あの日、君を差し出した

つくし君@情けない

第1話

あのとき、彼女は笑っていた。

焼け落ちた神殿の前で、

炎の中で、まるで祝福するように。


けれど――

その記憶は、俺の中ではすでに「なかった」はずだった。


**


夏の陽が傾く頃、小島隆は車のエンジンを切った。

標高の高い山間部、舗装の不十分な細道を30分以上も進んだ先に、その村――水明村はあった。


「まさか本当にあったとはな……」


車外に出ると、空気が変わる。

湿気と草の匂い、土の匂い、それから何か、わずかに焦げたような――古い木の匂いが混ざっていた。


村の中心部は寂れていた。

潰れた商店、苔むした公民館、そして電波のないスマホ。

小島は地図を頼りに、村に一軒だけあるという民宿を探し歩いた。


「御光の会、ね……」


口にした瞬間、背筋がざわついた。

古い取材メモによれば、この宗教団体はかつて都市部で小規模に活動していたが、ある“事件”を機に姿を消した。


そして今、その関係者がここに集まっているという。


**


「泊まりたい? 一人で?」


宿の女将は、明らかに訝しげな目を向けてきた。

だが、小島が「調査で来ている」と言うと、渋々部屋を案内してくれた。


部屋には古い畳と、鴨居の低い押し入れだけ。

だが天井には、祠のような彫り物がなされていた。


「それ、拝んじゃダメだよ」


女将がふとつぶやいた。


「目を合わせたら、帰れなくなるから」


小島は笑ってごまかしたが、女将は笑わなかった。


**


夕食を終え、古老・北村の家を訪ねたのは夜の8時過ぎ。

北村は最初こそ言葉少なだったが、「御光の会」と名乗った瞬間、顔色を変えた。


「まだ……信じてるのか、あれを……あれは、神様なんかじゃない。あれは“戻ってきてしまったもの”だ」


北村の手は震えていた。

薬を飲ませ、落ち着かせてから聞き出した話は、こうだった。


「昔、この村に奇病が流行った。子どもから老人まで、順に目が見えなくなって、やがて声が出なくなって、最後には心臓が止まる。まるで順番を守るように、一人ずつな」


そのとき、現れたのが“あの方”だった。

真っ白な衣を纏い、顔を隠した「祈る者」。


彼女が祈ると、不思議なことに病気は収まった。

村は彼女を“御光さま”と呼び、信仰の中心に据えた。

やがて、御光さまは姿を消した。


だが、今また、戻ってきたのだという。


「……証拠はあるのか?」


小島が尋ねると、北村はぼそりと呟いた。


「明日の夜……**隠ノ社(かくしのやしろ)**を見てみろ。

だが気をつけろ。あの祈りに目を合わせるな。

やつらは“次”を探しているんだ」


**


その夜、小島は眠れなかった。

網戸越しに見える山の木々が、まるでこちらを見下ろしているようだった。

耳鳴りが止まらない。


夢の中で、少女がこちらを見ていた。


白い衣装。目元を隠す布。口元には、笑み。

そして耳元で囁く。


「隆くん、また会えたね」


**

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あの日、君を差し出した つくし君@情けない @tukushikun

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