愛を求めた少女と子どもの話

粒餡

愛を求めた少女と子どもの話

 大人になるということは、きっと幸せなことだと思っていた。いや、正確には小学生の時は純粋に信じていた。中学、高校、大学と歳を重ねるに連れて、その希望はいつしか願望に変わっていき、そして願望は失望となって俺と共に腐り果てた。

 大人になれば、今より自分に使える時間が増えて、自由になれるはずと信じていた。だが、増えるどころか逆に自分の時間を誰かに使うことの方が多くなっていった。

 大人になれば、自分の元に素敵な女性が勝手に来てくれると信じていた。だが、女性に好かれる努力も、思いを伝える度胸もなかった俺に寄って来る女などいるはずがなかった。

 大人になればきっと……きっと、自分が生涯目指すべき目標が見つかると、信じていた。だが、今の俺には何もない。今の会社も自分の実力であれば入れるであろうと、適当にテンプレ並べて入った会社で好きでもないやりがいにもならない仕事をやっている。大学まで続けてきたテニスも、時間がないからと適当な理由でやめてしまい趣味と呼べる趣味もない。この前偶然会った顔も名前も覚えていない友人に、今何をしているかと聞かれても何も答えられなかった。そんな何処にでもいるダメ人間、それが俺だ。

 だが、そんな俺にも最近趣味というか習慣のようなものが出来た。最初は何となく、本当に何かの気まぐれで仕事帰りに寄り道をしていこうと思いふらふらと町中を歩き回っていたら偶然辿り着いた森の奥。そこは若干開けていて、上を見れば星が見える広場のような場所。ここに来るには薄暗い藪の中を通ってこなくてはいけないため、明るいうちであれば誰かいるかもしれないが、深夜であれば誰も来ないであろう、俺だけの場所。そこで仕事帰りにコンビニで買った酒を飲みながら星を見るのが習慣となっていた。別に星を見るのが好きというわけでもない、外で酒を飲むのも好きではない。だが、あそこで星を見ながら酒を飲むという行為はこの世で俺一人しかやっていないと思うと、なんだか自分が特別になった気がするから、今日もまたそんなちっぽけな特別を感じに俺はあそこへ向かっている。

 「……え?」

 だが、そこにはいつもとは違ったものがあった。いつものように開けた草むらの上に……少女がそこに立っていた。月が雲に隠れているのか暗いためよくは見えず、更にこちらに背を向けているため、かろうじて長い髪と制服のようなものを着ていることから、恐らく学生だと思われる。

 ……どうしよう、日付はまだ変わってはいないがそれでも遅い時間には違いない。そして、そんな遅い時間にこんなところで一人でつったっている女子学生など確実に面倒事に決まっている。こういうのには関わらない方がいい、きっと面倒なことになる。

 「……何やってんだお前」

 だが、そんな心とは裏腹に口からは勝手に言葉が出る。別にここは俺の私有地というわけでもないが、それでも……やっと見つけた俺の生きがいをこんな少女に邪魔されるのは腹立たしい。

 「誰、おじさん?」

 苛立ちをこめて言葉を発したはずだが、目の前の少女は顔が見えないため分からないが、恐らく涼しい顔をしながらこちらに振り返った。何やら抱えているがカバンか何かだろう、きっと両親と些細なケンカをして、制服のまま飛び出してここまで来たのだ。そんなよその家の事情で俺の習慣が邪魔されたと思うと、増々腹が立ってきた。

 「初対面の大人におじさんはねえだろ、せめてお兄さんと言え。というかお前こそ誰だ、子どもがこんな時間にここで何をしてる?」

 「別に……何も」

 「何もって……はぁ、とりあえずさっさとどっか行ってくれねえか、邪魔なんだよ」

 「邪魔って、おじさんここで何かするの?」

 「……天体観測だよ」

 一度訂正したにも関わらず、おじさん呼ばわりしてくる少女にどんどんストレスが溜まっていくが、落ち着いて返答を考える。別に正直に酒飲みながらぼーっと星を見るだけと答えてもいいのだが、ちっぽけなプライドから少し気取った言い方をしてしまう。

