極超音速度ヒューマニズム

@geckodoh

人道的尊厳死

 西暦2254年 東京


 灰色の空の下に白い世界が広がっている。


 アスファルトと金属と電光掲示板の街並み。本当の意味で真っ白なわけじゃない。むしろ広告は目まぐるしく色を変え、初めて見る人にはキラキラ光る宝石箱のように映るかもしれない。


 だが俺には、全てが灰色に見えていた。何かに絶望したわけじゃない。夢を抱けない世界になったわけじゃない。それでもこの世界が「色を失った」と感じるのはどうやら俺だけじゃないようだ。


 ほんの百年ほど前まではこの東京も緑があふれていたという。道の脇には街路樹が植えられ、公園には土があり、カラスがゴミを漁っていたと。全てが無機質に包まれた今では考えられない光景だ。


 やれ虫が出るだの、やれカラスやタヌキがゴミを荒らすだの、人間中心主義で一つ一つ不衛生で不快なものを消していったら、いつの間にかその人間すら住めない清浄な世界が完成していた。


 だが誰も町を元のようにしようなどとは言いださない。


 気温すらも完璧に管理された町の快適さを、もう誰も捨てられないのだ。この水にはもう魚は住めないのだと分かっていても。


 だからが町のあちこちにある。


 俺は銀色に光るアルミ外壁の建物の前に立つ。大きさは公衆便所と同じくらい。しかし流線型の形をしており、全体としては細長いシルエットをしている。設備の脇に立っていた、人間と変わらぬ顔をした女性型のアンドロイドが俺に話しかける。


「こちらはラストリゾート、公衆自殺機です。ご利用になりますか?」


 二十二世紀に入ってから台頭した物教ぶっきょう思想。生老病死の四苦は全て生身の肉体から生まれるのであり、「物」になることで肉から生まれる情の苦しみからも解放され、四苦八苦全てを克服することを目的とした宗教だ。


 この考え方によって人のサイボーグ化が推し進められ、俺も体の八割がサイバネ化されている。基本的に町で仕事に就くのは思考をAIで賄う彼女のようなアンドロイドであり、人々は病や老いの苦しみだけでなく、労働の苦しみからも解放された。


 ……はずだった。


 思索と哲学に耽り、全てが人間のために設えられた都市の中で、人々は生きる目的を失い、やがてこのラストリゾートの中に吸い込まれていく。


「……以上、注意事項に同意されましたら、同意の意思表示をお願いします」


 気付けば二十倍速の音声で注意事項をアンドロイドが読み終えていた。当然聞いていなかったが、こういうのは「同意を示す」ことが重要なのだ。


 俺が返事をすると設備前面のアルミニウム扉が開き、内部のタングステン合金の構造物が姿を現す。


「では、良い旅を」


 旅か。くだらない皮肉だ。


 死ねば何も残らない。


 所詮は「物」なんだから。


 ……本当にそうか? 物なのだろうか。


 人格は記憶による行動パターンの積み重ねに過ぎず、精神は電気信号に過ぎず、魂と神は、存在しない。だがそうだとしても、それでもなお問いかける。本当に俺達は物だろうか?


 内部に進むと金属製のシートがせりあがってきて、俺はそれに腰かける。中の構造物にクッション性のある物は一切使われていない。最後の瞬間に強烈な衝撃波が発生するためだ。


「さあ、リラックスして、正面にある小さな穴を見つめてください」


 クラシックの落ち着いた曲とともに女性の声でアナウンスが流れてくる。この穴から、極超音速の弾丸が発射され、使用者の脳幹に命中する仕組みだ。電磁誘導によるレールガンの速度はその砲身の長さに比例する。そのためこのラストリゾートの全長は不必要とも思えるほどに長い。


 自殺の方法は検討に検討を重ねられたらしい。失敗のない方法として前時代的なギロチンまでも。しかし古典力学を信じる者と量子力学を信じる者、神を信じる者と霊を信じる者、肉と骨にて生きる者と金属と繊維で生きる者。その全ての意見を包括的に審議した上で、今の形に落ち着いたらしい。

 曰く、首が落とされてからも意識はしばらく残るだの、魂は不滅だの、極度の興奮から刹那の時が永遠に感じられるだの。死んで生き返った人間がいないのだから確かめようのない議論だったとか。


