない。

バーカウンターの背後には、10人ぐらいが座れるボックス席が12席ある。そしてその向こう側、正面には50畳ぐらいのかなりの広さのステージがある。ホテルを出たのが5時。食事や移動で今は7時半くらいかもしれない。時計を持つ習慣のない僕には正確な時間は分からないが、僕たちを除けばまだ1組の客もきてはなく、女性たちはステージの鏡のようなところで化粧を整えていた。まだ店はオープンの時間ではないようだ。そのステージの上に新がいるではないか。あれ、よく見るとひな壇の女性たちと衣装が違うような気がする。もっとキラキラと光っている派手な素材で、華やかな衣装を身にまといあとは同系色のシースルーの絹のような滑らかな衣装を着けている。ステージの上から新がやり手婆ぁを手招きしている。僕の方にも手招きをしているが、僕は恥ずかしくて足が動かない。

新がステージから降りてきた。あの派手な衣装の娘たちは、ひな壇と違ってダンサーだそうで料金は50%増しだそうだ、しかし全員10代でピチピチしているとのこと。全く日本語を解さないやり手婆ぁとここまでコミュニケーションをとれるとは新はすごい!ともう少しで褒めてしまうところをまたもやぐっと堪えた。


ステージの娘は10人ぐらいいた。

全員がやはりこちらを笑顔で見ている。私を選んでとどの娘も目に力を入れている。ひな壇もよかったがこっちのほうが数段いい。

あれっ、1人だけ下を向いている娘がいる。口元を恥ずかしそうにしている。真っ白い歯が少しだけ覗いている。後ろを向いてしまった。肩にたれている真っ直ぐの髪がうなじのところで分かれている。

あっ!ばか!新のアンポンたれ!

またステージに上がってその娘を手を握っている。

やっぱりアイツだけは褒めてはいけない!

その手を離さずにこちらにやってきた。

新も気に入ってしまったらしい。コイツの図々しさと自分のシャイを呪った。


「お~い、お前この娘が気に入ったのか?」と新が言った。まさか勝ち誇っているんじゃないだろうな。

僕が返事を出来ないでいると「え~い、面倒だ。この娘にしよう!」と僕に押し付けてきた。僕は新を誤解していた。

シャイな僕に代わって段取りを付けてくれていたのだ。しかも自分が選ぶよりも先に。


「May I have your name, please?」

「....Ayah....」

これがあややとの出会いだった。


僕たちはまたも1BOXに乗り込みホテルへと戻った。

違うことはあややが僕の隣に座っていることだ。あややは両手を膝に置いて緊張してる。ゆれる座席で席から身体が落ちないようにどこかに手を突っ張っていたいが、あややと身体が触れそうになり恥ずかしくてそれもできない。

この車の中で僕が1番緊張していることが分かる。心臓はドキドキ。頭はクラクラ、喉はカラカラ、手はガクガク、腰はグングン、息子はビンビン。

新を怨んだことを後悔した。

コイツは本当はいい奴なのだ。

その時、ふと妙なことに気付いた。

なんで新は1人なんだ。こいつ女に興味ないのか?ホモなのか?

「実は、ホテルで待ち合わせをしてるんだよ」と言う。

「前回Cebuに来たときに知り合った娘で、9時にホテルのロビーで待ち合わせなんだ。早くしないと9時になっちゃう。」

嘘だろ、コイツ!

自分の彼女に会うために、海外旅行が1人じゃ嫌だから、この僕を誘ったというのか!

この僕を当て馬にしたのか!

コイツだけは絶対に褒めたり、持ち上げたりしない。

悪魔のような奴だ。本当に悪魔だ!

