第5話 「執筆のメンタル」
良き作品は良き精神より生まれる、んじゃないかしらん──。
星野道雄
◯
皆様、お久しぶりです。前回の4話からこの5話の間に実に数ヶ月間の空きがありますが、地球誕生から今日までの長い時の中の出来事であると認識すればそれらは一瞬にも満たない短い期間であります。
ええ、そうです。サボっていたんですよ。
では前置きはそこそこに、今回は執筆活動におけるメンタリティについて持論を展開していきたいと思います。持論なのでそこはあしからず。
結論から言うと、精神は安定しているに越したことはないよね、ということです。
仕事が忙しい、疲れている、何となく気分が乗らない。嫌なことがあった。それらは執筆活動の妨げになる、という方は少なくないのではありませんか。因みに私の場合も元気がない時に良いアイデアが浮かんだ試しがない。
歴史上、いわゆる文豪と呼ばれる偉人たちは苦労や苦難の道を生き、そしてその深い絶望や打ちのめされた心の底の深い部分から才能を掘り出して傑作を創り出した。そんなイメージもあるかなと思います。でも同時に、彼らって普段からそんな鬱屈した性格をしていたであろうか、と私は思うわけです。文豪たちのおもしろエピソードはわりと多く後世まで語られていたりするし、実は彼ら同士で交流もあったりしたようです。が、精神の孤独と物理的な孤独は別であると私も思うところはありますので、一概には言えませんが、要するに何が言いたいかというと──。
執筆時、作品に対しては少なくても前向きだったのではないか?
ということです。
嫌なやつに嫌な事を言われる。ああ、嫌だな、ほんなら気晴らしに小説書こうかな、で、出力されるのは恨み節や憎み節ではないでしょうか。ストーリーもそちらの方向へ進むのではないでしょうか。外から受けたマイナスパワーをプラス変換して爽やかな傑作を生み出す天才もいるかもですが、通常その時の精神性が文章に乗っかるのは間違いないんじゃないかと思うわけです。
例えば恋人にフラれてその直後に書くのは夢いっぱいのおとぎ話ではなく、失恋ソングの歌詞や喪失を歌ったポエムであるように、その時の気分はきっとある程度文章に現れるのではないでしょうか。
文豪と呼ばれる彼らも苦悩し絶望の淵に立たされ精神的な孤独に打ちのめされていたとしても、目の前にある机の上の紙とそして頭の中のイメージに対して投げやりだったことはほとんどないんじゃないかと私は想像するわけです。
小説を書くぞ、という事に対しては前向きであったと思います。平たく表現すると、やる気があったに違いない。
やる気、大事です。気分ともいいますが、やる気が出ないときに無理に踏ん張っても無理なものは無理。すると嫌になる、やる気がなくなる。はい、その時のあなた、いま小説書きたくなりましたか? いいえ、書いてますか?
多分、その時は書いてないと思います。
小説を愛し、ヨムこともカクことも好きですがそれでも気が進まない時がある。それは良いことではないかと思うのです。だって人間なんだもの。それは才能があるとかないとかそういうものじゃないと私は思います。執筆に対して前向きじゃないのにアイデア出さなきゃ! やんなきゃ! そうやって焦りと共に何かを生み出すよりも精神的に安定し、そして“やる気”になった時に一気に手をつける。それが健全ではないかと私は考えます。
作家先生たちが温泉に入りに行くのも頭をクリアにしたくなるのも全てマインドセットでしょうから、やる気になる。というのはかなり大事です。
仕事が忙しくてしばらく創作から離れちゃってとか、良いアイデアが浮かばなくてとか、それは才能が無いからじゃないです。やる気になってないからです。今がその時ではないのです。ふとした瞬間に降ってきたり気分が乗ってる時は湯水の如く湧いてくる、それがアイデアなんじゃないかと思います。ひらめきなのです。本当に落ち込んでて全てを投げ出した時に起死回生は訪れません。多分その時は布団に潜って眠るでしょう。しかし眠りから覚め、気分が少し切り替わり、頭の中の希望を信じた時、その時にインスピレーションが訪れるのです。
だから私のサボりは逃げや恥ではありません。あれは試練でした。役に立ちました。だから乗り越えた私はこうして第5話に着手しているわけです。
◯
じゃあ精神を安定させる(やる気になる)ってどうやんのさ、と思ったあなた。気持ち分かります。
私は医療系営業に従事しているのですが、お客さん(お医者さんやその患者さん)にも様々な方がおり、なかなかにトリッキーだったりアクロバティックな思考をされている方もいます。さらに仲間なはずの上司にしてもより複雑にして繊細な心の持ち主もいますよね。自分が好き勝手するのは良いけど人にされるのはイヤという人。
往々にして彼らは変化を嫌い、立場の保持を望みつつそれらは勝手に維持されるものだと思い込んでいます。要は自分勝手なんですね。自分がその椅子に座るまでは彼らの努力かもですが、じゃあその座る椅子を誰が一緒に作ったのかを考えてないか、もしくは忘れちゃうわけです。何も無いとこから椅子は湧いてきません。そしてその椅子がアップデートされて形が変わろうとすると、実際の座り心地(事実)に関わらず前のに戻せ、前の方が良かった、変えるな、となるわけです。