 「望遠鏡も持ってないのに?」

 「うるせえな。望遠鏡何かなくたって星ぐらいは見えるだろうが、いいからそこをどけ!」

 「分かった、じゃあそこら辺に座ってるから、どうぞご自由に」

 「……いや、ダメだ。お前がいるだけでこっちは迷惑なんだよ。さっさと帰れ」

 正直、少女がここに留まろうが去ろうがどうでも良かった。ただ、何となく少女に馬鹿にされているというか、舐められている気がして家に帰るよう促す。

 「帰れって……どこへ?」

 「どこへって、家にだよ。まさかないなんて言わないよな?」

 「ないって言ったら……どうする?」

 「……もういい」

 もう付き合っていられない、あまり人と関わらない俺でも分かる、この少女は俺と話すことを楽しんでいる。普段であれば流れでこのまま話に付き合っていたかもしれないが、仕事終わりでくたくたの俺の休息の時を邪魔してくるような少女の話なんぞ誰が聞くか。

 「あ、待って」

 「何だよ、俺はお前と違って忙し……」

 帰ろうとした俺に声をかけてきた少女に、皮肉の一つでも言ってやろうと振り向いたその時。月がまるで、少女と息を合わせたかのように雲から出てきて少女を照らす。そして、その少女の姿を見て俺は思わず言葉を詰まらす。そこにいたのは、天使のように可憐な少女だった。

 「ねえ、おじさん」

 しかし、俺が言葉を詰まらした原因は他にあった。

 「良かったら私とさ……」

 俺の目線は、少女の顔のちょっと下。彼女が抱えていたものに向けている。

 「もうちょっと、お話していかない?」

 そこには、赤ん坊がいた。

 「……え、あ」

 面倒事だ、そうに決まっている。こんな時間にこんな可憐な少女がこんな場所で赤ん坊を抱えてただ突っ立ってるだけなど、この少女に何かあったに違いない。そして、彼女は今からその面倒事を俺に共有しようとしている。今すぐにでも立ち去るべきだ、彼女の話を少しでも聞いたら戻れなくなる。

 「……ダメ?」

 「あ……ああ……えっと……少し、だけなら」

 しかし、また俺の口は俺の意志に逆らって少女に了承の言葉を告げる。思えば、最初からおかしかった。普段の俺であれば、いくらお気に入りの場所に人がいたからって話しかけるようなことはせず、そのまま家に帰っているはずだ。もしかしたら、俺は最初からこの少女に狂わされていたのかもしれない。

 「良かった。じゃあ、ここに座って」

 そういって彼女は座りながら自分の隣をぽんぽん叩く。俺は何かに操られているかのように彼女の隣に歩んでいき、座る。

 「それじゃあ、何を話そうか。ううん、そうだなあ……あ! 私の話とかどう?」

 最初から話すことは決まっているくせに、彼女は悩む振りをしてからこちらに提案してくる。まるでこれから起こることは全てお前が決めたことだから後悔するなよとでも言うように。

 「お、おう……いいんじゃないか」

 「やった。あ、その前に自己紹介しよっか。私は西野空。あなたは?」

 「……斎藤拓真」

 「そっか、じゃあ拓真さん。この話が終わるまでの関係かもしれないけど、よろしくね」

 「よ、よろしく……」

 「うん! じゃ、話そうか。私の話……愛を求めた少女の末路を」

 そうして、彼女が話し始めると共に、俺のこれまでの人生で一番長い夜が始まった。


 「まずは、私の家族構成の話から始めよっか。私と、私がこの世で一番大好きなお父さん!」

 「……お母さんは?」

 「……やっぱ気になるよね」

 「あ、別に言いたくなきゃ言わなくても……」

 「ああ、いいのいいの。別に気にしてないし。お母さんはね、私が生まれてすぐにお父さんに浮気がバレて自分から出てっちゃったんだって。馬鹿だよねー、あんなにかっこよくて優しいお父さんがいたのに浮気をするなんてさ」

 思わず聞いてしまったが、彼女は本当に気にした様子も見せずに、むしろ楽しげに重い話をしてくる。しかし、彼女は家族は自分と父だけしか言っていない……それでは、彼女の腕の中で眠っている赤ん坊は一体何だ?