こんな素敵なあややを僕の前に持ってきて、僕を邪悪の世界に引きずり込もうとしているのに違いない。

引きずり込まれてなるものか。引きずり込まれるぐらいなら、こっちから飛び込んでやる。

そっと、あややの右肩に僕の右手をまわした。一瞬ビクッとして僕の目を見た。

澄んだ目だ。

あややは僕の胸に顔をうずめた。


「おい運転手。早くしろよ、9時になっちゃったじゃね~か」と新が騒いでいる。

新も自ら地獄に落ちた1人に違いないと思った。


【もう一度宴会】

ホテルに着いた。

ロビーには新の彼女らしき姿はない。

「いいよ。お前らは部屋に行ってれば..」と力なく新は言う。

ここで待っていても万が一彼女が来なかったときは、彼が落ち込んでいる姿を見なければならなくなる。誰だってそんな姿は見せたくないものだ。

「このまま待っているのか」と聞いてみた。「う~ん。あと10分待って来なかったらさっきのKTV行ってくる。もうひとりかわいい娘がいたんだよ。」

コイツは落ち込んだことあるんだろうか、とあきれてしまった。


僕は自分の部屋に行くことにした、もちろんあややと一緒に。

エレベータの中は他にも宿泊客がいた。

僕たちがどういう関係なのか、穿っているようで恥ずかしい。無言のまま10Fまできた。2人とも下を向きながらエレベータを降りた。1025室の前まで来た。

手が震えてカードキーをスリッドの中にうまく入れられない。カチッカチッとプラスティックのカードがあたる音がする。

あややが両手を添えてきた。震えがとまった。カードを押し込むことができた。

目を見合わせた。2人で少しだけ笑った。

「めでたく、ふたりで初めての共同作業を行うことができました。」結婚披露宴のケーキ入刃のお決まりの挨拶を思い出した。


部屋に入った。ぎこちない2人。

僕はベットに腰掛け、あややは椅子に浅く腰掛けている。

年齢は、何処に住んでいるの、家族は、何をしているのなどなど、聞いても意味のないことを聞いていた。TVをつけてみた。

時間の過ぎ行くのを長く感じた。言葉が途切れ静まり返った部屋。TVの音は、余計に静けさを際立たせる。

突然、「ピーンポーン」ドアチャイムの音がした。

ドアの外には新がいた。「お~い。俺の部屋で飲もうぜ」と言う。

このままでもやることがないので行くことにした。

新の部屋は1人だった。少しかわいそうになった。

やはり、ああは言ってももう一度KTVへは行かなかったんだと思った。

今日は飲みたいのだろう、僕も付き合うよ。あややは冷蔵庫からサンミゲルを取り出した。僕は新が日本から持ってきた焼酎を飲むことにした。

その時バスルームから褐色のPナが服を脱ぎ飛び出だしてきた。

「お~い、マリセル。おれの友達とその彼女だ。裸じゃ失礼だろ。おれのTシャツでも着ていろ。挨拶くらいしろよ」

やっぱり新は食えない奴だと本日、数十回目の毒突きをした。


日本から持ち込んだ焼酎とつまみで1時間ほど4人で、飲んで、食べて、喋った。

Pナ2人は全く日本語ができなかった。僕らは英語で会話するしかなかった。

新は英語ではなく、単語を無茶苦茶に並べるだけだった。

マリセルはかなりの英語の使い手だった。それが理解できる僕も相当なものだ。あややも発音は怪しいがなかなかのものだった。

緊張していたあややもアルコールの手伝いもあり、かなりリラックスしてきた。元々陽気なフィリピーナなので時間はかからなかった。

「そろそろお前たちも自分の部屋に戻ったら?」と新が言った。

この時初めて分かった。新が自分の部屋に僕たちを呼んだ理由が。


廊下の途中で何人かの宿泊客と行き会った。僕たちは先程のエレベータの中とは違い、互いの手を握り合っていた。