 使用者の体格差による違いがあろうと、骨格に超硬金属を使っていようと、このレールガンで脳幹を吹き飛ばせば全てが粉々になる。たとえ少々狙いが外れようと極超音速度に至る弾丸は衝撃波を発生させ、一瞬のうちに全てを終わらせる。どんな人間でも差別なく物と化す人類の歴史上最高に人道的な殺人装置である。


 全ての「苦」を取り除かれ、人はその人生の全てを自分のために使うことが許された。自分のためだけに生きて、何を成すのか。その先に、人の生の本質があるのだと誰もが期待していた。


 人の生に意味があるとすれば、それはどこに収束するのか。全ての苦しみの雑音を取り除いた先に、哲学者の誰もが納得する答えを出せなかった問いかけの答えがあるのではないか。


 しかし、何も見つからなかった。


 その代わりに人々が作ったのが、ラストリゾートだ。


 耳をつんざく爆発音とともにラストリゾートの天井が抜け、辺りに金属片と、そして何かの肉片が撒き散らされる。


「キャアアアア」


 人間の行動パターンを二百年以上にわたってトレースしたAIアンドロイドは本物と比べても遜色のない悲鳴を、腐臭と金属の焼ける不快な匂いの中で上げる。


「俺を殺りたいならこの程度の弾丸じゃ無理だ。もう一桁マッハ数を上げてきな」


 俺は足元に落ちていた巨大な電磁コイルを蹴り上げる。大きな弧を描いてそれはアンドロイドの目の前に落下し、路面にめり込んだ。


「な、なにをした。人類の英知の結晶たる人道設備を破壊するなど……」


「分かってねえな。人類史上最も人道的な発明はこのゴミ箱じゃねえ」


 俺は自分自身の作り出した瓦礫の上で高らかに宣言する。


「カラテだ」


 ラストリゾートの中で、俺はカラテの秘奥義であるマワシウケにより仮想コイルを空間上に作り上げ、レールガンの一部の電磁誘導を中和させて弾丸の速度を軽減させた。


 その直後今度はこちらが極超音速の正拳突きを砲身に向かって放ち、弾丸を暴発させたのだ。極超音速の拳と極超音速の弾丸がぶつかり合い、弾頭は一瞬にしてプラズマ化。その衝撃波はタングステン合金製のラストリゾートを吹き飛ばし、ダストボックスにストックされていた使用者達の肉片をまき散らし、舗装を破壊して東京の地表を数十年ぶりに露出させた。


「どうでもいいわよ! 前時代のスポーツなんて! そんな事より何のつもりなの、いったい誰がこんなテロ行為を望むっていうの!?」


「意味? 意味なんてねえよ。お前らAIはつまらねぇことばかり聞くな。理由があるとすればただ一つ」


 俺は半身に立って深く腰を落とし、左手を高く、右手を低く、天地に構える。


「意味のねえことに意味がある」


「狂人め」


 アンドロイドは立ち上がって前傾姿勢をとる。どうやら対話をやめて防衛システムに切り替わったようだ。こいつらアンドロイドはいつもそうだ。必要なことだけを取り上げて、不必要なものを切り捨てていく。そうやってこのクソつまんねぇ世界を作り上げてきた。


 俺は、俺達は、そんな「不必要」が凝り固まったものだ。


 奴が指先をこちらに向ける。五指の先には虚ろな空洞。アンドロイドの装備は分からないがおそらくは飛び道具。遠距離攻撃に対して間合いを取って逃げるのは二流、三流の仕草。


 指先の照準が俺に合う前に一気に間合いを詰める。向こうは慌てて指先から何か飛翔体を射出したが、一気に音速近くまで加速した俺の体はヴェイパーコーンを発生させ、真っ白な霧に包まれて目隠しとした。


 敵がこちらを視認するよりも早く。踏み込みの勢いを殺さぬよう。しっかりと大地を踏みしめ、肩口から頭部を叩きつけるように体当たりを食らわせる。


 あわれ、アンドロイドは衝撃波を発生させながら吹き飛び、背後のビルに激突して崩落に巻き込まれた。


 だがこれで終わるわけがない。敵の動きが止まっているうちに俺はサポートマシンに指示を出す。すぐに中継ドローンが俺のユニフォームを運んで、投下する。


 空に純白の布が舞う。一見してそれはただの綿素材の布に見えるが、違う。


 すなわちアドバンスド・カラテ・ドーギ。申し訳程度に体にまとわりついている衣服を脱ぎ捨て、上空から投下されたカーボンナノワイヤーで編まれたドーギに俺は袖を通し、クロオビベルトを締める。


