幽けき想ひ 闇にぞ 沈む


その日も、酷く暑い日だった。



僕は飽きもせずに炎天下の路地を

歩いた。蝉はかまびすしく鳴き喚き、

濃い紅色の百日紅さるすべりが咲いてはこぼれる。

丸められて捨てられた様な酔芙蓉の

花殻には、蟻がたかっていた。



陽炎を引き連れながら、迷路の様な

路地を抜けて 凌霄花のうぜんかずらの家 へと。

 相変わらず赫々とした火焔の花は、

屋敷を燃やし尽さんと咲き誇る。



玄関は開け放たれすだれが掛けてあった。



「…!」玄関の奥から人が出て来る

気配に、僕はにわかに緊張した。

ミチカではない。それも一人二人では

なく、大勢の気配が。「……ッ。」

僕は咄嗟に、隣の垣根の陰に隠れた。

 家の中から出て来たのは、皆一様に

白い着物に黒繻子くろしゅすの羽織を着た

大人達で、最初は法要の読経に来た

僧侶なのかと思ったが、どうやら

様子が違う。



 明らかに異様な空気が夏の日差しを

拒絶していた。



相変わらず蝉の絶唱は其処彼処から

響いては来るのに、家の玄関から

門に至っては、あたかも漆黒の瞑闇くらやみ

支配している様な。


言うなれば感覚的な、そして根源的な

おそろしさが其処にはあった。



「…?!」次の瞬間。僕は更に身を

固くした。何故ならば、不思議な

装束をまとった一人が 白木のはこ を

うやうやしく抱えて出て来たからだ。

 その匣には見覚えがあったけれども

がある。本来ならば、たった

一人で抱えるものではない。

半ば 正方形 に近いその匣の片側に

観音開きの小窓が閉じている。

 僕は、アレによく似た物を二年前の

曽祖母の葬儀で目にしていた。


 あれは、棺桶ではないか。


そう思った途端に、何処からか

線香の匂いが。微温ぬるい風に乗って

僕の鼻先に届いた。


   これは、葬儀なのだ。


でも、一体 誰 の?


あんなに小さな棺桶は見た事がない。

少なくとも、そう、仮に子供の

葬儀に使う棺桶であっても、あれ程

小さくはない筈だ。

 動物だろうか?ミチカから、犬や

猫を飼っているなどとは聞いた事が

なかったし、そもそもこの一連の儀式は

為されるものだろう。


六、七人ほどの人達が、手に匣を持つ

先頭の人に続いてぞろぞろ出て来た。

彼らは一様に白い着物に黒繻子の

羽織を身に付けており、顔を巾布で

隠している。

 その白いひれには、墨痕鮮やかに

『忌』の一文字が書かれていたのだ。

矢張りこれは 葬式 なのだろう。

だが、そんな僕の当惑も、次に見た

光景に霧散した。



白い着物に黒繻子の羽織を纏った

ミチカが姿を現したからだ。



相変わらず何も映していない昏い眼を

した彼女は、周りの大人達に庇われる

様に、また促される様に列に続いた。



僕は垣根の陰で息を潜めて、彼等が

路地から出て行くのを待った。



否、まるで陽炎みたいな覚束おぼつかなさで

いつまでもずっと其処に立っていた。

 炎天下、蝉時雨はもう聞こえない。

只、真っ白な不均衡が徐々に全身へと

回って行く。


       そして、暗転した。




その後、僕がミチカに再び会う事は

なかった。







夏は一向に終わる気配を見せないまま

只、こよみだけが更新されて行く。

 校庭の花壇に植わる向日葵の花。

ペンキの剥がれた柱を伝い伸びて行く

糸瓜へちまが、青々とした細長い実を

幾つもぶら下げていた。



 夏休みも、いつしか終わり。



僕は淡々と教室の自分の席に着く。

義務だから来ているのだ。でも、もし

そうでなかったとしても、僕は此処に

来ていただろう。

 決して追い風ばかりは吹かない。

むしろ 向い風 こそ、僕自身にとって

無くてはならないものなのだ。

順風こそ気を引き締める。この発想は

今までの僕には皆無だった。



「…?」いつもならば例の転校生の

周りに出来る人垣がない。それも

直ぐに理由が知れた。

 昨年から断続的に続いた放火が

彼の仕業ではないかと噂になって

いたからだ。警察からの事情聴取を

受けたとか、所在証明を求められた

とか。休み明けの教室は、そんな

話で持ちきりになっていた。


 真相は、わからない。


だが、きっと彼のが周りの皆にも

見え始めたのに違いない。尤も、

僕の心の中には最早、何の感情も

湧かなかった。

 もし彼が犯人であっても、そうで

なくても。ミチカの 人生 が戻る

訳ではないのだ。



凌霄花の家は、今も赫々と燃えて

いるだろう。真夏の暑い日差しに焼き

なめされても尚、火焔の花々は、そらをも

焦がす勢いで


        咲き誇っている。








 その年の暮れの事だった。



あの家が、柱の一本も残さずに綺麗に

全焼してしまったのは。






僕は中学へ上がり、受験を経て高校、

大学へと。そして社会人となり、

家庭を持った。今となって思う事も

 最早、何もない。


けれども、盛夏の頃に あの花 を

見かけると、ふと思い出してしまう。



凌霄花のうぜんかずらに覆われた


      火焔の家 を。








擱筆



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火焔の華 小野塚  @tmum28

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