「新はいい奴だろ」とあややに聞いた。

「あなたのお友達だもん」とあややは答えた。


【ついに、】

ついについにこの瞬間が訪れた。

二人きりの部屋。

はにかんだ少女の笑顔。

最初に何をしたらいいのだろう。

夜は長いし、焦ることはないのだけれども、心臓が早鐘を打ち、バックンバックンいっている。ついでに股間もバックンバックン脈打っている。

あややが最初にシャワーをと言って僕の手を引いた。

ベットから腰を上げるとしっかりとテントになっていた。

うう~ん、グレイト、と自画自賛。

あややも涎を垂らして眺めてい、、いない。

目を伏せ、むしろ恥ずかしそうにしている。

「かわいい。。。」その少女の恥じらいが僕を凶暴な情熱的な気持ちにしてしまった。

「駄目、シャワーが先」と言うあややを無理やりベットに押し倒してしまった。

ボクに似合わない、かなり積極的な気持ちの表れだった。あややの抵抗はなかった。

情熱的な気持ちは彼女の気持ちを心が通じ合った。

そして五感での満足感をもう少しで手に入れるところまで来た。

しかし、どんなに頑張っても46歳の僕には、少しばかり酒の量が多かったようだ。

頭の中は弾けているのに、肝心の僕の気持ちがお休みモードになってきた。

バカ!こんな時に何やってんだ!

この2週間貯めてきたのはこの瞬間を迎えるためではないか!

ああぁ!

もうだめだ!

これが世に聞く、途中で気持ちが途切れたかぁ。

本懐遂げられず、残念な気持ち!


情熱的な気持ちは優しさを隠した情熱だった。

ベットの端に腰を下ろした。


肩を落としてしょげている僕の手をあややはやさしく撫でてくれている。

あややの目は、さげずんでいる色はない。哀れみもない。どちらかというと喜びの色を浮かべている。

「ほんの一瞬でもひとつになれて幸せだった」とあややが言ってくれた。

僕はもう死んでもかまわない。


そのあと、ベットの上で明け方まで2人で話をした。

狭いベットだと思っていたが、今はとても広く感じている。

僕とあややのあいだに隙間はなくなっていた。


【アイコンタクト】

旅の疲れと快い緊張からかぐっすりと寝てしまった。何か幸せな気分の寝覚めである。

左の腕が少ししびれている。僕の腕の中で寝ているあやや。

心地よさそうな控えめな寝息と、柔らかく艶やかな髪からのシャンプーの香りが僕の鼻腔をくすぐる。窓から差し込むレースのカーテン越しの柔らかな朝日があややの足元で暖かくおよいでいる。

僕って幸せだぁ。この寝顔をず~っと見ていたい。

大きめのTシャツからはみ出している肢体を見ながら困ってきた。

今頃元気になってどうすんだよ、このバカ息子!

あややが寝返りを打ち、僕の足にあややの足が絡まってきた。

そこに足を乗せたら痛いってば。はね返してやる。息子よ、がんばれ!えいっ!やっとひっくり返した。

寝返りを打つ彼女だ。またも足を絡ませてくる。しかも同じ位置に。

このままでは、恥ずかしいくらいに大きくなってしまう。

もう一度がんばれ、わが息子!もう一度ひっくり返した。

そのショックでうっすらと目をあけるあやや。

やさしくあややに声を掛けた。「I’m sorry do I disturb you? 」

「ううん、だいじょうぶ。それよりもこれは何?」

そんなとこ触ったら駄目だっちゅうのに。

「あっ!だめ!」

「だいじょうぶよ」

「えっ?何がだいじょうぶ?」

「むふん」

「あっ、そんなぁ。あっ、お願いしますよぉ、本当にぃ、冗談やめてくださいよぉ、おおっとぉ、止めてください。あれぇ、そんな仕草があるの。むはぁ、驚きだよ。ええっえええええ。。僕が悪かった。。わああああああああああ。」


