第35話 断罪と未来


 ✿ ✿


 世間の正月ボケがさめた頃、久世建設の会長室に二人の男が呼び出された。常務取締役の正親。そして地域開発事業部第二部長の桐吾だ。

 だが桐吾が立っているのは、会長である忠親の横。正親は青ざめる。

 正親は十二月の段階ですでに一度、懲戒処分を受けていた。高橋華蓮へのパワハラの件で。今度は何が、と暗い疑念がうずまく正親の胸の内を見透かすように忠親は険しい目をした。


「正親ッ! おまえ、久世建設をSAKURAホールディングスに売りつける気かッ!」

「ひっ」


 一喝され、正親は身をすくませた。

 この怒声。厳しい父親が正親は子どもの頃から大嫌いだった。それが父と違う路線を選びたかった理由でもある。だがもう正親もいい大人、気後れしながら必死にしらを切った。


「な、なんのことです、お父さん」

「馬鹿もんが! 証拠はとうに挙がっとる! 見たいか?」


 バサリ。

 忠親がデスクに投げ出したのは紙の束だった。正親からSAKURAホールディングスへのメールを印刷したもの、向こうから正親への送金明細、正親がリークした情報によりディスカウントされたSAKURAホールディングス側の入札資料など。ざざっと目を通しながら正親がうめく。


「これは――」

「桜山守の向日葵さんが協力してくれましてね」


 桐吾は静かに口を開いた。ワナワナふるえる伯父にかまわず要点を告げる。


「あの人は不正が大嫌いなんですよ。伯父さんが紹介してくれたおかげで協力を取り付けられて、双方の証拠が揃いました。今頃あちらでも告発が進んでいるはずです」

「桐吾――おまえぇっ!」


 甥から見下され、正親は癇癪を起こした。つかみかからんばかりに一歩前に出るが、


「正親」


 重々しい父親の声。息を荒くし踏みとどまる正親を、桐吾は冷笑する。


「暴行罪まではつけずに済みますか。今回の件は立派な背任にあたるので、告発やむなしなんですが」

「告発だと……? け、警察に身内を売るのか?」

「売られるようなことをしたのはどいつだ」


 おどおどする正親に嫌気がさしたのか、忠親の声が苛立ちをあらわにした。


「わしとて実の息子を売りたいわけではない。だがおまえには失望した。まともに働いておれば、そこそこの地位をまっとうしたろうに」


 それは失脚・解雇宣言だ。膝から崩れ落ちる正親に、忠親は言い放った。


「わしの跡を継がせる者についてはずいぶん迷った。だがおまえは期待に応えようとせなんだし仕方あるまい。この桐吾を次の経営者として育てようと決めたぞ」

「――は?」


 振り向いた桐吾の眉間が険しくなる。この断罪劇を打ち合わせるにあたって、そこまでは言われていなかったのだが。


「待ってください会長」

「うるさい桐吾。わしはもう決めた」

「お父さん! どうしてそんなことを! 私には尚親という息子がいるじゃないですか!」


 床から正親もわめく。内孫のことを言い立てられて忠親は渋い顔だった。


「――あれには荷が重い」

「そんな!」

「それにあれは孫だが、桐吾は息子だからの」

「え、お父さん何を」

「忘れたか。桐吾を養子にしたのはわしじゃ」


 十数年前に行われたその養子縁組の細かい経緯、正親は半分失念していたらしい。ポカンと口を開けへたり込んでいた。元から甥だったこともあり、引き取ってやった久世の恩を売ることばかりに思考がいっていたのだ。


「桐吾も立派に身を固める気になったし、ちょうどよかったわい。おい澪、こっちへ」

「――はい」


 隣の会議室のドアを開け、そっと入ってきたのは澪だ。

 何故か出社に同行させるよう祖父から命令され、隣室で待機していたのだった。伯父をやり込めるためだったかと桐吾はがっくりした。

 正月に本家を訪問して話してから、忠親は澪のことをいたく気に入ったのだった。なんの裏もない愛にあふれた澪に感化されるぐらいには、忠親もやわらかな感性を持っていたということか。


「ええと……」


 澪は床にいる正親に目を丸くした。桐吾と忠親、正親の間を視線がさまよう。


「おう待たせたの。そこの奴がわしの息子じゃ。澪にも迷惑をかけた」

「迷惑だなんて、そんな」

「桐吾が見合いを押しつけられて困ったのだろう? 勝手なことをしよって」

「わ、私は会社と桐吾のために! 良縁だと思って!」


 ぐだぐだと言い訳する正親に桐吾の目が鋭くなる。何が「桐吾のため」だ。軽蔑を込めて突き放した。


「御託はいりませんよ」

「おまえ……貧乏から救ってやったのを忘れたか! 水無月なんぞ旧家だが吹けば飛ぶような家のくせして! いい家の嫁をくれてやろうとしただけじゃないか!」


 ドン。

 正親がわめいた瞬間、妙な衝撃が部屋を揺らした。

 壁際のキャビネットがビリリと鳴る。デスク脇に飾られていた花瓶が傾き、桐吾があわてて支えた。


(――澪?)


