あの浜
笹木
あの浜
初夏、6月上旬の海辺は常に生ぬるい風が吹いていて、あまり気持ちのいいところではない。
この片田舎の海岸線も湿度ばかり高くて、年中いつでも見かけるような釣り人とサーファーなら数人、目をギュッと凝らせば見えるような遠くにいたが、他はかもめ一羽翔んでいない。
久々にバイトも部活も入っていない土曜日なのに家で休日を満喫できずにいるのは、友達のAに呼び出されたからだった。
電車で1時間ちょっと離れている、名前を聞いたこともない海岸のド真ん中。ありえないことに呼び出したAはここにいない。マジでありえない。
妙にしつこく一緒に行こうと頼んできたから、交通費もバカにならない額を支払ってこんなところまで出向いたのに。
どうにか苛立ちを抑えて、「俺着いたけどお前どこ?」とメッセージを飛ばすと、
「ごめ~ん行けなくなっちゃった(っ◞‸◟c) 」
この一言。俺はよく分からない場所でひとりぼっちになってしまった。
「おまえホントにふざけんな」
「こんな意味わからん場所で放置するとか」
「ちゃんとした理由あるんだろうな」
「数学で赤点取って今補習」
あきれてため息をついた。赤点を取ったなんてこれまで1度も言ってきたことがないのに、どうして今なんだ。しゃがみこんで砂の上に座ると、大粒で貝混じりの色あせた粒が、ジーパンに食い込んで痛かった。
「バーーーーーカ」
「わたしだって行きたかったよ(;;)」
「電車代高いんだけど」
「半額でいいから弁償しろ」
「わかった…ごめん……」
こいつの過失ではあるけど、本人が意図してやったことでは無いなら怒り続ける意味もない。弁償するって言ってるし。ただ1つ気になるのは、一緒に行くにしても、こんなへんぴで魅力にとぼしい田舎を選ぶ理由だった。海なら他に良いところが地元の近くにいくつもある。
「まわり何も無いけど」
「何がしたくてこんなとこ来ようと思ったんだ?」
返信が数分止まる。何か話そうとしているのは分かるから、海を眺めて待つ。
「その海岸の北の端さ、岩場になってるじゃん」
北がどちらか分からなかったので、スマホのコンパスで北を確認して、そちらを眺める。北端の岩場は、今いる浜の真ん中からでも小さく見えた。たいして遠いようには感じないし、駅でレンタルした自転車にまたがり直して上の道を走るより、そのまま歩いた方が楽だろう。
「見える」
自転車に戻り鍵をかけて、また浜に降り、靴に砂が入らないよう脚に力を込めて歩く。
「その奥に岩のアーチがあって、そこをくぐると、サラサラの砂でいっぱいの、周りが岩で囲まれたちっちゃい浜があるんだよ」
岩場に近づいていくと、Aが言っているアーチらしきものが見えてきた。走りづらい砂を気にせず蹴っとばして駆け寄り、アーチの下で止まると、たしかにクリーム色の砂でいっぱいの空間がある。隣の山から伸びた岩壁で遮られていて、少し影が落ちているところに日が差し込み、海もしっかり見える。まるで小さなプライベートビーチだ。
「あったよ、着いた」
「おお!じゃあさ、そこの波打ち際。寄ってみて」
言われた通り水辺に近寄って、しゃがむ。宝石のような色合いも透明感もないが、うすく日本画みたいな青緑に色づいていて、不思議な美しさがあった。
「なんか、埋まってたりしない?」
埋まって?