 「……」

 「私のお父さんね、ほんっとうにカッコいいの! そこら辺の俳優何か目じゃないくらいに! それにね、私と結婚の約束までしてくれたの! 大人になったらねって言われたけどもうすぐ……どうかした?」

 「あ、いや。その……何でもない」

 「ふーん……そっか。じゃあ、話の続きするね。このままお父さんの事を掘り下げてもいいんだけど、それじゃあ朝になっちゃうしね」

 しかし、俺には赤ん坊のことを聞く勇気はなかった。彼女も俺の目線には気づいていたはずなのに、何事もなかったかのように話を続ける。

 「私はね、きっと愛され続けて生きてきたんだと思う。お父さんは勿論、学校の先生や私の友達もみんな優しく接してくれてね。空ちゃん、一緒に遊ぼ。空ちゃんこれあげるよって……あの頃はただただ楽しかったなあ」

 そりゃそうだ。まさかこの歳で成形しているわけもないだろうし、子どもの時から美人だったのだろう。これだけ顔が良ければ人生何てイージーモードに決まっている。

 「今は楽しくないのか?」

 「え? ああいや、どうだろう……色々大変なことばかりだけど……昔よりは満たされてるかな」

 「……そうか」

 こんな少女であっても、悩みがある。そう思うと何だか少し親近感を覚えた。こんなに可憐で、周りから愛されている少女でも自分と同じように悩むことがあるのだと。

 「そう……まあ、でも。やっぱり昔の方がちょっと楽しかったかな……今はあの女がいるから」

 「あの女?」

 「……私はね、周りの人何かがいなくてもお父さんがいるだけで幸せだった。お父さんがいるだけで満たされた気分になった……でもね、お父さんはそうじゃなかったみたい。私が高校に上がったと同時に……再婚相手を私たちの家に連れ込んだの」

 そういって彼女はどこか遠くを見つめる。その目は明らかに敵意が含まれており、彼女の言い方といい良くは思っていないのだろう。

 「そんな酷い相手だったのか? 君のお父さんの再婚相手は」

 「さあ? あまりしゃべったことないから分かんないや。興味もなかったから名前も、顔もうろ覚え。私にとっては、あいつは私たちの幸せを壊す悪魔みたいな女だった」

 「それは……」

 「ん?」

 「……何でもない」

 それは、君たちの幸せではなく。君だけの幸せなんじゃないか? そう言いかけたが、彼女の威圧的な視線を向けられると何も言えなくなってしまい、俺は黙ってしまう。

 「そっか……まあ、それで私が猛反対したから何とか再婚は防ぐことが出来たの。でもね、その代わりあの女は度々うちに来るようになったんだ。その度にお土産とかもって私のご機嫌を取ろうとして……本当に気持ち悪かった」

 彼女の美しい顔が憎悪で歪んでいく。きっと、彼女のお父さんは高校生になれば娘も自分の再婚を受け止めてはくれると思ったのだろう。しかし、俺が思うにそれはむしろ全くの見当違いだ。彼女が幼いうちに……まだ嫉妬という感情が分からない内に再婚するべきだったと思う。

 「私も、ただあの女を拒否するだけじゃなく、色んな対策を取ったよ。わざとあいつに水をかけてやったり、ご飯にガラスを混ぜてやったり……それでも、あいつはしぶとくうちに来続けて……ついにあの女はやったの。私が家に帰って、扉を開けたら……あの女は、あの女は……!」