 見れば青ざめた澪が哀しげに正親を凝視している。これが――昔の久世家が〈祟り神・澪〉の調伏を決意した原因のアレというわけか。


「なんじゃ今のは。地震か?」

「……ですかね」


 不審な顔の忠親にポルターガイストだとは言えない。澪は近寄った桐吾を見上げて泣きそうだった。


 今のは澪の哀しみ。水無月の家と、愛する桐吾を侮辱されたことへの。

 愛の祟り神の力はささやかで、ろくに人を傷つけることもない。だが澪の意思を感じた。


 大きな地震にはならないと思った忠親は、へたり込む息子に視線を戻す。

 

「正親よ。おまえこの澪のことを『愛人にしておけ』と言うたそうだな。こんな良い娘になんという暴言。人を見る目がないからこういうことになる!」

「い、いやお父さん、私は本人に会ったのは初めてで……」

「うるさい! ちょうどいい、澪に土下座しておけ!」


 小娘に土下座しろとは、正親にとっては耐えがたい屈辱だ。硬直してしまったが忠親は許してくれない。ふん、と鼻息荒い忠親に詰め寄られ、正親はダラダラあぶら汗を流した。


  ✿


 その後、臨時に招集された取締役会で正親の背任と告発が発表された。もちろん常務取締役の解任もだ。

 そして、次期社長として桐吾を推薦するという会長の意向も通達される。桐吾自身は非常に迷惑だったのだが、あちこちから意外と好意的な声があがった。年は若いが、真摯に業務に取り組む姿勢と実績は社内に知られていたらしい。

 ――その会議の内容は、即日社内に共有された。




「――おめでとうございます!」


 取締役会から地域開発事業部第二部に戻ってきた桐吾を歓声が迎える。直属の上司が今後出世確定との報で、部内は湧き立っていたのだ。

 そのざわめきに他部署からも人が集まってくる。若い女性社員が多数いるのは、冷徹だがイケメン御曹司で通っていた桐吾をひと目見ようという好奇心だろう。あわよくば、という気持ちもあるかもしれない。


(……ほんと、部長ったら罪な人)


 澪の存在を知っている華蓮はこっそりため息をついた。あきらめの境地にはいるがまだ胸はチリチリする。不思議と澪のことを憎めないので、恋の終わりは不完全燃焼気味だ。


「あの――桐吾さん?」


 ざわめきの中をすんなり通る声がして、フロア全体が振り返った。

 そこにいたのは澪だ。社員ではない。呼ばれた「桐吾」とは誰だったかと誰もが首をひねった時、冷徹部長・久世が立ち上がった。


「どうした。爺さまと一緒じゃなかったのか」


 ふわりと笑んで応える、甘い声。部下たちは凍りついた。


(なんだその顔! その声! どーしちゃったんだ部長ぉ――っ!!)

 

 声にならない大合唱を尻目に、桐吾はフロアの端にいる澪のもとへ歩み寄った。澪は困り顔だ。


「お爺さま、お疲れになったとおっしゃってお帰りに。私はもういいって」

「……我がままだな」


 少しおしゃべりしたいと引き留められていた澪。気が済んで放り出されたらしい。


「じゃあ先に帰――あ、」


 そこで桐吾も気づいた。澪は一人で電車に乗ったことがない。澪はへにゃ、と笑った。


「そうなの。だから私……」


 そっと背伸びする澪に、桐吾は身をかがめた。


飛んでも・・・・いい?」


 澪はいたずらっぽくささやく。桐吾はやや難しい顔をしたが、渋々うなずいた。でないと桐吾の帰宅まで何時間も待たせることになる。どこか安全な物陰から飛ばせて・・・・見送るしかないのだ。


「倒れないよな?」

「もう! だいじょうぶ。今日はお仕事してる桐吾さんを見られて幸せになったから」


 ふんわり笑った澪は、周囲の視線に気づいて目をぱちくりした。照れくさそうに会釈する。桐吾はいきなり不機嫌になると、澪の肩に手を回し部を出ていった。


(澪は見世物じゃない)


 ――社員たちが驚愕してながめていたのは桐吾の方なのだが、本人はわかっていなかったようだ。


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