あとのまつり
誰かの何かだったもの
食べたぶんだけ、減るもの
最初に「余らせると出る」と言い始めたのは、向かいのアパートに住む子供だった。
「昨日の晩ごはん、残したら、夜中に“あれ”来たもん」
そう言って、小さな声で笑っていた。
あれ、とは何か。
誰に聞いても「ただの子供の妄想だよ」と言う。
でも、僕の知ってる人が、実際に減ったんだ。
右手の指が、一本。
朝起きたら、包帯が巻かれていた。
痛みもなく、血も出ていない。
本人は「なんでか覚えてないけど、元からなかった気もする」と笑っていた。
その日から、「ちゃんと食べなきゃいけない」というルールが、街に浸透し始めた。
誰もが黙って、皿を空にする。
残すと、“あれ”が来るから。
“あれ”は目に見えない。
でも、減る。
本当に、減るんだ。
指、耳、皮膚の一部、歯、目玉……それから顔の表情。
笑わなくなった人もいた。
近所の老人は、「ワシは昔、戦争で飢えとった」と言って、平然とカビの生えたパンを食べていた。
彼は今も健在だ。
逆に、贅沢慣れした若い夫婦の姿は、いつの間にか見えなくなった。
僕の妹は、一口だけ残した。
「もう無理、お腹いっぱい」って言って、洗い場に皿を持っていった。
その夜、妹の声がなくなった。
喉も、声帯も、舌もあった。
けれど、音が出なかった。
医者は「心因性かも」と言ったけど、妹の顔には何かを理解したような諦めが浮かんでいた。
次の食事から、妹は吐きそうになりながらも、最後の一粒まで食べるようになった。
僕は、最初は反発していた。
「こんなのおかしい」
「都市伝説みたいな話、信じるなよ」
でも、自分の口内の奥から何かが引っ張られる感覚を味わったとき、心が折れた。
喉の奥に、指のような感触。
ぐいっと、喉の裏から何かを引き出そうとするもの。
その夜、口内の皮膚がぺらりと剥がれ、歯の神経がむき出しになった。
痛くはなかった。ただ、戻らなかった。
それ以来、僕も全部食べるようになった。
腐っていようが、虫がついていようが、見ないふりをして飲み込んだ。
吐き気はもう、慣れた。
それでも、昨晩。
僕は米粒を三粒、落としたまま気づかずに寝てしまった。
今朝、僕の左足の小指がなかった。
歩けるけど、重心が不安定だ。
小指って、失くすとけっこう不便なんだな、と変に冷静だった。
それより、これが“警告”であることに気づいて、汗が止まらなかった。
三粒で小指一本。
じゃあ、茶碗一杯なら……?
思わず、冷蔵庫を開けた。
全部食べなきゃ。
残せない。
残したら、“あれ”が来る。
どこから? どうやって?
わからない。でも、来る。
静かに、的確に、奪っていく。
隣の部屋から、誰かのすすり泣く声が聞こえる。
誰かが“あれ”に削られてる。
今日も。
僕は黙ってご飯を炊いた。
五合、ぺろりと平らげた。
味なんてどうでもいい。
残さなければ、減らない。
けれど、今――
舌の先に、じわじわと痺れを感じる。
あれ?
さっきの茶碗、ひと粒……底に張りついてたかもしれない。
⸻
すこしだけ。ほんの、すこしだけ。
それくらい、いいよな?
⸻
どこかで、咀嚼音が聞こえる。
僕じゃない、誰かの咀嚼音。
耳元で、熱く、湿った気配。
小さく、「ごちそうさま」と囁く声がした。
あとのまつり 誰かの何かだったもの @kotamushi
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