昨晩の気持ちを伝えた。

二人一緒に少し熱めのシャワーを浴びた。


一緒に朝食を摂りに階下へエレベータで降りていった。

レストランの中にはすでに新がマリセルと座っていた。

「お~い。ここだよぉ」と新がこちらに大声を掛ける。

ばか、かっこ悪いじゃねぇか、やめろよ大声出すのは、心の中で罵った。

4人で朝食を摂りながら互いのカップルは牽制と推察のつばぜり合いをしていた。

新の様子が変。

まさか、僕と同じかな。そうだよな。こいつは酒が好きでガンガンやってたもんな。僕の倍は飲んでいたよな。

「新さん。どうかしたの?」とりあえず心配そうに聞いてみた。

「二日酔いだよ。頭がぐるぐるまわっているよ。」と機嫌悪そうな返事。

やっぱりな。この様子だと僕のように取り返すこともできなかったに違いない。

マリセルもこころなし不満げな様子に見える。

やっぱり正義は勝ったのだ。あややもこの状況を察したらしい。

僕達は目と目で祝福の視線を交わしたをとった。


【島巡り】

朝食を終え、待ち合わせの8時丁度にガイドのアルフレッドが迎えにきた。今日は、Cebuの最もCebuらしいところでのんびりしようとアイランドホッピング(Island Hopping)に行くことにしていた。セブシティから車で30分くらい、空港のあるマクタン島に渡った。フィリピンは7100以上の島からなる国である。もっとも早く外国文化に触れたのがこのセブで1521年にポルトガルの冒険家マゼランが上陸したのをきっかけに大きく歴史が変化したのはよく知られていることである。このセブだけでも167もの島がある。400年以上にわたるスペインの植民地、第2次世界大戦下の日本の支配、その後のアメリカの統治と常に巨大国に押さえつけられていた民族であるが、ここに住んでいる人たちは屈託なく笑い、その性格は掛け値なくピュアである。空港は日本のODAで建設された。セブ島とマクタン島を結ぶ1000mの2つの大きな橋は日本の円借款で建設された。少しは我々が日本で払っている税金が生きていると感じられる。さらに、フィリピン政府はこの円借款の返済は行っていないようである。個人的には、もう返さなくてもいいよ、と言ってあげたい。


アルフレッドの名刺にはNihongo Speaking Tour Guideと書いてある。よっぽどの日本通かと思ったが、ビザが下りずに日本へは一度も行ったことがないそうだ。学校で学んだ日本語はセブへ来る日本人にはほとんど通じず、ガイドをしながらもう一度勉強をし直したそうだ。3人の娘をキリスト教系の大学に入れたために生活は苦しいが、一生懸命働いている自分を家族は尊敬しており、自分は幸せであると言っていた。

フィリピンでは、男性をpilipino(フィリピーノ)といい、女性をpilipina(フィリピーナ)ということはよく知られている。このように男性の名前の最後の文字は「o」で、女性は「a」になっている。例えば、このガイドの名前はAlfredoとつづる。女性だったらAlfreda(アルフレーダ)になり、結構そういう名前の女性もいるらしい。前に紹介した日本人とフィリピン人の間に生まれた子供も、男の子はJapino(ジャピーノ)であり、女の子はJapina(ジャピーナ)になる。昔の日本人も、男の子なら「男」「夫」などがつき、女の子なら「子」がついていたものである。流行り廃りが名前にまで及ぶ日本と、頑なに変化しないフィリピンの長短を比べる気はないが、好みで言えば僕はこの国がかなり好きになってきた。


マクタン島の東海岸のヨットハーバーに到着した。東シナ海が広がる。今は雨季であるが幸運にも晴れ渡っている。目指す島は、パンダノン島。もちろんボートはセブ独特のバンカーボート。細い船体から両側に竹で組まれた大型の鳥の羽のようなものでバランスをとっている。アルフレッドを含め5人が船に乗り込む。船頭さんを入れて乗組員は4名。竹の竿を操り、50mほど船着場から離れたところで旧式の船外機を回した。すんごい音。ここからバンダノン島までは4kmくらいで30分。一直線に進んでいく。


日差しはきついがボートには布製の幌がついている。海の風が心地よい。空の青さをさらに澄んだ色にしたコバルトブルーの海。パラセイルは上空100mくらいまであがっている。新はサンミゲルを飲みながらデジカメにこの風景を貪欲に収めている。きれいだ。


パンダノン島、ここ最近アイランドホッピングでは定番となってきた島。島の目の前はフィッシュサンクチュアリ(魚の保護区)になっているので、魚の数・種類とも非常に多く、

