鳶と蛙

白川津 中々

◾️

余りにも理不尽である。


帰宅後、居間へ進むと母が鬼の形相。「このプリントはなに」との問いに「授業参加の案内」と返答。すると、声を荒らげ狂う。


「もう終わっているよね。どうして早く出さなかったの?」


呆れる。一ヶ月前に提出し、口頭でも説明したはずだ。本人が忘れているのである。

それを伝えると、より一層顔を赤くして怒声を浴びせてくる。曰く、「人の気も知らないで」だと。なんと愚かな。人の気知れず憤慨しているのはどちらであるか明白だろう。俯瞰で物を見られないこの母親という人間が哀れでならない。


「もういいです。そんなに勝手にしたいのなら面倒見きれません。出ていってください」


挙句、退去勧告。あくまで自己の正当性を主張し、親の義務と責務まで放棄して強行策に出るとは、なんともはや。このような短絡的かつ直情的な人間の血を受け継いでいるというのが人生最大の汚点。可能であれば隠蔽のため殺害し死体を秘密裏に処理したいところだがさすがにリスクが大きい。となれば、最善の手は勧告に従い家を出る事である。前々から母の独裁は気に入らなかったのだ。自立して生きていくためには相応の覚悟が必要だろうが、自由を得るためには、困難を受け入れなくてはならない。


「分かった。ただし、そちらからいただいた物品と現金は個人の財産として所有する権利があるから、異論なきよう」


衣服と貯金三十万。これが全て。裸一貫でもないが、義務教育課程にある人間が一人で生きていくにはやはり心許ない。しかし、だからこそ価値がある。新たな一歩、新たな自由を求め、いざ、行かん……!




……




あれから五年が経った。

今ではマンションを借りて、優雅に暮らしている。

家を出てからはドヤ街へ行き働いて、貯まった金を投資に当てて、それを元手にビジネスを立ち上げフリーのコンサルとして暮らす日々。法的に籍は入れられないが内縁の妻もでき、腹には子もいる。子供が子供を育てられるのかという不安はあるが、それでも、かつてない充足感が、確かに胸を満たしているのだ。これが幸福。これが喜び。なんでもない日常が輝いて見える。祝福されていると、確信できる! 素晴らしき哉、人生!


「ねぇ、あんた。お客さん」


そこに突然の来訪。不躾だ。


「誰だい。予定は入ってないようだけれど」


「お母さんだって」


「誰の?」


「あんたの」


「……帰ってもらってくれ」



金の臭いを嗅ぎつけてやってきたのか。今更母親など、会いたくもない。妻には申し訳ないが追っ払ってもらおう。顔も見たくないのだ。


……


「ちょっと、通せ! 私の子供なんだから!」


「やめてください! 警察呼びますよ!」


……


……警察を呼んだ場合、まずいのはこちらだな。


「やれやれ」


金庫。札束。これまで稼いだ、血肉に等しい金。

脱税している隠し財産、くれてやりたくはないがやむを得まい。この札の厚さが親子の縁だ。すっかり渡して、さっぱりと切ってやろう。


親も子も所詮は他人。

相入れず、分かり合えず。


いずれ、自分も我が子に絶縁を叩きつけられるのだろうか。だとしたら、その日が楽しみだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鳶と蛙 白川津 中々 @taka1212384

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