宗教にはまった家に生まれるというのは、生まれながらの地獄である。
一方で、人間は頭を抑えつけられて生きるものではないとも、教えてくれる。
幼少期より歪んだ考えを植え付けられていれば、それに染まるはずなのだが、多くの人が「これは違う」と叫ぶのだ。
もちろん素直に染まる方もいて、マイルドな二世の方々は宗教の良い面を上手に取り込み、社会よりもそちらの方が安泰に生きることが出来るシェルターだと見做す。
日本は宗教の自由が認められているので、他者に迷惑をかけないのならば好きにすればよい。
しかし家庭内における新興宗教は、幼い子供に向かって、巨大な圧力と暴力となって襲いがちである。
絡まる黒い網を振りほどき、振りほどきして、宗教被害者の方々は外に光を求めて這い出る。
「云う通りにしないのならお前は不幸決定!」
金切声で叫ぶ自称「神の代理人」が家の中にいたというのに、皮肉にもそこには愛も光もなかったのだ。
虐待者はたいてい神経症的な競争に囚われており、子どもが無邪気に笑ったり、努力していると、自分の地位が脅かされると考えてどんな方法を使ってでも妨害して弾圧してくる。
「感謝が大切、感謝が大切なんだぞ!」
と怒鳴りつけるが、自身は決して誰にも感謝しない。
正論や感謝を、支配と搾取の方法として使っているだけなのだ。
支配下に置いたものが暗い顔をして俯き、支配者の命令に従う様子こそ、彼らにとっては支配の完成形である。
その時に子どもの心が壊れていようが、無理に無理が重なっていようが、いっこうにキニシナイ。
むしろもっともっと虐待は強くなる。
「神経質で出来の悪い子を心配だから見守っているのよ」
子どもに恥をかかせて上位ポジションをキープし、救済者役の優越感に高笑いするのだ。
主人公は、幻影をみる。
その幻影とは、分離した自我であり、また、はるか遠くにある「救い」の気配であ る。
感謝と奉仕をちらつかせて君臨する親に背くという、原始的な深い罪悪感の中から、それは幾度となくゆがんだ形となって少年の前に現れる。
ひと昔前、「壺を買わされる」というのが悪徳宗教の代名詞のようになっていたが、その「壺」が重要なモチーフとしてここには出てくる。
壺の中には何があるのだろう。
壺の中には……。
幼少期の記憶という静かな語り口から始まるのに、読むほどに底冷えするような恐怖が染み込んでくる。
家庭や宗教、一見ごく普通な、しかし実は特殊な社会の中、子どもが体験した現実の中に潜む異形の恐怖を描いた、極めてリアルな怖さの予兆。
眼球、壺と供物、置き去りにされた託児室――全ての描写が、怖い。日常、身近にある物ばかりなのに……
まだ始まったばかりの連載ですが、冒頭を一読するだけでも作者の筆力が分かるかと。
すごく……怖いです。
ぜひ多くの方に読んでほしい作品です。
けれども、読むにあたっては、自己責任ですよ……
なにかついてきても、知りませんからね