ダイビングやシュノーケリングのポイントとなっている。

信州で生まれ育った僕にはこの美しさを言葉で表せるほど日本語を知らない。写真を見ればこの時のことを思い出すが、それでも全体の風景の数十分の一に過ぎない。


船の上で4人は水着に着替え海に入った。手にパンをもって揉み解すと無数の熱帯魚たちがそれを狙ってつつきにくる。あややは怖いと言いながら手をすくめるが顔は笑っている。彼女にとっても初めての体験のようだ。新はシュノーケル、ライフジャケット、フィンとフル装備でプカプカ浮かんでいる。後日談だが、この時の日やけあとが彼の家庭で問題になった。出張といってフィリピンに行ったのに何で日焼けしてきたのと詰め寄られたらしい。そんなこと分かりきっているのに、それを忘れてしまうほどの美しさである。TVで見たこともあるし、雑誌の写真で見たこともあるが、それらは目の当たりにする実物の一端しか表していないことがわかる。


島に上陸してバーベキューを楽しんだ。鶏肉、豚肉、魚、やさい、海老、かに、ここまでは何となく正体がわかるけど、かえるみたいなの、へびのようなもの、わけのわからないものも多さん出てきた。

よく食べた。よく飲んだ。よく遊んだ。


本来ならここであややとはお別れである。悲しいけれど、一晩限りの約束なのだから。

でも、帰りの車中であややに今晩僕の部屋に来ないかと誘った。

あややは僕の胸の中でうなずいた。


来てよかった。新ちゃん、今まで毒づいてゴメン。新の誘いに乗ってよかった。心の底から新に感謝した。


【再会】

ホテルには1時半に戻ってきた。

あややは一旦家に帰り、シャワーを浴びて着替えをしてから夕方の5時頃もう一度来ることになった。アルフレッドは6時に迎えにくる。それまで僕は昼寝をすることにした。新も部屋でおとなしくしているに違いない。いや、昨晩を取り返しているかもしれない。僕にとってはどうでもいいことだけど。


6時少し前に目が覚めた。何かが物足りない。あややが来なかった。僕は信じられなかった。目覚めたとはいえ、夢を見ているようだった。覚醒しない頭を引きずって6時にロビーへ降りていった。新とアルフレッドがいた。あれっマリセルもいない。

言葉少なに3人は車に乗った。

「新さん、今日は何を食べますか?」とアルフレッドが尋ねた。

「何がいいかなぁ」

「焼肉がおいしいですよ」

「さっぱりした日本食がいいなぁ」

「焼肉は日本食ですよ」

アルフレッドはどうしても焼肉屋に連れて行きたいらしい。

「日本食レストラン!」と新は断定的に短く言った。機嫌悪そうだ。


刺身、焼き魚、冷奴など純日本食を摂りながら、あややが、そしてマリセルがなぜここに居ないかを話した。マリセルは子供が発熱のトラブルでレイテ島に帰ってしまったとのことだった。子供がいたの?、少し驚いた。あややは、どうしてだかわからない。

新が「きっと何かのトラブルだよ。元気出せよ」と、さっきまでの不機嫌から急激に立ち直っている。どういう性格だ、こいつは。人の不幸を聞きつけたとたんに、自分の不機嫌を直せるこいつの性格は歪みきっているに違いない。慰めてもらうほどに腹が立ってきた。

「もう一回、昨日のKTVに行こうぜ」と新が言う。

僕は断った。もしかしたらあややが僕の部屋に来るかもしれないという期待と、KTVにあややがいたときのやり切れない失望感を味わうのが嫌だった。

新は強引であった。そういえば昨晩、もう1人かわいい娘がいたとか言ってたけど、それが狙いだとすれば、完全に頭からはマリセルが抜けて、別のことが弾けまくっているに違いない。