 「おぎゃあ! おぎゃあ!」

 「え?」

 再婚相手への憎悪によっておかしくなっていく彼女と、それをただただ見ることしか出来なかった俺たちの間で、まるでそんな彼女を止めるためのように赤ん坊が泣く。きっと、彼女も無意識に手に力がこもっていき、それによって赤ん坊が痛がったから泣いただけに過ぎないだろうが。

 「……ああ。ごめんね、ごめんね。痛かったね……ごめんね」

 彼女はそんな赤ん坊に謝罪の言葉を込めながらあやしているが、泣き止む様子はない。

 「おぎゃあ! おぎゃあ!」

 「ああもう……泣き止んでよ。泣き止めってば!」

 「おぎゃあ! おぎゃあ!」

 「ちょ、そんなんじゃ余計にダメだ! もっとゆっくりやんなきゃ、赤ちゃんもびっくりするから……ああくそ、ちょっと貸してみろ」

 俺はそんな彼女から半ばひったくるように赤ん坊を奪う。別に他人の赤ん坊が泣いていても何とも思わないが、この子の泣き声を聞きつけて誰かが来てしまうかもしれない。そうなったらまず怪しまれるのは、こんな遅い時間に森の奥で制服を着た少女が赤ん坊をあやしている横に座っている俺だ。

 「おーよしよし。大丈夫だからねー、お母さ……えっと、あーお姉ちゃんは全然怒ってませんからねー」

 思わずお母さんと言いかけてしまったが、これでこの子の母親が彼女じゃなかった時気まずい雰囲気になってしまうだろうからあわててお姉ちゃんと言い直す。そんなハプニングがありながらも何とか昔の記憶を辿り寄せながら赤ん坊をあやしていく。

 「……上手だね。拓真さん、もしかして自分の子どもがいたりするの?」

 「まさか、交際相手すらいないよ」

 「だよね、そんな感じはする。私と話す時全然顔合わせてくれないもん」

 「……あっそう」

 「ああごめんごめん。でもすごいなー、きっと拓真さんならいい相手さえ見つかればすぐに結婚出来ちゃうよ。今時、家庭的な男の人はモテるからねー……それにしても、自分の子どもがいないとすると、親戚の赤ちゃんでも預かったことがあるの? だいぶ慣れてるみたいだけど」

 「他人の子どもなんて預からねえよ……歳の離れた弟がいるんだ、たまにこうやって母さんが忙しい時とかに代わりにあやしてやってただけ」

 「ふーん……」

 「……そういえば、この子。名前は?」

 「名前? あー……愛、とかどう?」

 「どうって……いや、まあいいや」

 「そうやって、拓真さんの簡単に人の事情に踏み込んでこないとこ。結構好きだよ私」

 「……そうですか」

 「そうそう、ふふ……」

 それから、彼女は何も言わないまま赤ん坊が泣き止むまでじっと俺があやしている様子を眺めているだけだった。

 「……ふう、何とか眠ってくれた。ほらよ、もう泣かせるんじゃねえぞ」

 「あー……いや、そのー……」

 「何だよ」

 今まで余裕ぶった態度を見せていた彼女が、珍しく言葉を詰まらす。

 「……出来れば、その子。拓真さんが抱いててくれないかな? 私じゃまた、興奮してひどいことしちゃうかもしれないし……」

 「いや、それは……」

 「ほら、その子に泣かれたら困るのは拓真さんでしょ?……人、来ちゃうかもよ」

 彼女は、まるで俺の心を読み取ったかのように俺が心配していたことを口にする。

 「……分かったよ」

 「ありがとね。それで、どこまで話したっけ……ああ、思い出した。そう、私が家に帰って玄関の扉を開けたらね……ちょうど、あの女とお父さんが……キス、しているところだった。二人とも、私に気付くと必死に言い訳を始めてね。偶然私がその瞬間に帰ってきちゃっただけなのかもしれないけど……あの時の私は、わざと見せつけられた気分だった。それっきり、私はお父さんと何となく会わないようにしちゃったの。別に、嫌いになったわけじゃないんだけど……お父さんを見る度にああ、あの女とキスしたんだって思い出しちゃうから。それがつらくて……」

