ひと夏の思い出 (短編)

田波 霞一

第1話 出会いは突然に

 1986年の夏、僕は高校1年だった。田んぼが広がる田舎町の高校。まだ土曜日にも授業があって、午前中だけで下校するのが日常だった。


 その後、友達は部活に急いで行ったり、バイクで帰ったり、みんなそれぞれ忙しそうに校門を出て行った。どこかで誰かが大きな声で名前を呼んでいた気がしたが、僕は部活に入っていたけど、たまたま今日は休みだったので、いつものように自転車通学で、買いたい本があって近くのコンビニまで寄ろうとしたときだった。


 夏の陽射しが照りつける中、汗だくになりながらペダルを漕ぎ、コンビニの前に着いたとき、目に入った人影は、タバコを燻らせる姿だった。これは関わりたくないと感じた。


 最初は気にも留めなかったが、制服の着こなしと放つオーラに、ただ者ではないと感じた。そう――スケバンと呼ばれた恐れ多い、3年の天城アケミ先輩に、いきなり声をかけられた。


「おいちょっと、顔貸しな」


 鋭い目つきに、僕は一瞬ビビったが、思い当たる節もなく、なんで僕なんだろうと戸惑いながらも、ついていった。暴力的なことはなく、口が悪い程度。コンビニを出て、しばらく無言で彼女の後ろに自転車を押しながら歩いた。


 真夏の午後、日差しは容赦なく照りつけ、アスファルトからの熱気がむっと立ち上ってきた。じわりと額に汗が滲み、夏のワイシャツの背中にもじっとりとした感触が広がってきた。汗ばむシャツが肌に貼りついて、気持ち悪さと暑さでぼんやりしてくる。田舎道には車も少なく、左右に広がる田んぼの稲が風に揺れ、蝉の声がずっと鳴り響いていた。学校から離れるほどに、周囲の音が遠のいていくようだった。


 時折、前を歩く彼女のポニーテールが風に揺れ、その背中のセーラー服が汗で肌に張りついていた。薄い布越しに、よく見るとブラジャーのヒモが透けて見えて、僕はどこへ向かっているのかもわからず、ただその背中を追って歩いた。そして、たどり着いたのは、なんと彼女の家だった。


「おう上がりなよ」


「お・・・お邪魔します」


 玄関で靴を脱ぎながら、どこか落ち着かない気分だった。知らない女の子、ましてやあのスケバンの家にあがるなんて、恐れ多いにもほどがある。こんな経験、もちろん初めてだった。廊下はほんのりと涼しくて、外の熱気が嘘のようだった。案内されるまま階段を上がり、彼女の部屋の前で一瞬、彼女が振り返る。


「まぁ、汚いけど気にすんなよ」


 その言葉と同時にドアが開かれ、僕は一歩、彼女のプライベートに踏み込んだ。

 家の外観は普通だったが、彼女の部屋はちょっと意外だった。


 彼女はベッドに座り、少し横を向きながらこちらを見ていた。僕は立ちっぱなしで、部屋の中を無意識に見渡していた。どこか気まずい空気が漂っていて、彼女の態度にも少し遠慮があるように感じた。


 部屋の隅にはカレンダーや『仁義なき戦い』のポスターが貼られていて、少女らしさもなければ、趣味らしい趣味も見えなかった。彼女が座っているベッドの上で、僕は無言で立っていた。


「あたいのこと、何者か知ってるか?」


「え、あ・・・えっと・・・・」


 突然のことで驚いていたが、どこかで聞いたことのある噂を思い出す。


「三年生の・・・天城アケミ先輩・・・ですよね?」


「ああ、それもそうだが……他にもあるやろ?」


 一瞬考え込む。何を言えば正解なのかわからない。

 不良少女であることは知っていたが、まさかあの“スケバン”だとは思っていなかった。


「不良の方ですよね。えっと、海城番長と対立してるとか……」


 彼女はふっと軽く笑った。


「なんだ、知ってるのか。抜かりねぇな」


 意外にも、僕たちは普通に会話をしていた。怖いとか近寄りがたいとか、そんな印象とはまるで違って、人としてきちんと向き合っている感じがした。


「お前さ、耳悪いんだろ」


 彼女は少し身を乗り出すようにして、真剣な表情で切り出した。僕は一瞬ドキッとした。


 僕の耳は少し難があって、人より聞き取りづらい。そんなこと、なぜ彼女が知ってるのかと不思議だったが、話を聞くと、耳の悪い親戚の子がいて、その子とどう接すればいいのか知りたかったらしい。