まずい食事の後、KTVへ行った。

あややはいなかった。もしかしたら部屋に行っているのではないかという不安といなくて残念という気持ちと複雑な気分になってきた。

「お~い、おれはこの娘にする。」と新は馬鹿っぽい娘を連れてきた。

さらに「あややは、on the way らしいぜ。もうすぐ来るから待ってよう。」と言う。

やはり、あややは部屋には行かなかったようだ。


そして5分後、あややと再会した。

様子が変。たった今まで泣いていたように目が腫れている。

「どうして、部屋にいなかったの?」とあややが僕に尋ねた。

この一言ですべてが溶解した。

僕が大バカだった。新以上のバカだ!昼寝してあややが来たことに気付かずに意地汚く寝ている自分の姿を思い浮かべ、そしてその姿を呪った。


【あやや】

日本人にしては金持ちでもない。

顔も面白い。寝ている時も、Hしている時も、きっと怒っている時も、眉毛が八の字で笑っているようにしか見えないに違いない。

しかも、フィリピンの男たちのように筋肉質でもなく力もない。

さらに、夜もあまり期待できない。

でも、でも、彼は嘘をつかない。

少なくとも私に対してはとても優しく誠実な目を向けてくれた。

ここでは裏切られることは日常茶飯事で慣れている。人のことを、特に外国人の旅行者の言うことなど本気にしたことなど一度もない。自分が傷付くことを恐れるというよりも、ここで生きていくためにあってはならないことだと血が言わしめている。

私が何の仕事をしているかは自分自身が一番よく知っている。8人の家族のためにステージで踊っている。客の好色の目にさらされ、たまにはその欲望の捧げ物にされることもある。それでも家族が生きていくためならと自分を納得させていた。

でも今日は違っていた。お金のためではなく、自分の心に正直に行動するために約束どおり5時に彼の部屋のドアをノックした。

彼の目が私を見てくれる。彼の声が私の耳に心地よく響きすべてを和ませてくれる。

彼の手が私の肩をやさしく抱いてくれる。

こんな気持ちになったのは初めて。

でも、彼はノックの音に返事をくれなかった。

私は裏切られたのだろうか。からかわれたのだろうか。

彼のいないホテルの部屋から家まで歩きながら幾度も考えていた。

小さいときからの癖、「しょうがないよ」と、自分に言い聞かせていた。この一言でいつも心に傷がつかないように庇ってきた。

なのに涙が出てきた。

嘘をつかれたという悲しみ?

彼を信じて傷ついた自分への慰め?

割り切れない思いが続いた。

でも、悲しくも、辛くもなかった。

涙の理由は、彼を信じているという自分自身の心への喜びのためだと気付いたから。

きっと来てくれる。

必ず私を迎えに来てくれる。

そう思うと涙が止まらなくなってきた。


そしてその通り来てくれた。

私の王子様は来てくれた。


でも、私が信じたのはここまで。

これ以上を望んでも彼はきっと応えてくれる。

私の心を正直に打ち明けても、彼はそれをまっすぐに受けとめてくれる。

だからここまででいい。

ここまでで今まで味わったことのない幸せをもらったから。

「行けないよ。私達はこれ以上先には進めないよ。」


【真実】

昼間、僕はあやや、いや彼女に何をしてあげられるのだろう思っていた。叩きのめされた。してあげるなどと何とも傲慢なことを考えていたことに。

ここから先はあややとは書けない。半分冗談の混じった呼び方はここから先の物語には似合わない。本名も書けない、まだ思い出にするのはあまりに僕が.....


彼女の笑顔の変化に気づいた。天然の明るさとはちがう笑顔に。

彼女の笑顔の本質は、喜びや楽しみではなかった。

相手の笑みを誘うための笑顔なのだった。

今の彼女は笑うのが下手なのだ。言い換えれば、生きていくのが下手なのだ。

彼女の笑顔が、本物の喜びなら、それを見た人間は自分もつり込まれて自然に笑うだろう。だが、たとえ相手が子供であっても、彼女の笑みにはつり込むだけの力はなかった。

どこかに痛ましさを感じさせるその笑みは、媚ともちがう、彼女の不器用な人との接し方を現していた。

僕は迷っていた。

初めてのときは何も感じなかった。もう一度見た。

笑みの向こうに透けているものを感じた。

くり返し彼女の笑顔を見た。いくども、いくども見た。

今も目を閉じれば、部屋の中で笑みを浮かべている彼女の姿が浮かぶ。


そして僕は真実を悟った。

彼女の笑みの真実の意味を。それは僕の心だった。彼女の愛、僕の愛。あまりにも当たり前で、それでいて否定する以前にそんなことはあり得ないと理性が本能を抑制していた、人間としての当たり前の感情。


