そんな顔できるの

 牙をむいたその男が、掻き切られた喉にかぶりついた。


 覆い被さるように、二度、三度と喉を鳴らす。そのままたっぷりと血を啜り終えると、満足気に目を細めて、唇の端をなめあげた。その所作しょさには、どこか美しさめいたものもあったのだが……胸の奥から込み上げてきた不快感もまた、確かなものであった。



「なんで飲まなかったの?」

 カラトは、すっかりふてくされた末にそう問いかけた。恵まれた体格の割に、どこかあどけなさの残る顔を、わかりやすくしかめている。


 朝焼けが差し込む店内には、カラトを含めて吸血鬼が二人。人里離れた薬屋ゆえに、そんな会話を人に聞かれる心配も無かったが、もう一人の吸血鬼……店主であるナギは、嫌そうに薄い眉をひそめた。


「飲みたくなかったからですよ。それ以外に、ないでしょう」

「飲みたくねェって、お前」


 訳がわからない。そんなカラトの言葉を、ナギは遮った。


「普通の、人間の暮らしがしたいんです、僕はね。人を襲ってちゃ、あなたみたいに放浪するしかないでしょう」

 それは、体力的にも難しい。


「悪くありませんよ。町外れに住んで、人と関わって生きるのは。どうなることやら、確かに不安でしたけど……こうやって、商売までできているんです。そのうち、友達だって……できるかもしれないし」


 それを聞いて、カラトは小首をかしげた。

「友達……いないの?」

「いませんけど」

「えっ、いないって、だって」

「楽しいですけど。いなくても」


 そんな所を深掘りするな。吸血鬼としても気が合わないが、普通にこいつ嫌いかもしれない。ナギは思った。


「友達って……俺……」

 カラトはといえば、何やら下を向いて、ぶつぶつ何をか呟いている。頬杖をつけば牙も見えず、こうしていれば、人当たりの良さそうなただの青年だ。その正体が、人を襲う魔物だとしても。


 初対面で背筋の凍る思いをしたのは忘れられやしないが、そのうち出ていくだろう男……そう思うと、少しは優しくする気になれた。


「何にしたって、僕のことは気になさらないでくださいよ。僕だって逆にあなたに、血を飲むなだなんて言いませんから」

 ナギは目を伏せ、しみじみと続ける。

「本当に気に入っているんです、この暮らしは。製薬は良いですよ。何やら煎じたり、すり潰したりしていれば、人の血の味も忘れられますから」


「…………」

 妙な沈黙が流れた。空気が止まったような、どことなく居心地の悪い時間が過ぎていく。気まずい雰囲気に目線を変えようとしたその時、カラトがひっそりと囁いた。

「へェ、なァんだ」


 その声色にナギは、喉元を、冷たい手でぐっと掴まれたような思いがした。人をいたぶり楽しむような、おぞましい喜びのにじむ声。思わず見ればカラトは、やはりゾッとする笑みを口元に浮かべていた。


「本当は、飲みたかったってこと。忘れられないんでしょ、血の味が」

 そう言うと、自らの服をぐいと引き、首から肩にかけての肌を露出させる。


「飲んでいいよ」

 ……飲んでいい?

「いくらだってあげる。ほら」


 一瞬、言われた意味が分からなかったが……血を、飲めと言っているのか。その首筋を噛んで。


 理解した瞬間、時が固まった。


 動揺している。無理もない。

 一瞥いちべつして分かる、恵まれた体格。

 それを裏切らない、良い肉付きをしている。

 あの肌に牙をたてれば、たっぷりと血がしたたるだろう――



「飲まねえって言ってるだろ、わかんねえのか!」


 ナギの怒号に、カラトはびくりと身を縮めた。それまでのニヤつきが嘘のように、一気に叱られた子供のような怯えがにじみゆく。


「だ、だって……」

 キッとナギがにらみつけるも、カラトは続けて言った。

「あの、ナギ、具合、悪そうだし……」

「…………」


 具合は……確かに、良くはなかった。

 息はきれるし、目はかすむ。胸の気持ち悪さに、血を吐く事もある。


 だいいち、空腹であった。人の食べる物も口にはできるが、どこか、人の血でないと満たされない虚な穴がある。おぞましく、どうしても嫌ではあるが……飲めるものなら、血は飲みたい。カラトの言葉は、的を射ていたのだ。


「……あの、あのね。俺、心配で。心配なだけでさ。なかよくもなりたいんだけど、ナギ、大丈夫かなって。それだけなの」

 おどおどと呟くカラトに、ナギは息を吐いて天を仰いだ。


 分かっている。


 そんなことは、分かっているのだ。方法の如何いかんはあれど、カラトがあれこれと気づかってくれているのは確かである。少しは感謝の念が浮かんでもいいはずなのに、と自分でも思っていた。ただ、自分に優しくしてくれるこの男の、何かが気に食わない。何かが……そう、言葉にするなら……


「……いいよな、お前は」

 自らの口から出たそれに、ナギは小さく息をのんだ。


 うらやましかったのか。

 そう思えば、腑に落ちた。なんとなく感じていた、蛇のような不快感の輪郭りんかくが。


 カラトは自由だった。

 苦もなく人を襲うし、それを全く気に病むでもない。きっと魔物としては、カラトの方が正しく、そうあるべきなのだ。自分は、そうはなれなかったし……


 ……なりたくない。

 あんなおぞましいものには。

 憎らしい。自分は、苦痛に耐えているのに。

 憎くて、憎くて……

 ……うらやましかったと、いうことなのだろう。


 改めて、ナギは目の前の男を見た。

 叱り飛ばした先ほどよりは、いささか背筋を伸ばしているものの、いまだ困ったような顔でこちらをのぞいている。勝手に感じていた不快感が片付いた今、その様からは、幾分愛嬌が感じられた。思えば諧謔かいぎゃくろうする様は、清貧の修道院を出た身としては新鮮だった。


 すこしは仲良くなれそうだ。

 微笑んだナギだったが、カラトが恐ろしいものを見る目で見つめてきたのは、どうにも釈然しゃくぜんとしなかった。

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葛藤する吸血 ドラム瓶 @drumbottle

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