三 鏡の秘密

 あの女がいったい何者なのか? なぜ、突然、現れるようなったのか? まったく見当もつかないが、この世のものでないことだけは明らかだろう。


 その夜以来、私はなるべく書斎へ近づかないようにして過ごすことにした。あの書斎から鏡を覗きさえしなければ、女を見かけることもないし、また、見なければもうこれ以上、私の部屋へ近づいて来ることもないように思えたからだ。


だが、人間、喉元過ぎれば熱さを忘れるのというものである。


 それから四日後の土曜の晩、恐怖もすっかり薄らいでしまっていた私は、書斎へ物を取りに行った際にうっかり鏡を覗いてしまった。


「……!」


 すると、またもあの白いワンピースを私の目は捉えてしまう。毎回、運悪くも偶然、その場所を映す角度に視線が合ってしまうのだ。


 案の定と言おうか、女は二階の廊下に立っていた……やはり階段からさらにこの部屋へと近づいて来ている。


 相変わらずただただ突っ立っているだけで、それ以上何をるわけでもないのだが、それだけでもう充分に恐ろしい……。


 きっと今回も鏡の中だけで、実際にはそこにいないのだろう……だが、私はあまりにも恐ろしく、目を瞑って書斎を出るとそのまま廊下を突っ切り、転がるようにして階段を駆け下りた。


 そして、さらにその翌日、日曜の昼間のことだ。


 もう、書斎に近づくまいと決意していたのであるが、仕事の関係でどうしても探さなくてはならないものができ、私は渋々、あの部屋へと再び足を踏み入れた。


 まあ、鏡を覗きさえしなければ大丈夫だろう…とたかを括っていたのだが、その書類を探すのにはだいぶ手間取ってしまい、見つけた時の嬉しさに一瞬気が緩んだ。


 しかも、すぐに見つかるものと、ドアを開けっ放しにしていたのがまたいけなかった。


「……あったぁ! ハァ……こんなとこにあったか……はっ…!」


 習慣化していたため、無意識に鏡に目を向けてしまった私は、そこにまた女の姿を見る。


 だが、今度は〝合わせ鏡〟ではない……二階の廊下からさらに近づくとすれば、そう?それはこの書斎の中……女は、強張った顔で鏡を覗く、私のすぐ後に立っていたのである。


「……っ!」


 わたしは慌てて背後を振り向くが、やはり現実のそこに女の姿はない……が、振り向いた私の背中越しに……つまりは鏡の側に何か気配を感じる。


「ひっ……!?」


 そこで咄嗟にまた鏡側へ向き直ると、虚像のはずのその鏡面の中から、蒼白い女の手がにゅう…っと伸びて来ていた。


玄関から一階廊下……階段の踊り場……二階廊下……そして、ついにこの書斎へとたどりついた女は、さらにこちら側・・・・へも出てこようとしているのだ。


しかも、その手は後退る私を掴み、向こう側・・・・へ引きづり込もうとしているかのように見える。


「ひいぃぃぃ…!」


 このままでは命がない……恐怖よりも生存本能が打ち勝ち、私は咄嗟に鏡へ手をかけると、引きちぎる勢いでそれを壁から外し、そのまま床へと叩きつけた。


 瞬間、鏡が派手に砕け散るとともに、出てこようとしていた女の手も煙のように消え去る……どうやら危機一髪、すんでのところで助かったみたいである。


「……ふぅ〜…あ! そうか。それでここだけ鏡が……」


 私は安堵の溜息を吐くとともに、不意にすべてが繋がってその疑問の答えを得る。


 もしかして、この書斎の鏡だけ取り外されていたのは、前の持ち主も私と同じ体験をして、それでここの鏡を破壊したからではないだろうか?


 だとすれば、様々なことに納得がいく……書斎の鏡を再び設置するまでは〝合わせ鏡〟のカラクリも完成はしなかったし、そのカラクリがなければ、あの女が現れることもなかった…… 〝合わせ鏡〟のカラクリが、この恐ろしい現象を引き起こす原因であることに間違いはない。


 それがわかると、洒落た趣向のある建物に思えていたこの館も、なんだか急に不気味な事故物件に見えてきてしまう。


 まあ、破格の値段からして何かあるとは思っていたが、これほど恐ろしいトラップが仕掛けられているなんて一言も言ってなかったではないか!


 気分が落ち着くにつれ、だんだんと不動産屋への怒りが込み上げてきた私は、翌日、仕事を抜け出してその営業所へ向かうと、いつになく感情も露わに担当の社員をドヤしあげた。


 すると、私の剣幕にビビったのか、その担当は次のような経緯いきさつを渋々説明してくれる。


 まず、あの〝合わせ鏡〟のカラクリであるが、それ自体はなんのことはない、特に何か深い事情があるようなものではなかった。


 あの館を建てた最初の持ち主だという資産家が、どうやら江戸川乱歩だとか横溝正史だとかいうミステリの大ファンで、その趣味が高じてあの仕掛けを造ったという話らしい……つまりは酔狂。ただの金持ちの道楽である。


 ところが、そのカラクリには思わぬ副作用があった……よく〝合わせ鏡〟は霊を呼び寄せると言われたりもするが、あの館のカラクリもそのご多分に漏れなかった。


 幾つもの合わせ鏡を配置することで、すっかりあの館内に霊道を通してしまったのだ。


 何か資産家やあの土地に因縁のあったものか? それともただ近くを通りかかっただけの浮遊霊なのかは知らないが、ともかくもその霊道を通して、鏡像内の館の中へあの女の霊を招き入れてしまったのである。


 その後、おそらくは資産家も私と同じ目にあったのだろう……だが、彼の場合、鏡を外すことはなく、ある日、書斎で冷たくなっているところを発見された。死因は心臓発作とされているが、まるで何か恐ろしいものでも見たかのように、恐怖で引き攣った顔をして亡くなっていたんだとか。


 当主の怪死を受け、家族はあの家を売却。それから持ち主は幾人も変わったようであるが、買って移り住んでも一年と経たずに売りに出すという状況が続いた模様だ。


 まあ、考えられる理由は一つしかない。みんな、きっとあの女を鏡の中に見たのだろう……ただ、その間、書斎の鏡は外されてなかったようなので、廊下か階段か、あるいは玄関に映った最初の段階かもしれないが、ともかくも書斎に到達するまで待つことなく、皆、根をあげて逃げ出してしまったのだろう。


 そして、歴代では直近の、私の前の持ち主の際に私同様、書斎の鏡を割り、なんとか事なきを得るもやはり気味は悪いので、けっきょくは売りに出して引越したというわけだ。


 その同じ轍を私も踏んでしまったという次第だが……私の方はというと、その後も変わらず住み続けている。


 まあ、書斎の鏡を外せば、カラクリが未完になると同時にあの女も現れなくなるようであるし、再び鏡を設置しない限り実害はないであろう。


 妻や子供達にはなんで鏡を外したのかと問い詰められたが、「風水的に良くないとわかったんで云々…」と、もっともらしい理由をつけて誤魔化している。


 やはり、いくら実害がないとはいえ、幽霊の出る家なんて怖くて住むのを嫌がるに決まっている。


 だが、いくら怖くてもせっかく手に入れた我が家であるし、またまだローンが残っているのだ。少なくともそれを払い切るまでは引越しなんて考えられない。


 幽霊の出る事故物件なんかよりも、大枚叩いた家を二束三文で買い叩かれ、ローンだけ残る方がよほど空恐ろしい……。


(合わせ鏡の館 了)

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合わせ鏡の館 平中なごん @HiranakaNagon

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