彼女の笑みが言う。

「行ケナイヨ。私達ハコレイジョウハ先ニハ進メナイヨ。」


彼女は僕のことを考えて、その悲しげな笑顔を向けていてくれたのだ。

自分のことを投げ出して、自分のことよりもこの僕を思ってくれていたのだ。

本当に生きていくのが下手な彼女なのだ。

ひとこと言ってくれたら、僕は一歩を踏み出せるのに。

僕は彼女の肩を抱き寄せ、しなやかで光り輝く漆黒の髪を、いつまでもいつまでも指にからませながら、その髪を梳くことしかできなかった。


【終ってない?】

真実を悟った僕たちにこれ以上の物語を続ける必要があるのだろうか。

もうすべてを語り尽くしたように思う。

しかし、こんな格好いい終わり方をさせてくれるほど、今回の旅のツレ、そう新は甘い奴ではなかった。残念ながら、あの悪魔のような新の顔が脳裏に浮かぶ。薄ら笑いを浮かべ、邪悪な心を親切そうな笑顔で隠した、あの顔が浮かんだ。


ホテルに戻って2人きりになって沈黙の時間が続いた。

明らかに昨晩とは違う。

たった2日間であったが僕たちには言葉は必要なくなっていた。

どこから誰に見られていようとも恥ずかしがる必要もなくなっていた。


気持ちが通じ合っているときの沈黙は、別な面で心を錐で刺されているように痛みがある。あややは昨晩と同様にサンミゲルをゆっくりと飲んでいる。続く沈黙とあややの僕をじっと見つめる瞳が、僕にもっと強い酒を飲みたくさせた。

ミニバーでジントニックを作ろうとしたが、炭酸が無かったのでストレートで飲んだ。

ミニバーのミニチュアボトルの1本ではとても足りなかった。


2本目はラム酒を一気にあおった。

酔いが少しだけ気分を楽にさせてくれた。振り向くとあややはバスタオルで身体をおおっていた。まずはシャワーを浴びようとあややが言った。なんか昨日も同じ言葉を聞いたようだ。違うのが僕がその気にならないことだ。僕も部屋着に着替えそれぞれシャワーを浴びた。

気まずさを感じることはなかった。これからだって、これからも良い関係を築けるかもしれないと思った。


3本目のバーボンを飲みながら少しづつ会話をつづけた。

キーワードはこれからの僕たち。

あややのお母さんとおねえさんがインターネットカフェで働いている。そのため、よく遊びに行っていること。インターネットで日本を始め世界中のことを夢中になって学んでいること。

「ねぇ。プライベートのメールアドレス持っているの?」と僕は聞いてみた。

「もちろん持っているよ。あなたは?」

早く言えよ。これだ!これでこれから日本へ帰ってもコミュニケーションが取れるじゃないか。アドレスを教え合った。もちろん僕は会社のアドレスではなく、yahooのプライベートアドレスを教えた。乾杯だぁ。


4本目のウォッカをグラスに注いだ。

「実はわたし......」と神妙な顔をしてあややが何かを言おうとした。

僕は何かを予感した。どちらかというと悪い予感が。

「何でも聞くから、言ってごらん」ぼくは喉をごくりと鳴らして先を促した。

「実は、1月に日本に行くことが決まったの......」あややが小声で言った。

「なっ!なっ!何なんだとぉ~!」僕は絶叫してしまった。


5本目のスコッチを左手に持ち、祝いだ~!祝いだ~!と踊りまわってしまった。

「喜んでくれるの?」

「あったりめぇじゃねぇ~か!」


僕たちは互いのすべてを貪りあった。

そしてひとつになることができた。


しかし、またもや昨晩と同じことが起こってきた。僕は感がいいほうだ。先ほどの悪い予感がピッタリと当たってしまった。ミニバーのボトルは小さくても1本に50ml入っている。だから5本で250mlは飲んでしまった。アルコール度数40%超のきついものばかり飲んだからてきめんに腰に来てしまった......

頭は弾けているのに......


