第4話 あなたの未来が見えません。
*このお話は、東京都内で不動産会社に勤務する私が経験した本当の話です。
よって、作中に登場する人物・会社名・地名などは仮名や仮のものだったり、
別の物に変更したりしている場合があります。
また、作中の描写から会社名や具体的な人物などを特定することはおやめください。個人などに関するするご質問にもお答えできませんので、あらかじめご了承ください*
「あはははは。あはははは。それは典型的な集団幻覚というやつだよ」
この日私は、都内某所にある行きつけのバーに来ていました。大学を卒業して不動産業界に就職してしばらく経ってから、職場から割と近いのと、ママの人柄に惹かれて、月に1回くらいの頻度で来るようになったお店です。
私の横で豪快に笑うのは、同じくこのバーの常連の佐竹さん(仮名です)で、実はこの佐竹さんは都内の心療内科クリニックに勤めているお医者さんなのです。佐竹さんと出会って、自然と彼を”先生”と呼ぶようになってから、もう1年ぐらいが経っていました。
「そんなに笑わないでくださいよ先生、真剣な話なんですから」
先生は豪快に今夜もう三杯目のスコッチを水割りで飲んでいます。一方、お酒にそこまで強くない私は、ちびちびとハイボールをいただいていました。
「いや、ごめんごめん。でもね、ユースケ君のお姉さんに、お客さんの二人。合計三人が同じようなことを言い出しても、その嫌な予感というのが、本当であることの証明にはならないよ」
「分かってますよそんなことくらい。でも、続けざまにそういうことがあると、やっぱり偶然とは思えないよな、って」
「いいかいユースケ君」
先生は座椅子を回して私に向き合いました。
「東京に居たら嫌なことが起こるような気がする。そういう予感がする。そんな夢を見る。そんな感覚に襲われるのは、実に良くあることなんだよ」
「良くあることなんですか?」
「うん。例えばね、ここ十数年で地震なんかがたくさんあっただろ。それで、次は自分の住んでいる街―、東京にも大地震が来るんじゃないかって不安になる人は多いよね。そういった人々の心の中にある漠然とした不安が、共通した不吉な予感を生み出すんだよ。地震や災害が続くと、そういう不安を多くの人が共通して抱くものなんだ。心理学用語ではこれを集団幻覚というんだよ。実際になにか証拠があるわけではないし、なんの確証も無い」
先生は四杯目のスコッチを口にしていました。
「でもですよ先生。それが集団幻覚だったとしても、そんなぼんやりとした悪い予感だけで、実際に東京を捨てて、移住するまでのことをしますかね。二人目のお客さんなんて、300万円の内金を捨ててまで東京に住みたくないといったんですよ」
「それは人それぞれだよ。不安が強ければ、実際に行動に移す人もいるだろうからね」
「じゃあ、僕の姉も、お客さんたちも、単なる幻覚というか、妄想というか、そういう感じなんでしょうか。立て続けにこんなことが起こると、偶然だとも思えないんですが」
「いいや単なる偶然だよ」
先生は決然と言いました。
「いいかいユースケ君。人間の心理というのはね、複雑に見えて単純だったりするんだ。まったく関係のない人から聞いた話や体験を、ひとつのストーリーにつなげて解釈しようとする。例えばね、三人の人間が乗っている車が、全部赤色だったとする。その三人の人間には何の関係もない、それぞれ何の縁も無い他人だったとする。でもその事実を知った本人は、その三人の乗る赤い車には何らかの意味があるはずだと思い込む。つまり、三人が赤色の車に乗っているのは単なる偶然でしかないのに、そこには何かのメッセージが込められていると解釈してしまう。でも実際は、単なる偶然なのさ。世の中には赤色の車が何十万台、何百万台と走っているのだからね」
「・・・そういうもんなんですかね」
「加えて現代はストレス社会だ。東京では何百万人という人が、日々の仕事で疲れ切って、不安や疲労を感じているだろう。中にはストレスが蓄積して、東京での生活が嫌になった人も大勢いるだろう。地方へ移住に踏み切るという人も、少なくないはずだ。それを不安のせいにしているだけで、本当の理由はストレスによるものさ。それを”嫌な予感”とか言って、自分が東京から引っ越す理由として自己暗示のように納得させている人は、案外多いものだよ。ユースケ君は、偶然短期間でそういう人たちに出会っただけのことだよ」
先生はスコッチの六杯目を飲むと、明日午前の診察があるからと言って、帰っていきました。帰り際先生は、
「まあユースケ君。君までそんな不安になる必要は全くないよ、いちいちそんな偶然を真に受けていたら、この東京で仕事なんてできなじゃないか。ね」