とまあ、そんな感じの人たちは我々のような変化に順応する善良な人たちを攻撃してきます。攻め込まれると弱いから先に攻めるわけですね。しかしながら変化が必ずしも良いとは限らないのでそれは全体を俯瞰で判断する必要はあります。でもだからと言って他者を攻撃して良いことにはならない。
そこで攻撃されて、嫌だな、嫌なやつに嫌なこと言われたな、やる気無いなった。疲れたからお家帰ってさっさと寝よう。執筆? 今日やるつもりだったけど明日で良いや……。
ここで私は言いたい。
──いえいえ、それはもったいないと。
なぜそんな奴にあなたのアフターを支配されねばならないのか。嫌なやつに嫌な事を言われても何だというのですか。一日お仕事頑張ったじゃん? 俺くんも私ちゃんも悪くないと思うなー。と心の中のギャルが言うわけです。
嫌な奴が嫌なこと言ってきても地球の歴史規模で見た時にそれは取るに足らず一瞬にもみたない。であればそんな奴らに心乱されるのは非常にもったいないではありませんか。
自分のミスだったとしても反省して次に活かす。明日またミスをしなければ良い。またミスしたら? そしたら反省して次に活かしまた明日ミスをしないようにすれば良い。それだけなのです。その規模感にもよりますが、世の中には対して落ち込む必要がないことばかりです。嫌なことあったけどご飯食べて美味しい、それくらいで丁度良いのです。その方が幸せです。
しかしながら、恩は石に刻み罪は水に流す。そんな仏のような精神を待つ私も世の中の不条理や理不尽に晒されて腹が立つこともあります。でもだからといって手をあげたり暴言を吐いたりしません。コンプライアンスに充分に配慮して直接的な表現を避ける、でもチクチク刺せる。そうそう、京都弁のような。心の中で慎ましやかに呟くわけです。
「お前あんま舐めてっとぶん殴るどすえ(京都弁)」
こんな具合です。やられっぱなしはいけません。嫌どす。何故なら精神衛生上良くない。こちらに落ち度が無いならなおさらです。だから言うべきは言いますが、言えない状況でも常にお前を殴れるどすえと意識を待ち続ける必要はあります。いつでも先制攻撃できるというところから私が相手よりも精神的優位に立っていることは言うまでもありません。
とにかく小さな事にくよくよしない。これが大事です。だって地球規模で見た時、それは大したことではないからです。
◯
偉そうに講釈を垂れつつ、でも確かに私にも保守的な面はありますし、政治的に右でも左でもありませんが業務や創作活動に対しては極右の星野がむっくり出てくることもあります。小説にしても原理主義的でこれは作法と違うからいかん、売れない要素だからいかん、逆にテンプレじゃないといかんと考えてしまうこともありますし、勢い余って優勢思想に取り憑かれてしまうこともあります。
「安価なエロよりコスパに優れた表現は無いのだ」
「商業的に売れてる作品なのだからこれで正解である」
「もっとバトルさせろ、読者もみんな求めてる」
いや、そんなわけはない。お前は間違ってる。おのれ極右め、偏った思想は身を滅ぼすぞ。
「日本は戦争に負けていません」
右寄りが悪いわけではないが、しかしこうなるといよいよ手におえない。
そんな時こそ、ヨム。これに尽きる。
誰かの作品を読んだ時、良いなこれとか素敵な表現だなとか心動かされた時にこそインスピレーションは訪れ、さらに創作意欲に火が点くのである。やる気になる。負けてられないぜと少年漫画的温度、熱を感じられる。
やる気になっていた方が人は成果が出るものだと思うし、やる気になってなくてもあえて触れるとやる気が向いてきたりする。それも往々にしてある事である。
ダラダラと話が脱線してしまいましたが、要するに気分は人に操られるものではなく、自分でコントロールするものだと私は考えます。楽しくなるのも悲しくなるのも自分で決めてるのです。落ち込むと思うから落ち込むし、楽しむと思うから楽しめる。いずれもそれは感情や事象に対して前向きです。
小説にしてもそうです。人の作品に多く触れ、刺激をもらい、そうやって気分が乗った時にこそ良いアイデアが生まれるのではないでしょうか。カク人は同時にたくさんヨム人であった方が有利だと思います。
てなわけで、あ、そういや丁度良いのがありますね。
星野作品とかどうでしょうか。一話が大体二千文字から五千文字で大変読みやすくなっており、テンプレ要素は少なめですがそれなりのクオリティはあるかもなのではな
──第六話に続く
※因みにリアルの私は右でも左でもありません。例えなので政治の話ではありません。世界の平和と人々の節度を持った付き合いを推奨しています。
星の創作道 星野道雄 @star-lord
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