「うふふ」とあややは笑みを浮かべている。

馬鹿にしているというより2人の秘密を楽しんでいるように微笑んでいる。

「えへ」僕も笑うしかなかった。


それからいつの間にか寝てしまったらしい。部屋の電話で目が覚めた。まだ朝の5時だ。多分、新からだろう。あいつは異常に朝が早い。これはフィリピン時間だから日本時間ならまだ4時じゃねぇか!いくら何でも早すぎる。

「何の用ですか?」電話に向かって横柄に、不機嫌を100%ぶつけた。

「Morning」と女性の声。

「ん?」新だと思っていたのであっけにとられてしまった。

何のことはない、新が昨晩Take outした馬鹿っぽい娘からだった。

あややを起こして電話を代わった。タガログで会話しているので何のことかさっぱり分からなかった。


またもや嫌な予感がしてきた。

「何かあったのか?」僕はたずねた。

「ううん。一緒に帰ろうと言うから、あと1時間後と言っておいたわ」という返事。

「何であと1時間後なの?」

「シャワーをもう一度あびたいし、色々とあるの」と僕の小悪魔は微笑んだ。

「あなたは、朝はあそこが元気でしょ?」

僕は声が出なかった。

「そんなことは無いよ。僕はH目的だけのケダモノじゃないよ。」反論したけど微笑の前には無力な抵抗であった。

シャワーをあびて、コーヒーを飲んだ。


少しの会話の後、僕たちはからだを合わせた。

完全にアルコールは抜けている。これで完遂できなけりゃ、信州男児の沽券にかかわる。いよいよ、止めを刺すときが来たぞ。

来たぞ~、来たぞ~、やって来たぞ~。

この感じだぁ~!

きたきた、来た来た、キタキタ、北北、着た着た、

リーン、リーン、リーン、と電話が来た~っ!

誰だぁ~、こんな時に~!

またもや馬鹿っぽい娘からだった。

タガログでの会話で意味不明だが、あややの棘のあるような話し方が気になった。


あまりゆっくりもしていられない。飛行機の時間も気になる。

そんな僕の気持ちが伝播してしまったのかもしれない。

あややが僕にからだをぶつけてきた。


おい、そんなに積極的になるなよ、僕の中のイメージは清純な少女なのだから。

あなたにだけ、他の人にこんなことするわけないでしょ。

南国の早朝のベットの上で僕は幸せな気持ちになった。


と、その時、またもや悪魔からメッセージが届いた。

リーン、リーン、リーン、と電話。


僕のからだにまたがったままの姿であややが電話に飛びつき大声で叫んだ。

「まだ終わっていないよ、と叫んだ」(*注 sokusokuはタガログ語で”H”の意)

とても頼もしく見えた。

僕はMかもしれない、ますます気が高まってきた。

しばらくして受話器からあの悪魔の声が聞こえた。

僕はまさにあの瞬間を迎えていた! うわ~っ!ううmmmm~!  その時、

「お前ら何やってんだぁ。時間だぞ」。馬鹿っぽい娘ではなく新の声がした。


【エピローグ】

僕は日本に帰ってきた。

あややが来日するまでは僕たちのメールが、太平洋西岸の東南アジアを往復するだろう。

日本の何処の都市に来るかはまだ分からない。やきもきもするが楽しみでもある。


成田に到着して新が言った。「どうだった?」

色々なことが凝縮して起こった。人生の何か月分かがたった3日間のうちに降りかかってきた。今はまだ消化できないものも、時間とともに認識していけることだろう。

「どうだったって聞いてんだろ、おい!」新が僕の返事を催促している。

「どうって、何がだよ」思い出に浸ろうとする僕は邪険に返事した。

「何がって、決まってんだろ。Not finished なのか finished なのかだよ」

やっぱり聞かれていたんだ。思い出どころじゃなくなってきた。

僕は赤面してきた。


あっまずい!新の目が光ってきた。

何かを察し、獲物をとらえる獣の目だ!

「そっ!そっ!そんなことどっちでもいいじゃん!」僕はどもってしまった。

「いい子だから正直にいってごらん。お父さん怒らないから」

新はいよいよ調子づいてきた。


絶対にこれだけは誰にも言えない。僕とあややだけの秘密だ。

あの時、僕は、新の声を聞きながら気持ちが高ぶったなんて、こんな恥ずかしいことは絶対に誰にも言えない。



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Island Hopping @miuram

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