お休みなさい、いい夢を

間川 レイ

第1話

1.

愛。愛って何だろうって、いつだって思っていた。likeは分かる。好きになることだ。ではLoveは?私にはその気持ちがわからなかった。他人をLoveという気持ちで好きになる、その必要性がわからなかった。なぜ人は人を好きになるのだろう?子孫を残すためだろうか。そんなはずはない。私は断言できる。愛がなくたって、子供は作れる。愛がなくたって、人は睦みあうことができる。だって、私がそうだったから。かつて、友達だと思っていた子に無理やり押し倒された私。そんな私が言うのだから、間違いはない。どれほどやめてって言ってもやめなかった彼。男女の力の差の前に、抵抗なんて無意味なんだから。


だから、私は正直思っていた。人が、人を愛するだなんて馬鹿らしい。永遠の愛なんて存在しないし、そもそも愛自体存在しない。所詮存在するのは一時の熱狂と、肉欲だけだ、なんて。愛とは重大な精神疾患だ、なんて。かつて偉大な哲学者プラトンも言っていた。愛なんて一時的な熱狂に過ぎないのだ、なんて。かつての私は、そう信じていた。愛だの恋だのにうつつを抜かすなんて、どこかおかしいんじゃないの、なんて。そんな一時的な熱に浮かされてどうするつもり、なんて。愛だのなんだの戯言に踊らされちゃってさ、みたいに。結婚する人のことを正直馬鹿だと思ってた。そんな簡単に人生を棒に振っちゃってさ。人生の墓場、ご苦労様、みたいな。


でも今ならわかる。馬鹿は私だった。私は所詮何も知らない小娘だった。薄汚れた小娘。あの子に出会ってしまった今ならわかる。これが、この気持ちが愛なのだと。


2.

あの子に初めて出会ったのは、大学三年生の春。新しいゼミでの顔合わせの時だった。あの子は、一言で言って完璧だった。烏の濡羽色、なんて言葉がぴったりくるような艶やかな髪。活動的に肩口でバッサリ切られているのがとてもよく似合っていた。理知的で、黒々とした大きな瞳。その黒目がちで、大きな瞳をじっと見ていると、奥へ奥へと吸い込まれそうだった。すっと通った鼻梁。淡い桜色の唇。いつだってプリプリとして瑞々しかった。きめの細かい真っ白な肌。すべすべでモチモチそうだった。そして、細身で華奢な体。抱きしめれば折れてしまいそうだった。


それでいて、着てくるのはいつだって黒系統の服だった。上も下も真っ黒。服から覗く白い肌と、いつだってぶら下げている銀のクロス以外は真っ黒という子だけれど、あの子には華があった。周りの目を引きつけざるを得ないというか。あの子を中心に世界は回っているんじゃないか、なんて思わせるぐらい、独特のオーラがあった。それは実際、誰とでもフランクに話ができるあの子の快活さによるものかもしれないし、どこでそんな知識を仕入れたのか、本当に同い年かと思わせるほどの知識の量、知識の引き出しによるものかもしれない。


いつだってあの子の話は新鮮で、面白かった。あの子の話はいつだって未知に満ちていた。それでいて、誰に対しても分け隔てなく接した。同じような明るさで。同じような快活さで。まさしく、私たちのゼミはあの子を中心に回っていた。あの子に話しかけようと、誰もが虎視眈々と狙っていた。あの子が笑えばみんな笑い、あの子が悲しそうな顔をすれば、みんな悲しそうな顔をした。そんな子だった。誰もがあの子とお近づきになろうとし、友達になろうとした。そんな動きをあの子は持ち前の明るさであしらい続けていた。


不思議なことに、あの子と一番仲が良かったのは私だった。それは、同じく読書を趣味としたからかもしれないし、読むジャンルが被っていたからかもしれない。伊藤計劃をはじめとするゼロ年代SFに、綾辻行人に代表される新本格ミステリ。米澤穂信に代表される青春ミステリ。そんなものをこよなく愛していたからかもしれない。あるいはサイバーパンクにスチームパンク。バッドエンドにデッドエンドそんな変わり種の映画ばかり見ていたからかもしれない。とにかく、私たちは馬が合った。どこへ行くのも一緒だった。ゼミも、必修科目も、学食も。いつだって私はあの子のそばにいた。それこそ高校生じゃないけれど、お手洗いにだって一緒に行くぐらい。


