蠱毒姫番外編 「大リーグ」魔界シリーズ第3戦

有馬 礼

「ふむぅ……、圧倒的やないかい、我が軍は」


 魔界西域。そこは翼竜族が治める土地である。

 蔦が絡まる石壁で有名な翼竜族の王城の中心、執政の間では毎日の日課として王へ翼竜族のプロ野球チーム「西域ワイバーンズ」の試合結果とリーグ成績が奏上される。長らく成績が低迷していた翼竜軍だが、今季は大型新人の活躍もあり、西部リーグ首位を守っている。

 王自身熱狂的なワイバーンズファンであり、試合結果もリーグ成績も報告されるまでもなく承知しているが、ファンとしてはともかく王としては昨今のこの成績は少々頭が痛いのだった。


「こらもう、今季の『アレ』は確実ですわ」


 治安維持を担当している法務執政官(もちろん熱狂的なワイバーンズファン)も、満足げに頷く。


「せやな。このまま行ってもらいたいとこや。せやけど、今季の東部リーグは『サイクロプス』がぶっちぎりやろ?」


「左様でおま。今季の魔界シリーズは伝統の一戦でっせ。盛り上がること間違いなしですわ」


「一つ目軍をゆわして、いっちょ派手に王都で優勝パレードカマしたらんとな」


「おっしゃるとおりですわ」


「なあ、アレしたら、理由はなんでもええから、あの『王の谷』に会われへんやろか」


 王は少し声を落として執政官に言う。王の谷とは、翼竜族の由緒ある一族から入団した大型新人である。打ってよし投げてよし走ってよしの万能選手で、出身の一族を表すニックネームで呼ばれているのだ。そのあまりの活躍は種族を超えたファンを獲得している。


「お任せください。茶ぁでもシバきまひょか、それとも酒宴がよろしでっか?」


「うーわーどないしょう。楽しみやなぁ」


 王はバサバサと翼を羽ばたかせる。


「まあ、それはおいおい考えるとしてや。ホンマにアレしたときの警備体制、どないなっとる」


「はい、こちらをご覧ください」


 執政官が白壁を指差すと、そこに魔界の地図が表示される。

 ワイバーンズの熱狂的なファンたちは重要な試合に勝っても負けても王都の川に飛び込んだり酒を飲んで大騒ぎしたりと、少々「お行儀」がよろしくないことでも有名なのである。


「魔界野球機構によると、魔界シリーズ第3戦は人の国の王都にある『アウゲスタジアム』です」


「……ああ、あの。王妃はんが魔界ツアーの千秋楽やって名前変わったとこやな」


「王都からのアクセスは最高で、魔界シリーズの動員数を更新するんちゃうかと機構は踏んでまして、相当の混乱が予想されますわ。あとは辺境の『虚無の白壁』をスクリーンにしたパブリックビューイングですな」


「ふぅーむ、『バンキチ』のヤンチャは時々ちょっと行きすぎるきらいがあるからな……」


 王は翼の真ん中についている第一指でポリポリと眉間を掻いた。


「人の国では王都の警邏隊が警備に当たると」


「魔王はんに迷惑はかけられへんが、まさか人の国の都にこっちの軍隊出すわけにいかんしなぁ」


「そのあたりは翼竜族の民間警備会社の従業員を一時的に人の国に出向させて手当する予定です。球場内の警備につけたるゆうて応募しましたら倍率が100倍ちこうなってもて、どんだけ野球見たいねんて社長がゆうてましたわ」


「うせやろ……。仕事で行ったら酒飲まれへんやんけ……」王は茫然と呟いてから慌てて咳払いした。「ほんで、辺境のパブリックビューイングは」


「こちらは正規軍を治安維持の名目で派遣します。人の国の宰相はんと将軍はんにも、概ね了承を得とりますんで、このセンで行こ思います。辺境警備隊も協力いただけるゆうことで。軍の方も志願者募ったらあっという間に枠が埋まったゆう話ですわ」


「うせやろ……。シラフで野球見る気ぃなんか……? 正気か?」


「あ、ゆうときますけど。王都の第3戦は確かに陛下もご臨席賜りますけども、魔王陛下やら巨人の国の国王陛下やらも来はりますんで、お酒はほどほどに。あと、メガホン叩きつけて『やめてまえ!』とかもあきまへんで」