 彼女は泣きそうな顔をしながら話し続ける。きっと、当時の彼女は父に裏切られた気分だったのだろう。今まで自分だけを愛してくれていた父が、突然知らない女を連れてきて結婚するなどと言い出して。必死にその父の愛を守ろうとした結果……父の愛が、他人に与えられた瞬間を目撃してしまったから。

 「学校の友達も、みんな心配してくれたんだけど当時の私は私の気持ちも知らないくせに分かった気になって同情するなとか思っちゃって、みんなを自分の周りから遠ざけたの。馬鹿だよね、事情を説明してもないんだから分かるはずもないのに、当時の私はそんなことも分からない愚か者だった。だけどね、そんな私にずっと寄り添い続けてくれた人がいたの……それが、私にとって世界で二番目に大切な人……加藤俊君。私に、愛を教えてくれた人。私の、初めての恋人」

 「加藤、俊……」

 父に裏切られて、周りを遠ざけて、それでも自分に寄り添ってくれた人物。それはきっと、彼女にとって父以外の人物から初めて与えられた愛だったのだろう。その愛に救いを求めて、その彼と付き合うことになるのは道理なのかもしれない……。

 「じゃあ、この子の父親は……」

 「……さあ、誰だろうね? 話を続けるよ、彼との日々は毎日が新鮮なことばかりだった。お父さんとは違う考え方、お父さんとは違う言葉遣い。彼の言葉が、行動が一つ一つ、あの辛い日々を忘れさせてくれたの。彼はとても誠実な人だった、手を握っただけで顔が赤くなるような人だったのよ?……でもね、彼も思春期の男の子だった……私、可愛いでしょ?」

 「え? ああ、まあ……可愛い方だとは、思うな。うん」

 「ふふ、ありがとう。そう、私は可愛かったの。それにあの時の私はとても弱っていて、彼にべったりだった……それが、間違いだったのかもね。ある日、お父さんと、あの女が旅行に行くと言い出した。私は何も言わなかったけど……二人がいなくなったあと、私は彼を呼んだ。ただただ一人の家は寂しかったから、それだけだったのだけれど……彼は違った。もしかしたら私も少しはそういう気があったのかもしれない。だから……だから、彼と部屋で少し話した後……私たちは行為に及んだ。勿論、避妊具はつけてたわよ? 彼、誠実な人だから」

 「……あー、そう」

 「彼との行為はとても気持ち良かった……彼のが入ってきた瞬間、勿論痛みもあったけれど、それ以上に満たされた気持ちになったの。ああ、私は今彼に求められてるんだって。彼に……愛されているんだって」

 「あーそう!」

 「ふふ、可愛い。顔を赤くしちゃって」

 「うるせえなあ! いきなり他人のそういう、その、あの……セッ、いやその……とにかく! そういう話をされたら誰だってこうなるわ! いいから話を続けろ!」

 「はいはい。彼もきっと初めてだったのね。だって入れるときも……」

 「そういうのはカットで! 絶対話には関係ねえだろ! あったとしてもカットだカット! 女の子がそういう話をするんじゃありません!」

 「えー、ここからがいいところなのに……まあいいわ、ふふ。そこまで言うなら飛ばしましょうか」

 彼女は妖艶に微笑みながら話を続ける。この女、絶対に俺をからかってやがる……。

 「ええ、そう。これは話とは関係ないお話。だから、この行為によって私が変わってしまったってことだけ覚えてくれればそれでいいわ」

 「お、おう……」

 「私にとって、彼に抱かれることこそが一番愛されてると実感できる行為だった。だから、私はそれから毎日のように彼を求めたわ。彼の家で、学校で、そこら辺の公園で……」

 「公園ってお前……よくその俊君はしてくれたな。その子、別にそういう性癖とかはなかったんだろ?」

 「ええ、だから最初の内は彼も私の想いに答えていてくれた。でもね、ある日彼は私にこういうのは良くないんじゃないかって言ってきたの。きっと彼の良心が耐えられなかったのね。それっきり私たちはそういう行為をしなくなった。だから私は仕方がないからクラスメイトで代用したわ」

