大雨が降っていた。翌日はサツマイモの苗の植え付けがあり、児童会長の「僕」は、あいさつを任されていた。お母さんの期待もかかっている。だから雨にやんでほしい。
そんな中、ふと向かいの屋根に目をやると、そこには子どもの姿があった。彼こそが、雨降小僧。雨降小僧と「僕」との無邪気なやり取りは、まるで童話の一場面のように生き生きと描かれている。
雨降小僧は「僕」のアルターエゴのように思われる。「子どものままでいたい、成長したくない」という「僕」の無意識の願望が投影された存在なのではないだろうか。
ピュアな心のまま、雨の世界に遊んでいたい雨降小僧と、それに対して折り合いをつけようとする「僕」との対比が印象的。雨降小僧を説得を試みることで、「僕」は子どもから大人へと一歩踏み出すのだ。
また、「雨が家を叩いている」「窓ガラスに雨が滝のように流れ」といった描写からは、雨の存在感と臨場感がしっかりと伝わってくる。
情景と心情が雨の中で溶け合う、印象的な一作。
雨を降らせる雨降小僧。
その言動は妖怪や妖精らしくユーモラスで、不思議な雰囲気を持っています。
主人公の少年ユウキは、偶然出会った雨降小僧に巻き込まれる形で、雨の中で夢のような一夜を過ごします。
大喜びでどんどん雨を降らせる雨降小僧ですが、ユウキはあまりの大雨に、とうとう雨を止ませて欲しいと願うのです……。
子供の頃には見えていたかもしれない不思議な世界。
そういった存在を信じない子供が増えたから、そんな環境を大人が作りがちだから、豪雨は増えたのかも?…なんてこともチラリと考えてしまう物語でした。
無条件に不思議な世界を信じられる、そんな子供達が増えると良いなと願いつつ、この素敵な物語をオススメ致します!
「これ、いいな!」、「この話、好きだな!」
自然とそんな感想が浮かんでくる。そういう素敵な小説です。
ユウキは窓から外の様子を見る。雨が降っていて憂鬱。明日は児童会長として、サツマイモの苗つけのイベントで挨拶をする予定もある。
雨がやまないのが不安。そんな風に感じていた。
そこで、彼の前に不思議な存在が現れる。
雨降小僧という名の存在は、ユウキと一緒に遊ぼうと、雨の降る外へと呼び出す。
どんどん雨を降らし、屋根の上でウォータースライダーみたいなものを作り出し、楽しい時間を過ごそうとする。
この段階で、一つ気づかされるものがあります。
子供にとっては、じゃんじゃん降る雨というのは、実は心が湧きたつものなんじゃないか。プールみたいに遊ぶことだって出来るし、雨に打たれれば気持ち良いこともあるかもしれない。
そんな子供の感性をいつしか忘れてしまっていた。雨降小僧の姿を見て、そんな事実に気付かされます。
「無邪気な存在」というものを通し、「雨」や「天気」というものについて見つめ返したくなりました。ラストも爽やかなもので、良いものを読んだ、と強く感じさせられる作品でした。