「うせやろ……。そんなんワシ、耐えられへんやんけ……」


「巨人族と戦争しとうないんで、そのへんはよろしゅたのんますわ」


「お、おう……」


 難しい顔で国王は唸った。


「あ、せや、ほんだらアーウィン様に陛下の名代で行っていただきまひょか? 魔王陛下とはお友だちであらせられますし」


「アホゆうな。なんであの野球音痴にこの世紀の一戦を現地で見したらなあかんねん。意地でもワシが行くわい」


「左様でっか……」



***



 久々に人の国の魔王城には重臣が勢揃いしていた。


「それでは、本日の最重要議題に移ります」


 蜥蜴型魔族でありながら人の国で魔王に仕える執事頭、メーアメーアが手元の分厚い書類をめくる。


「来る『大リーグ』魔界シリーズでございますが、今季の成績を勘案するに、東部リーグは『サイクロプス』、西部リーグは『ワイバーンズ』が優勝の最有力候補であり、魔界シリーズもこの2チームによって争われるものと考えられます」


「伝統の一戦だな!」


 カイ将軍が丸太のような腕を組みながら大音声で言う。明らかにわくわくしている。


「魔界シリーズ第3戦は人の国の王都で開催されるのが通例だが、今年の開催地は……」


 宰相バルナバスが口を動かす手間すら惜しんでいる早口で尋ねる。


「アウゲスタジアムとなっております」


「……混乱は避けられぬな」


 宰相の顔が微かに険しくなる。


「左様でございます」


 メーアメーアは眼球をぺろりと舐める。


「翼竜族、巨人族の双方から治安維持のための人員の供出について申し出を受けております。ただ正規軍を王都に入れるわけには参りませんので、民間警備会社の出向者という名目で、スタジアム内の警備及び混乱が起こった際の鎮圧に従事させることとしております。こちらは警察隊と組行動させ、危険行為に対しては警察権を発動することで両国に了解を得ております。スタジアム周辺及び市街地は警邏隊及び軍で対応いたします」


「辺境でもパブリックビューイングが行われるということで、こちらは両国から正規軍が派遣される由だ。もちろん辺境警備隊も出動する」将軍の大音声が轟く。「辺境で起こった違反行為に対しては辺境警備隊が警察権を行使する予定だ!」


 ふんわりした将軍のセリフを宰相が引き継ぐ。


「辺境での警察権行使につきましては、翼竜族・巨人族・人族の3国で違反者の引き渡し等の手続きについて覚書を交わすこととしており、陛下のご裁可を仰ぎたいと思います」


 宰相が省エネモードで述べ、上座の魔王ヴォルフの方を向く。


「うん、いいよ。宰相に委任しよう。でもこの場合、ほとんどがヒートアップした翼竜族と巨人族のトラブルになると思うから、後になって両国にしこりが残らないように、違反者の扱いと引き渡しに関しては特に綿密に詰めてきてほしい」


「承知いたしました」


 宰相は目礼する。


「辺境警備隊では空間分割及び転送の能力を持つ者を配置し、そもそも両国のファンが交わらないように努めます」


「うん、それがいいね」


 将軍の言葉にヴォルフが頷く。


「翼竜族のお行儀の悪さは目にあまりますからね。ただでさえ下品な者たちだというのにワイバーンズファンともなれば」


 どさくさに紛れてメーアメーアが翼竜族をディスる。


「ところで」メーアメーアはぺろりと眼球を舐める。「魔界野球機構から、魔界シリーズ第3戦に魔王陛下ならびに妃殿下のご臨席を賜りたいと打診が来ております。いかがいたしましょうか」


「妃殿下は野球になどご興味がおありではないのでは?」


 宰相がキマった眼をメーアメーアに向ける。


「その点は大丈夫かと。妃殿下におかれましてはワイバーンズのイェホーシュ選手、通称『王の谷』の、勝ちに貪欲な姿勢をたいそうお気に召され、最近はワイバーンズの試合は全てご覧です」


「なるほどな!」


 将軍は丸太の如き腕を組みながらうんうん適当に頷く。


「左様でございます」


 メーアメーアは反対側の眼球をぺろりと舐めた。


「常々、スタジアムで王の谷のホームランボールを捕りたいからグラブがほしいと仰せです」


「でも姫さまがタテジマのユニフォームで魔界シリーズに現れたら、それはそれで戦争勃発しちゃうよね?」


 アウゲの「推し活」に時々付き合っているヴォルフが言う。


「確実にそうなりましょうな」


 宰相がすかさず肯定する。


「むしろ行かない方がいいのかな、これは」


「いえ、ぜひご臨席賜り、翼竜族と巨人族がお互いに宣戦布告する事態にならぬよう、人間クッションになっていただければと」


 メーアメーアがぺろりと眼球を舐める。


「ええ……、そんなの無理なんだけど……。姫さまにずっと手握っててもらおう……」


「陛下ならば大丈夫でしょう」


 将軍の無根拠で無責任な大音声が轟く。


「確かに」


 後の仕事がつかえているので早くこの会議を切り上げたい宰相も雑に同意する。


「では、そういうことで」


 反対側の眼球を舐めながらメーアメーアがこの場をまとめた。


「ねえ、おれの人権とかそういう感じのアレは……?」



***



 その後、東部リーグ・西部リーグともに大番狂せは起こらず、当初見込まれていたとおりの組み合わせで魔界シリーズは戦われることになった。

 5戦のうち3勝したチームが今年の魔界シリーズ優勝となる。ワイバーンズ、サイクロプス共にそれぞれのホームで1勝し、お互い1勝1敗の最高のスコアで魔王が治める人の国の王都での台覧試合を迎えた。


