『四時三十三分の密室』

誰かの何かだったもの

誰かが嘘をついている

午後四時三十三分、旧校舎の三階にある美術準備室で、生徒の一人が遺体で発見された。

死体の傍には、笑みを浮かべたまま止まった時計。

そして、施錠された教室。


その知らせは放課後の空気を切り裂くように全校に広まり、生徒たちは不安にざわめいた。



一章 告げられた死


「知ってる? また出たって」


「またって……誰?」


「三年の水島先輩だって」


その名前を聞いた瞬間、僕──一ノ瀬 陽(いちのせ よう)は立ち止まった。

水島先輩は僕ら「謎解き研究部」が尊敬する存在だった。論理的で、クールで、そして何より“観察眼”が桁違いだった。

そんな彼が、どうして。


放課後の部室には、すでに全員が集まっていた。副部長の真希、寡黙な灰原、そして後輩の藤沢。机には新聞部が配ったプリントが載っていた。

【殺人か、自殺か──密室の謎】という見出しが、事件の不可解さを煽っている。


「見つかったのは、美術準備室。鍵が内側からかかってたってことは……」


「犯人はいなかったってこと?」藤沢が首を傾げる。


「いや」真希が言った。「いなかったように見える、だけ。密室は犯人が創るものよ」


その目が鋭くなる。彼女は水島先輩の下でずっと謎解きを学んできた。

彼の死を、そのままにはできないという想いが、全員の中に渦巻いていた。



二章 止まった時計


現場となった旧校舎は、今は立ち入りが制限されている。だが僕たちは、顧問の許可を得て(建前としては部活の一環として)、現場を見ることを許された。


ドアを開けると、微かな絵の具の匂いが残っていた。

部屋の中央、椅子に座ったまま後ろに仰け反るようにして倒れている水島先輩。その口元には、奇妙な笑み。


そして、彼の腕時計は**「四時三十三分」**で止まっていた。


「死後硬直は進んでる……でも、これって変よ」灰原が呟く。「この体勢なら、倒れてる時に机に頭をぶつけるはず」


確かに、後頭部には傷がない。彼はどうやってこの体勢に?

何より、笑っていた。笑って、死んでいた。


部屋の窓も鍵も、すべて内側から閉じられていた。ドアノブにも異常はない。


「誰にも殺せない場所で、誰かに殺された」

真希が言った。「これは“密室の演出”よ」


その時、藤沢が何かを見つけた。


「これ……絵の具?」


棚の裏に、小さな紙片が落ちていた。そこには青い絵の具で描かれた一文があった。


「笑う者、笑われる者。最後に笑うのは、誰か。」



三章 残された足音


その夜、僕たちは部室に戻って検証を始めた。


「まず、死因は?」真希が訊いた。


「頚椎の損傷だそうです。首が不自然に曲がっていた。転倒にしては変だって警察も言ってた」


「じゃあ、殺された。でも、誰が? あの部屋からは出入りの痕跡がない」


灰原がノートに図を書いた。


「準備室には窓が二つ、ドアが一つ。すべて施錠済み。侵入の痕跡なし。外部からの道もなし。だとしたら……」


「内部にいた人間しか、無理だよな」


藤沢が言った。彼は少し怯えていたが、目は真剣だった。


「でも、証言では誰もその時間、そこにいなかったって」


「本当に?」真希が問い返す。「“四時三十三分”って、本当に正しい時間なのかしら」


僕たちはそこで初めて、止まった時計を疑った。

もし、その時計が嘘をついていたら?


四章 嘘をつく時計


「時計って……壊れてたんじゃないの?」


藤沢が首を傾げたが、真希は首を横に振った。


「違う。“壊れていたように見せかけた”のよ。実際、あの時計の中に水分が残っていた。おそらく、意図的に中に絵の具を流し込んでショートさせた」


「それって……死んだ後に止まった時間を偽装できるってこと?」


「そう。犯人は水島先輩の死体に偽の時刻を持たせたかった。まるで、その時間に死んだかのように。でも実際には、もっと前に殺していた」


「じゃあ、密室自体も……」


「仕組まれた偽装ね」


僕は気づいた。すべては最初から演出されていた。止まった時計、施錠された部屋、そして“笑う”死体。


誰かが、完璧な密室殺人を“演じて”いた。


「でも……それは誰? 誰がそんなことを?」



五章 解かれる鍵


その晩、僕は家で事件のノートを見返していた。


遺体の笑み、止まった時計、絵の具のメッセージ。

そして、水島先輩が最近口にしていた言葉を思い出した。


「人は、自分が笑われていると気づいた瞬間に壊れる」


あれは、何の話だったのだろうか。誰かに、何かを伝えたかったのか。


ふと、ある仮説が脳裏をよぎった。

──この事件は、犯罪ではないのかもしれない。

むしろ「復讐」であり、「公開処刑」だったのでは?



六章 最後の推理


次の日、僕たちは再び部室に集まった。僕はノートを机に叩きつけて言った。


「犯人が密室を作ったんじゃない。水島先輩自身が密室を作ったんだ」


「……え?」藤沢が目を見開く。


「彼は、自分で教室に入り、鍵を閉め、演出を準備した。そして──死んだ」


「自殺ってこと?」


「いや、それだけじゃない。彼は、“殺されたように見える自殺”を演出したんだ。死ぬ前に、誰かを“犯人”に仕立て上げるために」


真希が沈黙した。灰原も目を伏せたままだ。


「最後のピースは、あの紙片。『笑う者、笑われる者』──つまり、彼は誰かに侮辱された。笑われた。でも、最後に笑うのは“自分”だと信じてた」


僕は指をさした。

「そして、その『誰か』こそが、この部活の誰かなんだよ」


部屋が凍りつく。沈黙の中、藤沢が顔を真っ青にして口を開いた。


「……やめてよ。そんなの、僕たちじゃ……」


「そう言うと思った」僕はポケットから一枚の紙を取り出した。


それは、過去の部活活動記録──数ヶ月前のもの。そこには、ある出来事が記されていた。

「謎解き研究部、対抗推理大会。ミスによって水島の推理に失敗あり」

そのメモの端に、赤ペンで“バカにされた”と殴り書きされていた。


真希が目を閉じた。


「私たちが……彼を、追い詰めたのよ」



七章 遺された真実


その後の調査で、水島先輩が生前に書いていた手帳が発見された。

その中には、こう記されていた。


「私は敗北した。笑われた。

だが、最後に笑うのはこの私だ。

密室にしてやる。私の死を、誰かの“罪”に変えてやる。

誰かが私を笑ったこと、それ自体が罪だ」


それは狂気にも似た復讐心だった。

そしてそれが、彼を密室へ、死へと導いた。


「彼は、ずっと試してたんだ」僕は呟く。「自分の死で、誰かの仮面を剥ごうとした」


だが──真実は誰も告げなかった。

警察は事件を「不審死」として扱い、部活動は一時休止。

手帳も、表沙汰にはされなかった。



終章 四時三十三分に、また会おう


数ヶ月後、卒業式の日。僕は旧校舎の前に立っていた。


あの準備室の前で、ふと時計を見た。

四時三十三分。


それは、もう動かないはずの時計の時間と、ぴったり一致していた。


だが、時計は確かに動いていた。

まるで、彼がそこにいるかのように。


風が吹いた。誰かが笑った気がした。


──最後に笑うのは、誰なのか。


その問いに、僕は答えられないまま、静かに頭を下げた。



(了)

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『四時三十三分の密室』 誰かの何かだったもの @kotamushi

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