 「……は?」

 彼女は、今。なんて言った? 代用? 何を? 脳裏に嫌な想像が思い浮かぶが、それをすぐにかき消す。だって、そんな訳がない。彼女は今まで本当に愛おしそうに加藤俊について語っていたのにそんな訳……

 「最初はそのクラスメイトも冗談めかして断ってた。そりゃそうよね、彼氏持ちの女の子がいきなり誘ってきても冗談だとしか思わないもの。だから私はスカートを上げて……」

 「ちょ、ちょっと待て! は、え? お前、何でそんなことを!」

 「何でって……拓真さん。話を聞いてなかったんですか?」

 「ああ聞いてたさ! 聞いてたからだよ! だって、だってそんなの、彼に対する裏切りだろうが!」

 俺はさっき寝かしつけた赤ん坊の事も忘れて彼女に怒鳴った。だってそうだろう、彼がしてくれなくなったからクラスメイトと代わりに行為に及ぶ? そんなのおかしいじゃないか。

 「裏切り?……そうね、世間一般ではこういうのは裏切りって言うのかもしれないわね」

 「当たり前だろ!」

 「でもね、彼が悪いのよ? だって……私に愛を教えてしまったから。そして、私を愛してくれなくなったから」

 「愛してって……そういうことをしなくなったからって別に、彼が君を愛してくれなくなったとは言い切れ――」

 「言い切れるわ。だって、私にとってそれが愛だもの。私の中に、私に足りないものを入れてくれる。私と繋がってくれる……それが私にとっての愛なんだから」

 俺は彼女の言葉に絶句してしまった。本当に、何も悪いことはしていないという風に、自分は正しいことを言っていると心の底から信じて……彼女は俺に、愛を語った。

 「私が思った通り、彼以外との行為でも満ち溢れた気分になれた……だから私は、何度も、何人とも繰り返していって……そして、彼にバレちゃったの。彼はとても怒っていたわ、ちょうど今のあなたと同じようにね。だから今と同じように説明してあげたのだけれど……彼からの返答は、狂ってるって言葉だけで私の元からいなくなっちゃった。あなたも、同じことを思う?」

 「……ああ、狂ってる。お前は狂ってるよ、そんな愛はおかしい」

 「じゃあ、あなたも彼と同じように、ここから立ち去る?」

 「……」

 立ち去るべきだ、これ以上この女の話を聞いてはいけない、何か取り返しのつかないことが起こってしまう。俺の理性が警鐘を鳴らし続けるが、それでも俺の脚が動くことはなかった。いつの間にか、周囲には彼女の匂いが充満している気がする。まるで無数の彼女に取り囲まれ、その場に抑え続けられているかのような気分だった。

 「聞き続けてくれるのね。まあ安心して、そろそろ話は終わるから」

 「これまでの流れで安心できるわけないだろ……」

 くすくす、と笑いながら彼女は話を再開する。

 「その後も勿論、色んな人と行為を続けたわ。クラスメイト、教師、隣の家のおじさん、ネットで会った知らない人……その誰もが、私に愛を注ぎ続けてくれた」

 「改めてとんでもない話だな」

 「とんでもない話なんかじゃないわ。ただ愛されたかった、それだけ。だから至極当然のことが起こった……妊娠したのよ、私。そして産まれたのがその子よ」

 「……話の流れから想像はしてたけど、やっぱりそうなのか」

 抱きかかえたままの赤ん坊に視線を落とす。あんなに騒いでいたのにもかかわらず、熟睡しているのか可愛い寝顔を浮かべているが、誰が父親なのかも分からない赤ん坊だと知ると少しだけおぞましい物に感じてしまった。