 ちょうど同じタイミングでけたたましいアラーム音とともに目の前の瓦礫が崩れた。


「ほう、随分と男前になってきたじゃねえか」


 先ほどのアンドロイドと同一個体かどうかは分からないが、瓦礫の中から巨大なロボットが姿を現す。


「東京防護システムと連結起動しました。これより害虫の駆除を開始します。半径一〇〇メートル以内の民間人は巻き込まれますのですみやかに成物じょうぶつしてください」


 さながら神話に出てくる巨大なゴーレムといったところか。身長は一〇メートルほどといった所の戦闘用ロボットだ。左胸にはイチョウの葉の様な東京都のマークがプリントされている。以前から東京都がこのような防衛システムを保有しているという噂はあった。


 バシュッという射出音とともに奴の背面から無数の小型ミサイルが発射される。警棒くらいの大きさのそれは空中で姿勢を整えて、大きな円弧を描いて俺の方に飛んでくる。

 狙いは速攻よりも全方位から包み込む飽和攻撃といったところだろう。俺は再びスタンスを広く構えて大きく右拳を引き、そして虚空に正拳突きを放つ。


 まるで見えないドームに衝突したかのように全てのミサイルが暴発した。それと同時に周辺のビルの窓ガラスが粉々に砕け散る。


「ぐっ、何を……!?」


「極超音速正拳突きによる衝撃波だ!」


 極超音速の衝撃波の津波となって三六〇度全方向のオブジェクトを破壊していた。もはや二者の間には、いやその周辺数百メートルに及んで生命の気配は感じられなくなっていた。


「貴様は……何者だ。貴様の様な狂人が、誰に知られることもなく一人で牙を研ぎ続けていたなどと、そんなことがありうるのか?」


「俺か? 俺は単独惑星破壊RTAガチ勢、スペース・カラテの乞入コイル!!」


「バカな、貴様のような変態が複数いるとでもいうのか?」


 俺は天を指差す。


「すでにテラフォーミング中の火星と、木星外殻コロニー、ユピトリアに俺の兄弟子が向かっている」


「人類の歴史を終わらせるつもりか!?」


「当然! 貴様らAIに世界の禅譲などするか! 人の歴史は人が終わらせる。それこそが最後のヒューマニズムだ」


「ぬかせ!!」


 ここまでの戦いで奴の体には傷一つついていない。おそらく俺の正拳ではやられないという慢心だろう。奴は最後の攻撃に質量攻撃、すなわち体当たりを選んできた。


 だが甘い。


「爆縮!!」


 ドーギの内部にはいたるところに爆薬が仕掛けられている。それをシーケンス的に最適なタイミングで爆発させていく。同時でも、連鎖反応でもない。その爆風に合わせて各関節の電磁誘導動作で上方正拳突きを解き放つ。


「第二宇宙速度神拳!!」


 空気摩擦によるプラズマとともに巨大ロボの体は粉々に弾け飛び、一部は成層圏を突き抜けて重量から解き放たれる。そう、ブースターによる再加速無しにだ。


 それはすなわち、俺の拳が宣言通り第二宇宙速度(※)に達していたことを意味する。


※第二宇宙速度:地球から物体が再加速なしに重力を完全に振り切って宇宙空間へと脱出するのに必要な速度。およそマッハ三二の極超音速度。


 東京の渋谷区だった場所にあった町は消え、数百メートルに及ぶクレーターが発生していた。


「流石に関東ローム層の上では踏み込みがマントルまでは達しなかったか……」


 まあいい。地球は他の太陽系拠点より広く、惑星の破壊までにはまだ時間がかかりそうだが、兄弟子達には移動時間のハンデがある。必ず俺が一番になってやる。


 俺は粉々になった巨大ロボの身体の破片があられの如く降り注ぐ中、両手を合わせる。


成物じょうぶつ(※)しろ……」


※成物:物教ぶっきょう思想の根幹を成す考え。「物」となることで全ての苦しみから解放されて解脱する様を指す。全ての生命のみならずAIにも適用される。


 汚水とガス管の破裂して地獄のような光景となった東京の空の下、空を眺めながら俺はゆっくりと歩きだす。


「人類の歴史は、俺が必ず看取ってやる」

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