私はあの子が好きだった。あの子と一緒にいるのは幸せだった。あの子は私にはないものをたくさん持っていた。家に帰れば温かい家が待っていて、優しいお父さんとお母さんがご飯の準備をして待っている。私の家とは大違い。怒鳴り声と悲鳴と罵声と痛みの満ち満ちたあの家とは。でもそんな違いなんて、全然気にならなかった。あの子のそぶりは、全然嫌味に感じなかった。私はあの子のそばでなら自然体でいられた。他の誰かの前みたいに、余所行きの顔をしなくてよかった。私は、ありのままでいられた。


私はあの子の横でのみ、私でいられた。自由でいられた。あの子はそんな私を許してくれた。あの子はこんな私を友達と呼んでくれた。かつて親友と思っていた子に汚された私でも。父や母に、さんざん殴られ罵られ育ってきた私でも。いつか両親を殺してやると思うぐらい憎んでいる私でも。そんなことを知っても、私を腫物みたいに扱わなかった。汚いもののように見なかった。壊れているもののように扱わなかった。


それがどれだけありがたかったことか。私はあの子が大切だった。あの子とならどこへでも行ける気がした。あの子になら、何をされても許せる気がした。殴られても罵られても、私はきっとあの子を許す。だってあの子のすることだから。私を傷つけたくてそうするわけじゃないと信じているから。私はあの子が大切だった。私はあの子に傷ついてほしくなかった。世界の汚さなんて見てほしくなかった。私はあの子を守りたかった。一生あの子の傍に居たかった。一緒に年老いて、あの子の傍に居れたら。それが私の願いだった。そして、それはあの子の願いでもあるはずだった。卒業してからも、離れ離れになっても。ずっと連絡取りあおうね。そう言って約束してくれたのだから。


だから私には許せなかった。私、好きな人ができたの。そう言うあの子のことが。


3.

あの子が好きになったのは、一年上の先輩で、あの子と同じく塾の先生としてアルバイトをしている男だった。その男は確かに知的で、ハンサムで、そして面倒見もよかったことから子供たちから好かれている。そして人当たりもよくって、一見よくできた男だった。だけど私は知っている。男というのは身勝手なものだ。仲良くなって、親しくなったら、手を出してもかまわないと思っている。全然その気がなさそうに見えても、とりあえずやることやってしまえば、なんて思っているのが男なのだ。そんな話、嫌というほどしたのに。あの子は何もわかってない。


無理やり押さえつけられる怖さも。どれだけ振り払おうとしたって振りほどけなくて。無理やり服をまくり上げられる屈辱も。どれだけやめてって言ってもやめてってくれなくて。キスだけはされたくないと目をつむって、ぽろぽろ涙をこぼして顔を背けるあの感覚も。私は、あの子にそんな目にあってほしくなかった。あんな目にだけはあって欲しくなかった。あの子は私の王子様。ずっと綺麗なままでいてほしかった。


だけどあの子は私の思いをわかってはくれなかった。あの人はやめときなよ、なんか良く無い感じがするよ、なんて忠告にも耳を貸さなかった。耳を貸さないどころか時々喧嘩の原因にもなった。知りもしないのにあんまり悪く言わないで、なんて。鋭い目つきで私を見据えて。あの子にそんな顔をしてほしく無くて。それ以上は言えなかったけれど。私はあの子を守りたかった。あの子に傷ついてほしくなかった。だけど、そんな思い、あの子は決してわかってくれなくて。何でわかってくれないの、なんて思ってしまう自分自身が恨めしかった。


いや、白状しよう。私はあの子を汚されたくなかった。男なんて無粋なものに触れてほしくなかった。いや、他の誰もあの子に触れてほしくなかった。あの子に触れていいのは私だけ。あの子の傍に居ていいのは私だけ。あの子は私を救ってくれた。あの子は私に救われてくれる必要があった。だってそうじゃないと釣り合わない。あの子の傍に居られない。あの子には私以外の何も見てほしくなかった。私だけを見て、私だけの傍に居てほしかった。私の救いであってほしかった。


叶う事なら、かごに閉じ込め愛でていたい。でもあの子の背中には自由の翼が生えている。放っておいては私を置いて遠くへ飛んで行ってしまう。そんなのは許せなかった。あの子は私の隣にいるべきだ。もしそれが叶わないのなら、その翼をもいで、縛ってしまえ、なんて。それに、それこそが、あの子のためにもなるのだから。あの子はこの世界がどれだけ糞かなんて知らなくていい。あの子の目に映るものは、綺麗な物だけでいい。だから私は決意した。あの子を私のものにしてしまえと。誰かのものになる前に。それにきっと、それがあの子の救いになるのだから。


4.