「探し物してほしいの?」
「そういうのじゃないけど」
「何か埋まってるならとりあえず教えて」
「あるなら多分簡単に見つけられるから」
返信されたメッセージを読んで、はぁ?と声を出した。あるかどうかも分かっていない口ぶりなのに、人に探させるなよ。さっきの苛立ちにつられて文句が喉から飛び出しそうになった。ダルいし変だしよく分からなかったが、それでも、宝探しのようでワクワクしている自分が居ないわけではないと気づいていた。こいつが友達じゃなかったら腹いせとして無視して帰りもするだろうが、生憎友達だった。湧いてくる好奇心に抗う理由はない。
すくっと立ち上がり、寄せて返す波のキワの砂にアタリをつける。靴でかき回したり、しゃがみこんで手で掘り返したりしてみると、砂の下に白くてのっぺりした質感の何かがひょっこりのぞく。
本当になにか埋まっていたんだ。怒って悪かったような心地にもなったが、説明不足なあいつが悪いんだ。疑った罪悪感は、ハッキリ言わずはぐらかされたことへの不満で帳消しにしよう。どちらの思いも口に出さずにおいた。
「あった」
既読は付いた。返信はない。
待つ理由もないので掘り出してみることにした。
濡れた砂を手でかき分けてゆき、見える面積を増やしたところで、ピタ。俺の動きは止まった。見えてきた物体が妙に生物的というか、柔らかいというか、なにかしらの物みたいな無機質さが、目に入る情報から受け取れなかった。貝やエイのようにも見えない。急に、刺すように嫌な、悪い予感がした。非現実的だと思うのに、いくらジッと見ても脳はその可能性を否定してくれない。触れる勇気が出ないまま、そこで氷のように固まっていると、ひときわ大きな波が砂をさらって、白い何かを薄く覆ってくれた。水が引いて、砂が流れて、足をくすぐる。ようやく、金縛りが解けたように目を背けることができた。
「おいこれなんだよ」
既読しかつかない。
Aは明らかに俺の発言を見ている。だっていうのに、10秒経っても、1分経っても、終わりがないように感じるほど長く待っても返信はされる気配がない。こいつは人をいきなり無視するようなやつではなかった。なかったはずだ。
こんなやつのことを待っていても埒が明きそうないと思い、変にきしむようにかたい首を動かして、白い何かをまたジッと見る。手を伸ばして、もう一度表面を掘った。グニグニと気味の悪い感触があった。もう一度掘って、またもう少し見えるようになった。悪い予感は現実だった。
埋まっていたのは、だれかの足だった。
俺が見ていたのはおそらくくるぶしの辺りで、少し掘ったらかかとがよく見えるようになった。掘り続ける。足の裏が見えている。ひっくり返って砂に埋まっているのに、グラグラと簡単に動く。おそらく途中から先が繋がっていない。ふやけてシワけた足の裏が7割見えて、足の小指も出てきた。手を止めない。
全体像が見えてきたところで、足首をつかんで引っ張る。やはり抵抗は少なく、簡単に抜けた。予想通りふくらはぎにも届かないところで、先がなくなっている。切断面なんて見たくないと無意識に思って、自分から遠ざけるように、取り出した穴のそばにおいて、それを眺めた。青白く、小柄な足だった。男のものとは思いにくかった。足の指を曲げようと試しに力を込めてみると、全然動かなかった。俺の知識の限りで考えると、死後硬直のせいだと思う。本とか、ドラマで得た知識だった。合っているかどうかなんて分からなかった。
想像を超える非現実への寒気がする興奮と、おかしなAの反応への困惑と、異常からの逃避で、俺の全ての感覚が麻痺していた気がした。
こんなもの触っている自分が急に、とてつもなく嫌になってきて、俺は立ち上がった。その瞬間、興奮に鈍らされていた恐怖が奔流のように蘇り、いてもたっていられなくなった俺は猛然と走り出していた。アーチをぬけ、岩場を通り過ぎ、走りづらい砂の上を必死に走って、上の道に続く階段を駆け上がり、息も切れ切れに自転車にたどり着く。不安は拭えず、いまにも殺人鬼に追いつかれて殺されるかのような恐怖にかきたてられて、息をつく暇もなくまた俺はまた自転車で走り出していた。自分が今何を思って行動しているのかもわからなかった。必死に漕いで、息をするのに精いっぱいで、ようやく止まったのはだれもいない下車駅についてからだった。
改札の前で息を整えて、最後に大きく息を吸う。
そこでふと思い出した。
俺にAなんていう友達はいない。
あの浜 笹木 @sasami__dango
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