第36話(終) 冬悟と桐吾


 ✿ ✿



「――やっと連れてこられた。遅くなって悪い」


 車を停めた桐吾が神妙に謝罪する。澪は首を横に振ってシートベルトを外した。


「そんなことない。桐吾さん、とても忙しかったもの。ね、白玉?」

「にゃおみゅー」


 まあ仕方なかろう。そう鳴いた白玉はドアを突っついた。さっさと外に出せというのだ。


 二人と一匹で降り立ったのは、駒木野町にある水無月家の菩提寺。江戸時代から場所も変わらず残っている古刹だった。

 キンと冷たい二月の空に寺の屋根が沈黙していた。

 門の中が駐車場になっているのは澪の記憶とは違うが、本堂の横から回り込む墓地への道の感じにはなんとなく覚えがある。冬悟の埋葬の時に一度来ただけだが。


「桐吾さんのご両親もここに葬られているなんて知らなかった……」

「そうだろうな。俺が言ってなかったんだから当然だ」


 桐吾は冬悟の親族。だから当然この寺にも馴染みがある。両親はもちろん、父方の祖父母も眠る場所だった。今日も慣れたようすで途中の花屋で仏花を買った。


「水無月家の名が書かれてる墓はいくつかあるんだ。俺の親が入ってる所に〈冬悟〉の名前はなかったと思う」

「前に来た時、本当は寄りたかったわよね……ごめんなさい。私あの時はまだ、気持ちがぐちゃぐちゃで」

「うん? 暗くて怖かったんじゃなかったのか?」

「――もう!」


 ぶつ真似をしたら、桐吾はヒョイとよけた。そして小さく笑う。


 以前に峰ヶ根と駒木野を訪ねた日。澪はまだ、よみがえった自分をもてあましていた。

 令和の時代に驚いてばかりで。

 桐吾に好意は持っていても名目上〈契約夫婦〉で。

 根なし草のようで。

 幸せだった昔を考えたら泣いてしまい、桐吾を傷つける。そう思ったのだった。

 だけど今は――。


「桐吾さん……」

「なんだ?」

「……ふふ。なんでもない」


 するり。

 澪は桐吾の手に、手をすべり込ませた。

 大好き。そう伝わればいいと願う。


「……」


 澪の想いが伝わったのかどうか。桐吾は手を握り返してくれた。何も言わずに。




 この駒木野と峰ヶ根。合同リゾート開発計画は、出されたプランAへの対案Bを作成する方針で動いている。だが少々の時間はもらえそうだった。

 久世建設と同じく、SAKURAホールディングス内の実権争いが動き出してしまったのだ。「プランAを立てた連中の後ろ盾が消えましたのよ」と向日葵が高笑いしていた。そんなだから悪役令嬢と言われるのだと自覚してほしい。


 桐吾の指揮で作った久世側のチームには、華蓮も加入し尽力している。江戸期の街道と宿場という消えかけた歴史にスポットをあてるのはどうかと提案され桐吾もうなった。和のテイストを出してインバウンド需要に働きかける路線だ。エリア丸ごとの開発だからこその発想だった。

 町全体としての未来を見据える。それは桐吾も望むところだ。

 二つの町は桐吾と澪のふるさとだから。




「――白玉はこのお寺さんに来たことないのよね」

「にゃん」


 墓地の入り口で桶に水を汲みながら澪は足もとに話しかけた。いつもならさっさと歩き出す白玉が大人しく待っているのは、目的の墓を知らないから。


「そうなのか?」

「だって隣村よ? 昔は車なんてないし、わざわざ猫を連れて出かけたりしなかったの」


 ハーネスなど着けず、飼い猫でも自由にそこらを歩き回っていた時代だ。澪だって嫁ぐはずの村だったから駒木野のことは知っているが、生まれた土地を一生出ない人間も珍しくなかった。


「だから私、いろいろな所に行けてとても楽しい。桐吾さんのおかげよ」

「……今は誰だって、どこにでも行けるんだ」

「すごい時代よね」


 よいしょ、と桶を持とうとするのを桐吾は奪い取った。


「澪は墓を探してくれ」


 うなずいて白玉と歩いていく澪の背中。見つめる桐吾の目は限りなくやさしくなる。どうしてこんなに愛おしいのか。


 夜毎抱きしめる澪の体は生身の肉体と変わらない。これが祟り神として祀られていたなんてと桐吾は時々不思議になった。自分で祠を壊していなければ絶対に信じなかっただろう。

 どうやら祟ったばかりの頃――封じられる前には本当に幽霊のようなものだったらしい。それは白玉も同じだそうだ。「あの頃は壁も抜けられたものよ」とうそぶいていた。だが「メス猫にふれることができずに悔しい思いはした」とも言っていたので良し悪しだ。