と私の肩をたたきましたが、先生にそう言われても、私は釈然としない思いです。
先生が帰ったあと、バーにはママと私だけになりました。
このバーを経営するママはユメノさん(仮名です)と言って、私の姉より少し年上かな、という感じですが細面でとても美人です。三十代でバーテンの資格を取ってこの店を開業し、以来5年以上、このお店を一人で切り盛りされています。
「さっきの先生とユースケ君の話ね。あれ、先生は集団幻覚だ、偶然だ、なんて言ってたけど、私はそうじゃないと思うわ。実はね、私の周りにも同じこと言う人が居るの」
「え?そうなの?」
「うん、私の叔母さんなんだけどね。いまその叔母さん杉並に住んでるんだけど、ちょっと前から東京から逃げたい、逃げなきゃって。さっきの話と同じこと言うの。私ね、最初は全然真剣に聞いてなかったんだけど、あんまり叔母さんが言うからちょっと本当なのかな、って思ってきてね。叔母さん杉並で占い師やってるのよ」
「占い師、なんだ」
「うん。それで杉並の叔母さんの家っていうのが、叔父さんと結婚した時に買った建売なの。そのあと叔父さんは病気で死んじゃって、いま叔母さんが一人で住んでるんだけど、その家を売って東京から逃げたいっていうのよ。ふつうね、私、お客さんに仕事のお願いとかしないんだけど、ユースケ君ってほら、不動産屋さんじゃない。叔母さんは他人を信じない人で、ちょっと頑固なところがあるんだけど、ユースケ君なら信用できるかなって。無理にとは言わないど、一度叔母さんの相談にのってあげてくれないかな?」
そういうとユメノさんは、「今日の飲み代はサービスするからね」と言ってお会計をタダにしてくれたのでした。これって、もう絶対断れない流れじゃないか―、と思いましたが杉並はもともと私の担当するエリアのひとつです。
それにご自宅の売却を希望するお客様の仲介を弊社に依頼していただきますと、私の営業成績になりますから悪い話ではありません。私はさっそく、ユメノさんから教えてもらった叔母さんの住所に行ってみることにしました。
「あんたがユメノの言ってた不動産屋?」
すでにユメノさんから私が訪問することを聞いていた叔母さんは、それでも警戒するように私を見ましたが、名刺を差し出すとなんとか納得してくれたようでした。
「さ、どうぞ中に」
その一戸建てはかなり古く、外見からすると築50年は経っていそうな木造の二階建てでした。しかし室内は綺麗に使われているようで、まだまだこの先10年以上は使えそうなお宅です。
「この家、幾らぐらいになるかね」
リビングに通されてお茶を出されると、叔母さんは前置きもなくそう切り出しました。
「そうですね、大体、4000万円くらいの値段が付くと思います」
「よ、4000万だって!?」
叔母さんは声を上げました。
「4000万って、この家、あたしがお父さんと建てたときは2000万だったんだよ、本当に4000万なの?」
杉並の住宅地は、たとえ築年数が経った中古の一戸建てでも、ここ数年の地価の値上がりで、そのくらいの値段は付きます。もっともその価値のほとんどは建物のほうではなく、土地の価値になります。不動産的には50年経った木造の家には価値がほとんどありませんが、建物を壊わして更地にすれば、土地はいくらでも使いようがあるからです。
ざっと見たところ叔母さんの家の敷地は約20坪という感じでした。相場ではこのあたりは1坪が200万円近くに値上がりしています。ですので20坪×200万円=4000万円という推定ができるわけです。
叔母さんは人が変わったように笑顔になりました。
「いやあ、不動産屋って信用できないだろ。しかもあんたまだ若いし。でもユメノの紹介っていうもんであんたに来てもらうことになったけど、ほんとに良かったわ」
叔母さんは台所から羊羹を取り出して切ってくれました。弊社の専属で物件を仲介し売却する方向で、叔母さんとの話は進みました。
「ところでね、ユメノから、あたしがこの家を手放したい理由ってのは聞いてる?」
「ええ、なんとなく。東京からお出になりたいとか・・・それ以上は聞いてません」
「そうか。家を売るときって、やっぱり理由を詳しく話したほうがいいのかね」
「ええ、できましたら、そうしていただけると助かります」
ふつう、ご自宅を売られるお客様に詳しくその理由を根掘り葉掘り聞くことはしません。ですが、買い手のお客様からすると、そのお宅の所有者がなぜ家を売りに出したのか、という理由を詳しく知りたいと思うのは当然のことです。
家を手放す理由を話したくない、ということになると、買い手からすると「さては、何か言えないことがあるのではないか。物件に
