日本語の敬語の深淵をたどる

ポチョムキン卿

時空を超えて紡がれる敬意の物語

日本語を学ぶ外国人の方々が口を揃えて「最も難しい」と嘆くのが「敬語」ではないでしょうか。尊敬語、謙譲語、丁寧語。これらの使い分けは日本人にとっても一筋縄ではいかず、時に頭を悩ませるものです。なぜ、これほどまでに複雑な表現が日本語に根付き、進化を遂げてきたのでしょうか。その深淵には、日本の歴史と文化、そして人々の心に宿る繊細な「敬意」の物語が横たわっています。


敬語の萌芽:神への畏敬と身分社会の誕生

敬語の歴史をたどると、その源流は意外にも太古の日本に求められます。ある説では、古代の人々が神々に対して祈りや感謝を捧げる「祝詞(のりと)」の中に、敬語の萌芽が見られると言います。例えば、稲作の豊穣を願う際に唱えられたであろう祝詞には、自然の猛威を前に畏敬の念を抱き、豊作を神の恵みとして尊んだ人々の、神への最上級の敬意が込められていたはずです。これが、後に「絶対敬語」と呼ばれるものの原形になったのかもしれません。


やがて、日本に身分制度が確立されていくにつれ、敬語は神から人間、特に天皇や貴族といった上位者への敬意を表す言葉として発展していきます。奈良時代から平安時代にかけての文献には、すでに尊敬語の原型が見られ、宮廷文化の中で、上下関係を明確にする言葉遣いが洗練されていきました。たとえば、天皇の行動を指す際に「ご覧になる」「おっしゃる」といった表現が使われるようになったのは、相手を「高める」ための尊敬語がまず生まれた証拠です。そして、その対極として、自分を「へりくだる」ことで相手への敬意を示す謙譲語が派生していったと考えられています。天皇に何かを「差し上げる」「申し上げる」といった言葉がこれにあたります。


武家社会と町人文化が織りなす敬語の多様化

敬語がさらに複雑な様相を呈するのは、武士が台頭する中世以降、そして江戸時代に入ってからのことです。武家社会においては、主従関係が何よりも重視され、その厳格な上下関係を反映する形で敬語が発達しました。大名が家臣に命令する際や、家臣が主君に報告する際など、言葉一つ一つに身分の違いが厳しく表されました。


一方で、江戸時代には町人文化が花開き、師弟関係、店と客の関係など、身分制度だけではない多様な人間関係が発展します。これにより、それまでの身分に縛られた敬語とは異なる、より日常的なコミュニケーションにおける「丁寧さ」が求められるようになりました。ここで大きく発達したのが、まさに現代の私たちが日常的に用いる「です・ます」に代表される「丁寧語」です。例えば、商店で客に対して「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」と言う「丁寧語」は、身分は違えど、商売上の敬意と円滑な関係性を築くために不可欠な表現となりました。特に遊女の言葉から広まった「です」は、当初は相手を見下すような尊大な意味合いも含まれていたと言いますが、時代とともに丁寧な意味合いが定着し、今日に至るまで市民権を得るに至りました。


このように、古代の神への畏敬、身分制度の確立、そして多様な人間関係の発展という、日本の歴史における様々な局面が、日本語の敬語体系の複雑化を促してきたのです。


「和を以て貴しとなす」:敬意が織りなす人間関係の美学

世界の言語と比較しても、日本語の敬語は確かに際立って複雑です。しかし、その複雑さは、単なる規則の羅列ではありません。そこには、日本人の根底にある**「和を以て貴しとなす」という精神**、すなわち、人間関係を円滑に保ち、相手を尊重し、調和を重んじる文化的な背景が深く関わっています。


敬語は、単に相手の地位が高いから使うものではなく、相手への配慮や感謝、そしてその場にふさわしい「わきまえ」を示す手段として機能してきました。例えば、ビジネスシーンで初対面の人に会う際に「初めまして、〇〇と申します」と謙譲語を使うのは、自分をへりくだることで相手を立て、スムーズな関係構築を図ろうとする意思の表れです。また、相手の行為に感謝する際に「頂戴いたします」と表現することも、相手への深い敬意と感謝の気持ちを伝えるための重要な要素です。それは、言葉によって相手との距離を測り、心地よい関係性を築こうとする、日本人の繊細な感性の表れとも言えるでしょう。


現代社会においても、敬語は変化し続けています。新しい言葉遣いが生まれ、時には過剰な敬語が問題視されることもあります。しかし、根底にある「敬意」という概念は、私たち日本人にとって普遍的なものです。複雑だからこそ奥深い日本語の敬語は、これからも私たちと、そして世界の言語学者たちに、人間関係と文化の豊かな物語を語り続けてくれることでしょう。


小説を書く時にも個性づけに敬語を使うキャラなんて場合もあるかもしれませんので、参照にしてください。

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