 「そんな顔しないでよ、かわいそうじゃないその子が。ほら、しっかり抱きしめてあげて」

 顔に出ていたのか、彼女はそう言いながら俺の腕を赤ん坊にしっかりと回すようにする。

 「あなたが考えていること当ててあげましょうか……その子が誰が父親なのかも分からないって思ってるんでしょ。でも、それは違うわ。分かってるのよ、父親は」

 「そうなのか……? でも、お前のその感じじゃ分からないだろ」

 「分かるわよ、だってその子の父親は……私のお父さんだもの」

 「は?」

 ここに来て父親の存在が出てくるなんて俺は到底信じることが出来なかった。つまり、彼女の父親は再婚相手がいるにもかかわらず自分の娘に手を出したというのか。困惑する俺を置いて、彼女は話を続ける。

「あれは私が妊娠してから大体半年ぐらいだったかしら……流石にそのぐらいになると太ったって言い訳が通じなくなってきてね、それにつわりも大分酷かったから。お父さんにバレちゃったの」

「それはまた……大騒ぎになったろうな」

「ええ、何故かあの女まで呼び出してきていっぱい怒られちゃった。今思ったらお父さんに怒られたのはあの時が初めてだったかもしれない……そう思うと、これもいい思い出よね」

彼女は嬉しそうな顔をする。これが子どもの小さないたずらだったら可愛い物だったがことがことだけに何とも言えない気持ちになる。

「怒られた後は、今後のことを考えるから部屋にいなさいって言われてね。もしかしたら赤ちゃんを殺しちゃうのかな、そしたらやだなーって思いながらベッドで寝てたら……

突然、部屋の扉がノックされたの。お父さんが私と話すために来てくれたんだと思って扉を開けたら、あの女が立ってた。話をしに来たのって、私はあいつと話したいことなんて何もなかったのに」

 「でも、これから結婚しようって相手の娘が妊娠発覚なんてなったのに話に来てくれるなんて……何でもない」

 その人を擁護しようとすると、彼女が鋭い視線を向けてきて思わず口を噤んでしまう。だから心の中に留めておくが、再婚相手というのはきっといい人だったんだろう。俺がそんなことになったらとても気まずくて会いに行くなんて出来るわけがない。もしかしたら、そう言う人柄を信用して父親が同じ女性である再婚相手に話をしに行ってくれないかと頼んだのかもしれないとすら思う。

 「……あれは拓真さんが思うほどいい人ではないよ。だって、あれは私を煽りに来たんだから」

 彼女の顔が徐々に憎悪に染まっていく。

 「私は部屋に入れる気はなかったのに、ずかずかと入り込んできて。たった一人の家族を奪うような形になってしまってごめんなさいだとか、寂しい想いをさせてしまったよねとか分かったような口をきいて……私が最も許せなかったのは、結婚が決まったからあなたの子どもと一緒に家族になりたいとか抜かしたんだよ……! あのクソ女は! お父さんと私の仲が一番悪くなったタイミングを狙って、勝利宣言をしてきたんだ!!」

 何となく話が見えてきた。それによって、彼女の感情は限界を迎えてしまってそのまま家を飛び出してきてしまったのだろう。そして、子どもを出産してここに――

「だから、私は手元にあったハサミを掴んで、悪魔の胸に突き立ててやったの。何度も、何度も、何度も、何度も……!」

「……は?」

 「気付いたらお父さんに突き飛ばされてた。お父さんは悪魔に泣き縋って、私に……出ていったお母さんに向けていたような目を、向けていた。お父さんを裏切ったあのクソに向けていた目と同じものを……気付いたら、お父さんが私の下で真っ赤になってた」

 彼女の顔からは徐々に憎悪の感情は消えていき、恍惚とした表情へと移り変わっていく。

 「死んじゃったお父さんを見てたら気付いたの。生存本能って奴かな、お父さんのあそこが盛り上がってた。私は導かれるようにズボンを脱がして、行為に及んだ。あの女の目の前で、出してはくれなかったけどいつの間にかハサミで切ってた手から流れ出る血と、お父さんの傷口からあふれ出る血が混ざりあって、あの瞬間私たちは間違いなく愛し合ってた……だから、この子はお父さんの子どもなの。お父さんが、私を愛してくれて出来た。私とお父さんの子どもなの」

