名前を与えられた日、私は壊れた ──それは“救い”か、それとも“呪い”か。

@tamago1420

『名前を与えられた日、私は壊れた』 ──それは“救い”か、それとも“呪い”か。

「現代型うつ病ですね」


その言葉を聞いた瞬間、私は少しだけ、安心してしまった。


ああ、やっと“名前”がついた──そんなふうに思ったのを、今でも覚えている。

正体のわからない沈みや、言葉にできなかったしんどさに、ようやく輪郭が与えられた気がした。


それは、私を救うための名前だった。

少なくとも、そのときは。


診察室の蛍光灯はやけに白く、肌の色まで奪っていくようだった。

医師の声は静かで、優しくて、まるで誰かを慰めるような響きだったけれど──

それでも私には、どこか遠くの水の中で響いているみたいに、ぼんやりとしか届かなかった。


私は頷いた。

そして、たぶん笑っていた。

口角が動いたのを覚えている。


「分かりました」

そう言った自分の声だけが、やけに現実的だった。


私は、日常をこなせていた。

SNSでは笑っていたし、友達とふざけ合ったりもしていた。

講義に出て、バイトに行って、普通に話して、普通に振る舞っていた。


──だから、私は「大丈夫」だと思っていたし、周囲もそう見ていたと思う。


でも、夜になると、私は変わる。


部屋の灯りを落とすと、胸の奥に沈殿していた何かが、静かに浮かび上がってくる。

意味もなく、不安が胸を掴む。

理由もなく、涙がにじむ。

感情の底が抜けて、何も感じないのに、しんどい。

とても、しんどい。


LINEの通知が鳴る。


誰かの名前が表示されるだけで、心臓が跳ねて、手が止まる。

開いた画面の中、未読のメッセージが待っている。

返したい。返さなきゃ──


頭の中では言葉が浮かんでいるのに、

指先まで届く前に、どこかで断ち切られてしまう。


「また既読スルーだと思われるかも」

「怒ってるって勘違いされるかも」

「何か気を悪くさせたかもしれない」


そんな考えが波のように押し寄せて、私はまた、何も返せなくなる。


スマホの画面を伏せて、深く息を吐く。

けれど、その息はどこか途中でつっかえて、喉の奥に引っかかったままだった。


ベッドに横になり、天井の模様を無意識に数える。

無音の部屋。聞こえるのは自分の鼓動だけ。

それなのに、やけに音がうるさい。

目の奥が熱くなって、瞼がぴりぴりする。


ただ、横たわる。何もせずに、ただ存在しているだけ。

それすらも「生きてる」と言えるのか分からなくなっていく。


通学電車。窓に映る自分の顔を、どこか他人のように見ていた。


イヤホンの中から流れる音楽は、ただの“音”になっていた。

リズムも歌詞も、鼓膜を通って脳へは届いているのに、

どこにも響かない。

胸にも、頭にも、届かない。


“音の中に、音がない”


それが、私の朝だった。


ある日、家族が言った。


「ちゃんと診断されたなら、対処法もあるじゃん。よかったじゃない」


私は微笑んで、うなずいた。

その反応は、きっと望まれていた“正解”だった。


けれど、胸の底では何かが冷たく沈んでいた。

言葉の形をした錘が、感情の水面をゆっくりと引き裂いていくようだった。


「よかった」って──どうして言えるんだろう。

私は今も、沈んでいるのに。


少しずつ、私は変わった。

「私は病気なんだから」と思えば、できないことにも言い訳ができた。

遅れることも、断ることも、逃げることも。


でも、その「言い訳」に慣れるうちに、私は“元気になること”が怖くなっていた。


回復すれば、もう何もかもが“自己責任”になる。

また、ちゃんとしなきゃいけなくなる。

努力しなきゃいけなくなる。


──私は、壊れたままでいることを、選びはじめていた。


現代型うつ病──

脳内の神経伝達物質のバランスの乱れが原因とされている。

セロトニン。ドーパミン。ノルアドレナリン。


それは医学的に説明がつくし、治療法だってある。

でもそれは本当に、私を“説明”できているのだろうか?


「気分が沈む」

「環境のせいにする傾向がある」

「批判に過敏に反応する」


──それらは、私の“性格”でもある。


ならば、私はいつから病気で、いつからただの“ダメなやつ”なんだろう?


「自分らしく生きる」と言われる時代。

でも少し立ち止まると、「それはあなたのせいだ」と突きつけられる。

努力すれば報われる。頑張れば変われる。


だから、頑張れない私は、すぐに“見えないもの”になっていった。


静かに、ゆっくりと、輪郭が薄れていった。

「病気」と診断されたのに、

誰かに「怠け」と言われる気がして、私は黙った。


“名前”は、たしかに私を救ってくれた。

でもその名前が、

私を壊したのかもしれない。


名前を与えられたその日、私は「壊れている自分」に閉じ込められた。


誰も、私を閉じ込めようなんてしていなかった。

でも、私はそこに、自分を置いた。


それでも私は、今日もここにいる。

問いながら、生きている。


これは病だったのか?

それとも、ただの甘えだったのか?


──今も答えは出ないけれど、

それでも私は、息をしている。


たったそれだけでも、

今日は十分だと、信じてみたい。


壊れる前に、自分を労わってあげてください。

それが、どれほど難しいかを、私は知っています。

だからこそ、この言葉を、ここに残します。


【作者注記】

※この作品はフィクションです。

「現代型うつ病」が正式に医療で用いられるようになった少し先の未来を舞台としています。


名前は、人を救うこともあれば、縛ることもある。

この物語は、“名前”を与えられたあとに生まれた、静かな沈黙と問いの記録です。


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