「今日、王の谷はホームランを打つかしら。ああでも、露骨に特定の選手やチームを応援しちゃ、いけないのよね」


 貴賓席の控えの間で、珍しくアウゲがそわそわと指先を組みあわせながらヴォルフを見る。そのドレスは両チームのチームカラー及びシンボルと重複しないよう、慎重に選ばれている。


「ええ。翼竜族に嫉妬した巨人族が宣戦布告するといけませんからね。あくまで姫さまは『野球のことはよくわからないけど呼ばれたから来ました』みたいな感じでお願いします、ってメーアメーアが言ってました」


「どうしましょう、自信がないわ……」


 アウゲはヴォルフの腰に緩く腕を回すと額を彼の肩に預ける。


「大丈夫です。試合が始まったら両隣のおじさんたち見ててください。ドン引きしちゃってそれどころじゃなくなりますから」


 ヴォルフは背中に流されたアウゲの真っ直ぐな銀の髪を撫でた。


「それはどういう……?」


 アウゲはヴォルフの肩から顔を上げて彼を上目遣いに見る。


「見ればわかります。ちょっと言葉では説明しにくいので」


「……ますますわからないし自信がないわ」


 その時、まもなく始球式が始まるとメーアメーアが2人を呼びに来た。

 魔界野球機構は、大型魔族のチームで構成される「大リーグ」、人族等の中型魔族のチームが所属する「中リーグ」、妖精族等の小型魔族のチームからなる「小リーグ」の3部門からなる。本日の始球式は先に小リーグ魔界シリーズで優勝を決めている妖精族「花園フェアリーズ」のエースだった。大型モニターにその姿が大写しになる。MVPにも選ばれた彼が帽子を取って貴賓席に妖精族らしい優雅な仕草で一礼し、また大歓声に応える。

 ピッチャー振りかぶり、投げた――妖精族のピッチャーの指から離れたボールは瞬時に大型魔族サイズになり、キャッチャーが構えたミットに吸い込まれる。そしてそのままキャッチャーを背後の主審も巻き込みながら吹っ飛ばした。バックネットに諸々がぶち当たり白煙が上がる。バッターは形だけの空振りをする。ピッチャーが帽子を取って大歓声に応えた。スタジアムの熱気は最高潮に達していた。


「悪いけど、今日の試合は一つ目軍が勝たせてもらうよ」


 巨人族の王はチームカラーのオレンジ色のワントーンコーデだ。



「ほっほっほ、何をおっしゃいますやら。王の谷は絶好調、今日も『これホームランダービーやったんかいな』状態ですわ」


 翼竜族の王も受けて立つ。その胸元には金のワイバーンが光る。


「ところで、ご夫妻は野球にご興味は?」


 巨人族の王がヴォルフとアウゲに尋ねる。


「残念ながらおれと妻はそれほど野球には詳しくなくてね。だから今日はのんびり楽しませてもらうよ」


 大型魔族に挟まれながらもその雰囲気に押し負けることなく、ヴォルフが脚をゆったりと組み替えながら答える。確かにこれは王の谷を個人的に応援しているなどと言える雰囲気ではない、とアウゲも曖昧に頷きながら微笑みを浮かべた。

 グラウンドではプレイボールが宣言され、歓声にスタジアムがどよめく。


「さあ、1番は指名打者王の谷や。先頭打者ホームランいくで!」


「いやいや、うちのエースがそんなの許すとでも?」


 ヴォルフとアウゲの頭の上でバチバチと火花が散る。それを見てみぬふりをするのもそれなりの努力を要する。思わず王の谷を応援してしまわないか危惧していたアウゲだったが、ヴォルフの「それどころじゃなくなる」意味がようやくわかった。これは素人が迂闊に踏み込んでいい領域ではない。

 ピッチャー第一球、投げた――。王の谷のバットは僅かに揺らぎながら駆ける白球を真芯で捉えた。ピッチャーの体重が乗った豪速球と、そのヘッドスピードは音速に達すると言われる王の谷のバットが押しあう。