ですから弊社では、なるべく売り主のお客様には、差し支えない範囲で売却の原因について詳しくお話してもらう、という方針を取っています。
「ユメノから聞いてると思うけど。あたしね、お父さんが死んでから、駅前のちいさなテナント借りて、占い師やってるのよ。あんたは知らないと思うけど、このへんじゃちょっとした有名人なんだよ」
叔母さんは笑われます。
「そんでね、ちょっと前からね。未来が見えなくなっちゃったの」
「・・・未来?ですか」
「あたしの占いはね、
名前だけはなんとなく、と私は答えました。
「占星術にもいろんな流派があってね。あたしのはちょっと
私は占いというものにそこまで関心が無く、知識もないですから、「はあ」としか返事が出来ませんでした。
「それでね、少し前から、未来が全然見えなくなっちゃったの。占いが出来なくなったわけじゃなくて、その人の未来を見ようとすると、真っ白になって何も見えなくなるの。あたし、占い師やって20年になるんだけど、こんなこと初めてだわ。まだね、1年先くらいはみえるんだけど、それ以上の未来になると、もう真っ白になっちゃう。これはね、未来は無い、っていう言う意味なんだよ。その人が近い将来亡くなる運命にあると、同じようなことが起こるのね。でも、それがある時から、ほとんど全員の未来が見えなくなっちゃったの。でもね不思議な話なんだけど、占ってくれってあたしのところに来る人の中には、北海道とか、九州の人とかもいるのね。そういう地方の人は、10年後も20年後もちゃんと未来が見えるんだよ。なんでか知らないけど、東京とか、東京に通勤してる首都圏の人たちの未来が、ぷっつり切れてるんだよね」
叔母さんはそこまで話すと、「この家にいい値段をつけてくれたお礼に」といって、
「あんたの未来も見てあげようね」
と言います。私はなんだか怖くなってきました。叔母さんは二階からタロットカードの入った木箱を持ってくると、まず私の生年月日、星座、出身地、現住所を聞いた後、テーブルに20種類ぐらいのタロットカードをおもむろに並べ始めました。
「じゃあ、1年後のあんたをみてみようね。あんたは心の中で1年後の自分を強く思い浮かべて。それから、このカードの中から直感で、これと思ったカードを三枚選んでちょうだい」
私は適当に、3枚のカードを選びました。それは馬のようなもの、騎士のようなもの、太陽のような絵柄の三つです。
「よかったねえ」
叔母さんは言います。
「1年以内に、あんたはきっといい人と巡り会うよ。きっと彼女ができるか、もしかしたら結婚もあるかもしれないね」
私はなんだかほっとしたような気持になりました。カードの意味は分かりませんが、死んでいると言われたらどうしよう、という不安は少しだけありました。
「じゃあ、次は3年後のあんたを見てみようね」
叔母さんは私が選んだ三枚のカードを除いた十数枚のカードに、さらに数枚を追加してシャッフルし、同じようにテーブルに並べました。
「さっきと同じように、次は3年後の自分を強く思い浮かべて。それで今度は、ここから一枚だけ直感でカードを選んで」
私は、カードの絵柄が示す意味はよく分かりませんでしたが、ぱっとみてすぐに一枚だけ何となく惹かれるカードがありました。
それはさっきまでは置かれていなかったカードで、そこには彗星のような、明るく尾を引く星が大きく描かれており、その彗星の下には中世ヨーロッパを思わせるようなお城や塔、民家などがひしめき合っています。私はこのカードを選びました。すると叔母さんは、
「ああ・・・。やっぱり」
と言い、少し表情が曇りました。
「東京の人はみんなこのカードを選ぶんだよ」
「え?どういうことですか」
「申し訳ないけど、さっき言った通り、三年後のあんたの未来が見えないよ」
「・・・ということは、3年後の僕は死んでるっていうことですか」
「うーん・・・。必ず死ぬという意味ではないけど。まあそれに近いかもしれないね。でも大丈夫。このカードを選んだのはあんただけじゃないから。もう何十人も、全員が同じものを選んでるからね」
叔母さんはそう言って笑います。でも目だけは笑っていないように私には感じられました。
「あのう、このカードの意味は何なんですか」
「意味?意味ね・・・。知りたい?」
「・・・はい、ぜひ・・・」
叔母さんはすぐには答えず、タロットカードをゆっくりと木箱にしまいます。
「蒸発」
蒸発って?と私が聞き返そうとする前に叔母さんは遮るように言います。
「そう蒸発。水蒸気のように消えてなくなるって意味だよ」
(第5話に続く)
東京から逃げなさい。 板花青 @morimori635
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