「別に、普通に話せばいいんすよ。口をはっきりして声が届けば、あとは伝える気持ちっす」


 僕はそう答えた。紙に書いたり、目を見て話したり。紙のやり取りでも十分だと伝えると、彼女はふうんと頷いた。


「なんだ簡単じゃないか」


「そう簡単に見えても意外と難しいですよ。何事も根気よく続けることだね。」


 と僕は言いつつ、まだ立っていた。彼女の部屋の空気は妙に静かで、僕の心臓が少し速くなっているのを感じる。背の高い僕は、この距離から彼女のセーラー服のすき間を見てしまった。つい、目がその先に引き寄せられてしまう。ブラジャーの肩ヒモがズレて微かに見える胸の谷間、意識がそこに集中してしまった。


 視線を感じ、ふと彼女に目をやると、その鋭い目が僕を見つめていた。その瞬間、僕は自分の顔が真っ赤になっているのを感じた。


「あ、あの…すいません!」


 目を逸らすと、少し焦ったような声で言った。


「おい、どこ見てんだよ」


 その言葉が耳に入った途端、胸がドキドキと高鳴るのを感じた。思わず、顔を真っ赤にしながら言い訳をしようとするが、言葉が出ない。


「気になるんか? 見たいんか?」


 彼女は僕がその場に立っているのを見ると、まるで何かを試すかのようにニヤリと笑った。その笑みに、舐め回すような視線が重なり、僕の心拍は一気に上がった。


 どうすればいいのかわからず、ただその場で固まっていた僕を前に、彼女はまるで当然のようにセーラー服の上着サイドにあるチャックに手をかけた。スケバンらしいとでも言うべきか、迷いのない動作だった。挑発的に、しかしどこか寂しげにも見える仕草で、彼女はチャックを下ろし上着を脱ぎ始めた。


 その光景に、僕は言葉も出せず、ただ呆然と立ち尽くしていた。最初に彼女がセーラー服の上着を脱いだとき、彼女の腕に手を回し、少し恥じらう様子が見えた。その後、ブラジャーを外し、胸をそっと出す。最初は緊張しているように見えたが、次第にその姿に目が釘付けになっていった。白くやわらかそうな肌に、小ぶりでピンクがかった乳首が映えて、まるで彫刻のようだった。


「ほらよ。どうだ、見たかったんだろ?あたいの自慢なんだよ ……って、自分で言うなって感じやな」


 照れ笑いを浮かべたその顔に、不思議な色気があった。小さめながらも、ツンと上を向いたおわん型の形が整っていて、息を呑むほどだった。


「でも、あんまジロジロ見んなよ。……ハズいんで……」


 彼女の頬にはほんのり紅葉しているのがわかる。ただ心なしか腕が少し震えていた。


 目の前に広がる鍛えられた美しい裸体。それを見た瞬間、何も考えられなくなり、ただその姿に見とれてしまっていた。期待と不安が入り混じり、胸の中で渦巻く感情が僕を圧倒する。


 しばらくその姿に目を奪われていたが、我に返った時、思わず彼女に手を伸ばしていた。自分でも驚くほど、無意識のうちに彼女に寄り添うようにしていた。


 心臓が高鳴り、手が震えながらも、僕はその手で彼女のスカートにそっと触れた。その瞬間、何もかもが静止したような気がした。


 その先のことは、断片的な記憶としてしか残っていなかった。何が起きたのか、どうしていたのか――あとはただぼんやりとした感覚だけが残っている。彼女の吐息、肌の温もり、私たちを包む薄暗い光。