 ギャンッ

 打ち返された白球は直ちに第一宇宙速度に到達するが、球それ自体の物理的耐久性を超えたために、フェンスを越える前に燃え尽き、灰になってグラウンドに降り注ぐ。

 「大リーグ」ルールにより、ツーベースヒットが宣言された。


「ああー、ちっと力みすぎたか」


 ぐびぐびと翼竜族の王が酒を飲む。アウゲの感覚では大広間の花瓶くらいあるジョッキが、あっという間に空になる。


「ふぅ、危ない危ない。命拾いしましたよ。しかしさすがは王の谷ですねぇ」


「まずは肩慣らしっちゅうとこですわ」


 お上品(?)に事が進んでいたのもしかしそこまでだった。その後は見るに耐えない事態となり、ヴォルフとアウゲは王族スマイルを顔に貼り付けたまま、「バッキャロー何やってんだ!」「いてこましたらんかいボケェ!」等の熱烈(?)な応援(?)が飛び交う貴賓席で、こっそりと手を繋いでこの場をやり過ごしたのだった。


 ウオオオオオオ……!という観客の声援が地鳴りとなってスタジアムを揺らす。

 試合はワイバーンズが1点のリードを死守し、ゲームセットとなった。

 興奮したワイバーンズファンたちがフェンスをよじ登り始める。

 気づいた警備員たちが急行しファンを引き摺り下ろそうとするが、何ぶん多勢に無勢、手が回らない。しかしながら貴賓席からではその様子をハラハラしながら見守るしかない。

 一方その様子を見ていたサイクロプスファン側でも同様の動きが生じる。興奮状態に陥っているファンたちを静止しきれず、ついに群衆がグラウンドに雪崩れ込んだ。選手たちが警備員に誘導されて避難していく。本来であればこの後ヒーローインタビューが行われるはずだったがそれどころではない。今日もMVPの王の谷のインタビューを何より楽しみにしていたアウゲだったが、選手の安全には代えられない。そしてグラウンド上では両チームのファンたちが一触即発の雰囲気になる。


「何しとる、早よ止めんかいな……!」


 翼竜族の王が思わず立ちあがる。


「選手は避難できたのか?」


 巨人族の王も窓に駆け寄って様子を注視している。

 両チームの最前線同士が触れあうかに見えたその刹那。


『静まれ!』


 拡声器も通さずヴォルフの声がスタジアムに響き、また、今まさにぶつかろうとしてたファンの1人ひとりが青いシャボン玉に包まれて宙に浮かんだ。興奮しきっていたファンたちはぽかんとして、シャボン玉の中で漂っている。一触即発の空気はすっかりメルヘンでファンタジーなものに変わっていた。


「これは一体……」


 スタジアムに無数に漂うシャボン玉に、翼竜族の王が茫然という。


「これは、王妃殿下のお力ですか……? 確か、加護の力をお持ちだとか」


 巨人族の王がアウゲを振り返った。


「ええ。ご両国の大切な民に怪我がなくて、本当に良うございましたわ」


 両国を刺激しないよう青いドレスに身を包んだアウゲは、王の谷のヒーローインタビューが聞けなかったことはそれとして、微笑んだ。



「大変お疲れさまでございました」


 2人を出迎えたメーアメーアが眼球をぺろりと舐める。


「はぁ、疲れた」


 ヴォルフはソファに倒れ込んでクラバットを緩めた。


「私も。こんなに気疲れする野球観戦は初めてだわ……。やはり自分のお部屋で見る王の谷が最高ね……」


 アウゲも珍しくソファの背もたれに(あくまで上品に)身体を預けた。


「ヒーローインタビューなくなっちゃって残念でしたね」


「ええ、本当に。代わりに、お部屋に戻ってお気に入りのインタビューを見返すことにするわ」


「お気に入りのインタビューとか、あるんだ」


 メーアメーアが冷えたハーブ水を運んでくる。


「只今辺境からも報告がありまして、辺境でも一触即発のファンたちがシャボン玉に包まれて事なきを得たとのことでございます」


「さすが姫さま」


 ヴォルフは笑って傍らのアウゲを見る。


「あなたが興奮したファンたちを止めてくれたからよ。だからできたの」


「ともあれ、人死にも出さず、翼竜族と巨人族もお互いに宣戦布告せず、良かったですよ」


 ヴォルフはアウゲの手を取る。


「本当ね。何気なく見ていたけれど、野球って、大変なのね」


「いえ……、野球は本来別にそういうものでは……」


 メーアメーアは手を握って微笑みあう夫妻を前に、反対側の眼球をぺろりと舐めた。

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