 澪も白玉も、何故こんなふうに実体を持つようになったのか――それはよくわからない。



「水無月――水無月――」


 水無月家の名が刻まれた墓を一基ずつ、横の墓誌をのぞき込みながら澪の心は平らかだった。

 墓参して哀しくなったらどうしようかと思っていたが、そんなことはない。とても懐かしくはあるが、むしろ嬉しかった。


(――私ね、今とても幸せなのよ冬悟さん。だから心配しないで)


 そう報告したい。


「にゃ」


 ひと鳴きした白玉が、ある墓の前でちょこんと座った。首をかしげた澪が寄っていく。


「そこなの? ――あ」


 澪は息をのんだ。本当に冬悟の名が入っている。しみじみと立ち尽くした。

 冬悟が葬られている墓。建てられている石はそんなに古く見えないので、どこかの時点でまとめて改葬されたりしたのかもしれない。

 追いついた桐吾は一歩下がってそれを見守った。百五十年ぶりの邂逅を邪魔するほど野暮ではない。頭を垂れ動かない澪は微笑んでいて、それに桐吾は安堵した。


「みゅう」


 白玉が桐吾の脚をつついた。テシ、とさわったまま中空を見上げている。


「――?」


 その視線の先を追った桐吾は、目を細めた。

 うっすらと誰かがいる――あれは、もしや冬悟?


 墓石の後ろ。

 ゆらりと消えそうなおもかげは、確かに桐吾に似ているかもしれない。よく見えないが、着物姿で快活な笑顔の男が澪をながめていた。


「――!」


 息が止まりそうな桐吾の方へ、冬悟は視線を移す。桐吾の胸の中に奇妙な親近感があった。いきなり納得した。


(――俺の中に冬悟はいたんだ)


 桐吾は冬悟その人ではない。だがきっと冬悟の魂のかけらは桐吾の中に受け継がれていて、それも含めて桐吾は桐吾になったのだろう。

 だから澪に出会った時になんだか懐かしさをおぼえたし、手を差し伸べずにいられなかったし――愛した。


(そうか、冬悟――つまり俺との再会を果たしたから澪は体を取り戻したのか?)


 愛した者たちと生き直すために。もう一度、愛するために。

 桐吾と白玉と寄りそって、過去の哀しみを癒すために。


 冬悟は桐吾に笑いかける。声が聞こえた気がした。



 ――――やっと幸せになれるな。澪を頼むよ。



 そこで白玉は前足を離した。冬悟の姿がかき消える。

 今のは幻なのだろうか。いや、白玉の神気がつないでくれた霊界の何かなのだと信じたかった。本物の冬悟の姿と意識なのだと。

 桐吾の背がブル、とふるえた。冬の墓地の寒さではなく、別の何かで。


「冬悟――」


 頼まれたことを思ってつぶやいた。


(澪を頼む? そんなこと頼まれなくても幸せにするさ)


 桐吾が澪を気にしたのは、自分の中の冬悟のせいかもしれない。

 だが愛したのは――絶対に桐吾自身の心だ。そして澪が桐吾を愛したのも。


 素直で快活な笑顔の冬悟。不愛想が基本の桐吾とは全然違う。今の二人が惹かれ合うのは〈桐吾と澪〉だからだ。


(過去の記憶? それとも運命? いいや、そんなものクソくらえだ。俺は俺で、澪は澪。俺はただ〈久世桐吾〉として澪を愛し抜いてやる)


 消えてしまった冬悟のおもかげをにらみつけ――そう誓う、桐吾の宣戦布告。

 澪に特別な感情を持つ男など、桐吾にとっては単にライバルでしかない。それが百五十年前に死んだ男であろうとも。



「――あ、ごめんなさい桐吾さん。お掃除してお花をあげないとね」


 振り向いた澪が待たせていたことを謝罪する。その笑顔は明るかった。

 桐吾は水桶と花を地面に置く。そして――。


「え。とうご、さん?」


 すっぽりと澪を抱きしめた。


 ――これは俺のもの。


 そんな我がままをこめて抱擁され、澪はきょとんとする。でもそっと腕を桐吾の背に回して抱き返した。

 見せつけられた冬悟は何を思ったろうか。それは白玉にもよくわからなかったが、想像はついた。


(冬悟の奴、きっと大笑いしておろうな――)


 その笑い声は澪にも桐吾にも届かない。だがそれでいいのだ。

 いつか。いつかまた、会えるから。澪と桐吾がこの人生をまっとうした後で。


 冬の空にやさしい風が抜けていく。

 笑うように行く風を見上げ――白猫は大きなあくびをした。




   了


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

封じられ祟り神の幸せな結婚契約 山田あとり @yamadatori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画