 時には彼女から怒鳴られたり、恥ずかしがったり――あのスケバンだよ?と思えないくらい乙女な一面を見せてくれた。


 そしてその夜、僕は彼女と、当時では考えられない"禁断の一線"を越えた。


 高校では普通あり得ないことだった。田舎の学校では、男女が話してるだけで噂になる。ましてやスケバンの先輩と、そんな関係になるなんて、誰も想像すらしなかった。都会とは違って、男子と女子が一緒にいるのが当たり前ではない世界だった。


 あれから一週間ほど経った頃だろうか。あの夜のことが頭から離れず、どうしても彼女に会いたくなっていた。


 勇気を振り絞って校舎裏へ――スケバンたちの"聖域"として知られるその場所に足を踏み入れると、周囲の異様な雰囲気が一気に押し寄せてきた。男子禁制とも囁かれるその場所で、目立たぬように歩くうち、仲間たちの視線が僕に集まるのを感じる。


 仲間たちの冷たい視線を浴びながら、何とか先輩の元に近づくと、軽く頷いて挨拶を交わす。


「おはようございます、先輩。」


 先輩は僕を一瞥したが、特に気にした様子もなく、僕は少し安心してから、話を切り出す。


「すみません、ちょっと話が…」


 周りの視線を感じつつも、思い切って耳元に近づけ、小声で訊いた。


「この前の…先輩も、初めてだったんすか?」


 アケミ先輩は一瞬で目を見開き、肩をビシッと突いてきた。


「バカッ! なに言ってんだよ……!」


 声が裏返り、頬が赤くなっていた。


「誰にも言ったら、マジで殺すからな……!」


 そのとき、彼女が急にそっと僕の耳元で囁いた。


「……ほんと、マジで言うなよ。こいつらに聞かれたら、あたいの立場が……」


 その直後、彼女はぱっと距離を取り、周囲を気にするように目を泳がせた。


「な、なんか変なこと言ってないし! ぜんっぜん関係ない話だからなっ!」


 それでも仲間たちはこちらを見ながらクスクスと笑っている。


「おう、うちのボスに何したんか?」

「あれぇ、出来てたんですか?」

「もしかしてアレか?」


 なんて容赦のないことを言ってくるが、どこか悪意ではなく、茶化すような笑いが混じっていた。


「……もぉ、あんたのせいやろ……」と、唇を尖らせる彼女。


 その顔は、怖さなんて微塵もなく、ただの照れてる普通の女の子だった。


 頬を赤らめ、可愛く怒るその姿に、僕は少しだけ笑ってしまった。

 あの瞬間、彼女はスケバンじゃなく、ただの普通の女の子に見えた。

 今でも、あの夏の日のことを思い出すと、胸が少しだけ熱くなる。




 時は流れ、2024年の夏の夜。


 何気なく開いた地元紙のウェブ版――「おくやみ欄」に、見覚えのある名前を見つけた。

「天城アケミ」ではなく、別の姓。でも、下の名前に確かな記憶が揺れた。


 ――アケミ(56歳)。


 交通事故とだけ書かれていた。

 その下に、「竹下工業 社長夫人」とあるのを見て、少しだけ驚いた。

 結婚して、家庭を持って、会社を切り盛りする夫を支えていたのだろう。

 きっと、忙しくて、時には喧嘩もして、それでも笑って暮らしていたに違いない。


 僕も今では家庭があって、子どももいる。

 お互い、すっかり大人になって、それぞれの道を選んで、歩んできた。


 でも、あの夏の思い出だけは、僕の心に、永遠に焼き付いている。

 忘れようとしても、ふとした瞬間に蘇る。

 セーラー服にポニーテール、少し不器用で、でもどこか眩しかったスケバンの彼女。


 たった一度の、ひと夏の恋。


 それは決して"今の幸せ"を揺るがすものじゃないけれど、心の中では、そっと静かに、今も息づいている。


 彼女に出会えて、よかった。

 あの夏があったから、今の僕がいる――


 そして、こう思う。


 あれが、最高の恋だった。

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ひと夏の思い出 (短編) 田波 霞一 @taba_muichi

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