終章 自殺は狂気か否か

『』-1

 令和七年五月二十八日。

 僕の高校では一年に一度、自分で研究テーマを決め、その研究内容を発表する機会がある。

 そして今日こそがその日であった。

 よく特殊な学校と言われるよ。――まぁ僕自身、入ってから知ったのだけれど。

 僕の研究テーマは『自殺』だった。

 先生やクラスメイトからは精神的ストレスを抱えていないか心配されたが、そういうことではなかった。

 それに僕の周りで自殺した人がいるわけでもなかった。

 適当にユーチューブでドキュメンタリーを見ていて、そこで出てきたのがこの話題であっただけで、僕自身の関心はさほどなかった。

 なぜ人が死を選び、生きることを捨てようとするのか。僕にはよく分からなかった。

 しかし、最近思い立ったことがある。

 自殺というのは精神が弱い人がするものだと、元の性格が密接に関係していると。

 端的に言うと、『自殺は狂気である』と思っていた。

 だが調べてみると、自殺には環境が大きく関係しているのではないか、という話が浮上していた。

 例えば、フランスの社会学者であるエミール・デュルケームはその考えで『自殺論』にて自殺を四つに分類した。

 自殺が精神的なもの、その人の性質によるものでなく環境から生まれるものだとすれば――自殺は異常行為と言えるだろうか……。

 まだ分からないことが多くある。

 そんなことを座りながら考えていると、徐々に自分の番が近づいてきた。



「等式がない文字式ってどんな数字でもあてはめられると思うんです。例えば、『二〇XX年』と表すと一見未来を示しているように見えますが、これは『二〇〇六年』かもしれないし、『二〇二五年』かもしれない。『二〇XX年』は過去の可能性も、現代の可能性も、未来の可能性もある。だから私は文字式をテーマに研究しました」



「人間って思い込みが激しい生き物だと思います。誰もが偏見、思い込みを抱えている。そんな認知のゆがみ――『バイアス』を皆さんに知ってもらいたいと思いました」



「地球の歴史とは膨大です。人間の祖先とされるホモ・サピエンスが誕生したのもたったの二十万年前です。それまで地球では生命が誕生し、絶滅してきました。しかし、地球の歴史を全て目の当たりにすることはできません。もしかすると、人間だって一度絶滅し再び蘇った可能性だって否定できないと思うんです。そこで僕は地球の歴史に隠された生命を――」



 次々に自分の研究内容を話すクラスメイト達。

 ――やばい、緊張してきた。

 そう思うと心臓の鼓動が一気に早くなってくる。

 僕は緊張をほぐそうと手のひらに『人』と書き、それを飲み込んだ。

 こんなものに意味があるかは分からない。きっと予言とかを信じない人は信じないのだろうけれど、何もしないよりかは幾ばくかマシだろう。



「――最後に。私は例え絶滅したとしても、再び命の縄は繋がると考えています。以上で発表を終わります。ご清聴ありがとうございました」



 大きな拍手が巻き起こる。

 ――やめてくれ。僕の前で発表をするな……。

 そう思いつつ、僕は教卓に立った。



「初めに、一つ聞きたいことがあります」

 僕がそう言うと、下を向いていた聴衆も一気に僕と目線が合う。

 しかし、僕はそんな目線にも臆せず話し続ける。

「僕の研究テーマは『自殺』であり、人それぞれ死生観があることは理解しています。だから、僕の研究発表を聞いて皆さん自身の意見を考えてほしいです。そしてこの問いには、僕自身もまだ答えを出せていません」

 僕は大きく深呼吸をして言った。



「自殺は狂気か否か。どちらだと思いますか? 貴方の意見が聞けることを、とても楽しみにしています」



 と。

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化け物のレコード 立心琴葉 @risshinkotoha

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