私はあの子に今までの態度を詫びると、ぜひその恋を応援したいと言った。これまでの態度は、あなたがどこか遠い所へ行ってしまいそうで、つい拗ねてしまったのだと釈明して。意外と心配性なんだね、なんてあの子は苦笑して。そんなあの子に、これまでのお詫びに、何かごちそうさせてくれないかと頼んだ。せっかくだし、私の家で焼き立てのクッキーでも食べていかないかと。私のクッキーが好きなあの子はすぐさま承諾した。クッキー!いくいくと。そして勝手知ったる我が家に上がり込み、あなたの家に来るのも久々だねと笑うあの子の首筋にネットで買った高電圧スタンガンを押し当てた。えう、と小さく呻いて倒れ伏したあの子を起こさないように、慎重に私の寝室に連れていく。


そして同じくネットで買ったおもちゃじゃない手錠で手足を固定していく。両手は頭の上で万歳するように。両足はやや広げて、手錠の端はベットの足に固定して。そして猿轡をかませたところで、ううん、といううめき声とともにあの子は目を覚ました。本当は目を覚まさぬうちにすべてを終わらせる予定だったのだけれど、起きてしまったからには仕方がない。それに何も知らないうちにすべてが終わっているというのも思い返せば酷な話だ。だから私は優しく声をかける。


「ごめんね、びっくりさせちゃった?」


でもあの子はびっくりしたように目を見開いて、もごもごと何かを叫ぶばかり。「何⁈何?!」といったところか。目が覚めて拘束されていればそんな反応になるのは無理もない。だから私はあの子を落ち着かせるためにゆっくりと頭を撫でる。


ごめんね、これはあなたを守るためなんだよ、と。でもあの子はもごもごと何かを叫ぶばかり。仕方がないので私はあの子の頭を撫でつつ、なぜこんなことをしたのか教えてあげる。


これは全部あなたを守るためなんだよ、と。この世界は悪意で満ちている。この世界がどれだけ糞かなんてあなたは知らないでしょうけれど。成績のこととかで何発も父親に殴られたこともないあなたには。友達に乱暴されたことの無いあなたには。あなたは何も知らない。母親の機嫌を損ねて、家の外に追い出されたときの夜空の寒さも。私の分だけご飯が出てこない心細さも。でもあなたはそんな思い味合わなくていい。そんな思い経験しなくてもいい。あなたには、ずっと綺麗なままでいてほしかった。私が憧れた、綺麗な姿のままで。


でもね、あなたは進んで汚れようとした。見ず知らずの男と交わろうとした。それは許されないこと。あなたは蛇に騙されてリンゴを食べようとしているの。でもそれはあってはならないことだから。そう耳元で囁く。ふるふる震えるあの子の耳元で。


だから、私はあなたを保存する。ずっと綺麗なままでいられるように。ずっと綺麗でいられるように。だからね、これは罰なんだよ。かつて人間はリンゴを食べて楽園を追い出されました。ではあなたは?私は見せつけるように注射器を振る。怯えたように目を見開くあの子。いやいやをするように首を振っている。ぽろぽろ涙をこぼして。そんなあの子を見て可愛いな、なんて思ってしまうあたり私自身救いようがない。でもこれこそが私の本質だから。


私はあの子に問いかける。私はあなたの魂が欲しい。かけがえのない、その魂が。でも、あなたの魂はどこにあるのかな。そう言いながら私はあの子の体に触れていく。おでこ、鼻、唇、ほっぺ、首、鎖骨、おっぱい、おへそ、お腹、脇腹、太もも、あそこ。そのたびにふるふる震えるあの子。分からないんだ。私は小さく呟く。脳みその中に入っているのかもしれないし、心臓の中に宿っているのかもしれない。あるいは女の子にしかない臓器の中かも。そう言いながら順繰りに触れていき、最終的に手はおへその下あたりで止まる。あの子は目を閉じぽろぽろ涙をこぼしている。


分からない。分からなかった。だから、全部食べてあげる。私はそう言った。脳みその中から爪の一片に至るまで。そうすれば、きっと私はあなたの魂を取り込めるから。そうすればずっと私たちは一緒。誰ももう、あなたを傷つけることなんてできないのだから。私はやっと、あなたを守ることができる。あなたが私を置いて去っていく悪夢を見ないで済むようになる。


だから私は最後にあの子のほっぺに口づけて。そっと囁く。おやすみなさい。いい夢を。そしてぐっとシリンダーを押し込んだ。

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お休みなさい、いい夢を 間川 レイ @tsuyomasu0418

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