理解できなかった。今までも、現実にあった出来事とは思えないような話ばかりだったが、それでもなんとか呑み込めていた。だが、今彼女が言った発言については理解できなかった、理解したくなかった。彼女の蠱惑的な雰囲気で誤魔化せないほどに、彼女へ対する恐怖は頂点に達していき俺が逃げ出そうとした時、彼女が先に立ちあがる。

「……これで私の話は終わり。その後私は家から飛び出して、色んな所で愛されながら過ごしていたらその子が、愛が産まれたの」

そう言いながら、彼女の方からこの場を立ち去っていく……俺の腕に抱えられたままの赤ん坊を置いて。

「お、おい待てよ、どこ行く気だよ! この子はお前とお父さんの子どもなんだろ。そんな大事な子を置いてどこに……」

別にこの赤ん坊や、ましてや彼女に入れ込んでいるわけではない。ただ、面倒事を押し付けてどこかに行って貰っては困る。その一心で俺は恐怖に屈しそうになりながらも、彼女の背中に言葉を投げかける。

「……お父さんとして気付いた、やっぱり私はお父さんが一番好きなんだって。でもね、その子女の子なんだ。大きくなっても私に愛を注いでくれないの、お父さんの子どもなのにお父さんの代わりに愛を注いでくれないの」

月光に照らされながら、魅惑的で狂気的な笑みをこちらに向けながら話し出す。

「だから、新しい子どもを作る。男の子が産まれるまで、たくさんの人から愛を注がれながら、お父さんの愛を作りだすんだ」

「じゃあこの子はどうするつもりなんだよ……」

「……本当はね、ここにはその子を埋めに来たの。だって育てても意味ないじゃない? だからせめて寂しくないように生き物がいっぱいいるこの森に埋めてあげようって……でも、そしたらあなたに会った。きっとね、これは運命なんだよ。私がお父さんや彼と出会ってように、その子の運命はあなたなんだよ。だから、その子はあなたにあげる。あなたが好きなようにしていいよ」

そんな身勝手なことを言いながら、彼女は去っていく。

彼女にこの子を返さなくてはいけない。だが殺そうとしていたのに返してもいいのか?

そもそも彼女は殺人犯だ、このまま行かせてはいけない。だがもしも彼女が凶器を持っていたら何の躊躇もなく殺しに来るだろう。そんなリスクを冒してまで俺が止める理由はあるのか?

この子に関わり続けたら更に厄介なことになる、いっそのことこの子を見捨てて何も見なかったことにするのが一番なんじゃないか。だけどこんな小さな赤ん坊を置いていく勇気はない。

体よく面倒事を押し付けられたのは理解している、だが俺の頭は与えられた情報量の波で爆発しそうになっていて何も行動に移すことは出来なかった。

ふと、雲が流れて彼女に当たっていた月光が俺に注がれていることに気付いた。スポットライトを当てる対象が切り替わり、次は君が主役だというように。それがまぶしかったのか、赤ん坊は起きて泣き出してしまう。

彼女が立ち去る足音、赤ん坊の泣き声、張り裂けんばかりの胸の鼓動、風で擦れ合う葉の音。それらが混ざり合い、その場は異様な雰囲気に包まれていた。ふと俺は赤ん坊へと視線を落とす。今まで人生の選択肢を全て惰性で流されてきた俺には今何をすればいいのか分からない。だが、刻一刻と何かを自分の意志で選択しなくてはいけない瞬間が近づいて来るのを感じる。どれを選べばいい、どれが正しい選択なんだ。誰も教えてくれない、俺自身が決めなくてはいけない。


俺は今、大人になる決断を迫られている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

愛を求めた少女と子どもの話 粒餡 @tubuanmanzyu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