悪食テンダー

渋谷滄溟

悪食テンダー 前編


 

 花沢恵。可憐で可愛らしい名前だこと。でも私には似合わない……。


「恵、またお菓子食べてるぅ! さっき弁当二段食ったばっかじゃん!」


「いーじゃん! 食いもんは私の生命線なの!」


 恵は目の前で怒る友人の由香里をきっと睨んで、手元にあるポテトチップスを引っ掴んだ。己の学校の机には売店で買った親子丼や唐揚げが並べられており、まるで晩餐会のような飯の数だった。


 しかし、それを食らうのは恵ただ一人である。彼女はほんのり肉付いた指でポテチを口に放ってはその指もしゃぶった。まるで獣である。彼女は筋金入りの食いしん坊なのだ。


 無論、恵とて己の大喰らいを恥じない日はなかった。しかし、減るものは減り、鳴る腹は鳴ってしまうのだ。幼少の頃から一人っ子ゆえに両親から甘やかされ、散々好き放題に食べてきた。


 小学校では給食のパン争奪戦には毎回参加し、中学では学校帰りに肉屋で揚げ物を漁る日々。そして高校生となったいま、成長期も相まって恵の食欲は爆発していた。弁当は重箱の大きさを二段食べ、父母に小遣いをねだって売店で買い物をする日常が当たり前となってしまったのだ。


 中学までは親の意向でテニス部に入らされいたため、恵の肉体は「肉付きがいい」までで止まっていた。しかし高校からは部活さえ辞めてしまい、所謂ぽっちゃりさんにまで来てしまった。


 由香里を始めとする友人たちは心配する一方で、同級生の男子は年相応に恵を酷く馬鹿にした。今日だってそうだ。


「おい見ろよ、ハンバーガーちゃんがまたもぐもぐと必死だぜ!」


「ほんとだ! ハンバーガー! 美味いか? 背徳感の味はよお!」


 恵と同じ一年一組の町田と秋山である。二人とも憎たらしいニヤケ顔をしており、恵の寸胴体型を小馬鹿にして「ハンバーガー」という不名誉なあだ名をつけていたのだ。


 恵はその名を呼ばれた途端、ハッとしてポテトチップスを抱きしめて顔を背けた。由香里は歯の矯正がよく見えるほどぎっと口を歪めて二人を押し飛ばした。


「るっさい! 人のダチ馬鹿にしてんじゃないよ! あんたたちこそ脳みそに栄養足りてないからもっと食べたら?」


 由香里が鼻で笑うと、二人はきまり悪くなったのか白けたように去っていった。しかし恵は聞き逃さなかった。「ハンバーガーは守られてばっかだ」という彼らの小言を。


 由香里はポテトチップスを抱きしめたままの恵の肩に手を置いた。


「恵、気にすんな! あいつらただの暇人なんだよ! あんたはそのまんまでいいよ!」


 由香里の慰みもあまり効かず、恵はそっぽを向いて曖昧な返事だけを返した。その時だった。


 誰だろう?……。一組も廊下に接する窓から誰かがこちらを覗いているのが見えた。薄い栗色の癖毛、キュルリとした丸い目。一組の者ではない。彼は確か……。


「どこ見てんの? 恵。ああ、あの人ね。あいつ確か二組の芹沢じゃ––––」


 由香里が芹沢の名を口にした途端、彼はハッとして顔を赤らめ、恵に向かって頭を下げた。恵も釣られて同じことをした途端、彼は何かあたふたした様子で一組の前から去っていった。


「ゆかりん、あの人なんだったんだろ」


「さぁねぇ、あんたを狙ってるとか?」


「このポテチにかけてそれはない」


 恵はポテチを取り出してアヒル口を作りながら、由香里に向かって微笑んだ。


 そんなはずないのだ。恵はいつだって男子に疎まれ、蔑まれ、嫌悪される存在だったのだ。彼女にモテ期が来たことはない。全ては己の欲に従ってできた醜い肉体のせいだから。


 恵は芹沢のことだって、敵と見做していた。きっとそうだ、わざわざ組を跨いでいたいけな一人の少女をイジメに来たのだ。彼もまた見世物小屋の客なのだ、と思っていたのだが……。



※※※※



「ん、あれ?」


 翌日恵が登校し、靴箱を開けるとそこには赤いリボンでラッピングされたスノーボールクッキーが入っていた。手にとってみると、クッキーはほろほろと動き、粉糖がよくかかっているのが見えた。


 今はバレンタインでもホワイトデーの季節でもない。しかも宛名も書かれていない。誰かが間違えて恵の棚に入れてしまったのだろうか。


 普通は赤の他人から貰った食べ物など口にしてはいけない。しかし徒歩通学で小腹が空いていた恵に理性は効かない。


「ラッキー!」


 恵は難しいことは考えずに、嬉々として胸ポケットにクッキーをしまったのだった。そして教室に赴き、朝学習のペンを走らせながらクッキー袋を開けた。


「……うまっ!」


 チョコ味だったそれは口の中に入れた途端、雪のように崩れ去り、脳を甘く溶かした。恵は手作りの菓子など、なけなしの友チョコしか貰ったことがない。こうまでして手の込んだスイーツが渡されるのは初めてだった。


 誰かは知らないが、恵はいっときの幸福を与えてくれた者に感謝して次々とクッキーを頬張った。やがて由香里が登校してくると、恵はニンマリとして空の袋を見せたが、彼女の方はいつも通り眉を顰めた。


「知らない人からなんて、私は気持ち悪くて無理」


「でも美味しいよ? きっとアタシのファンからだね」


「ファンならラブレターぐらい付けなさいって話よ」


 二人はぷっと吹き出すと、テストやら授業の話やらで話題を変えた。そのまま朝は進んでいき、やがて昼休みとなった。恵は由香里とのお昼の前に手洗いに行くことにした。


 事を済ませ、トイレから出ると向かい側から二組の芹沢が歩いてくるのが見えた。恵は特段顔見知りというだけの彼に会釈もせずに通り過ぎようとしたが、それは叶わなかった。


「っ、え? え?」


 二人がすれ違う瞬間、芹沢はバッと恵の腕を柔く握ってきた。恵は突然のことに頭が真っ白になり、即座に腕を振り解こうとした。しかし芹沢の力は強い。彼はこちらも見ずに、口を開いた。


「ね、あのさ、クッキー美味しかった?」


「っえ」


「ああ、ごめんね! 急に怖かったよね!」


 芹沢はハッとすると急いで恵を解放し、ペコペコと頭を下げた。恵は掴まれた部分を摩りながら、目の前の長身の男を訝しんだ。


 クッキー? もしかして謎のプレゼントの差し出し人は芹沢だったのか。だとしたら何故? 赤の他人である此奴が突拍子もないことを……。


 恵は不審者を刺激しないように、少しずつ後退りした。


「お、美味しかったよ……甘くてくちどけもよくて」


「ほんと!? うわぁ嬉しいなぁ」


 芹沢は分かりやすいようにはにかむと恵の両手をそっと握ってきた。恵は慣れないスキンシップに変な叫び声をあげるところだった。しかし彼の方はお構いなしに握って両手をゆらゆら揺さぶった。


「この前ね、たまたま花沢さんが弁当食べてるところ見かけてさ、すっげぇ可愛いって思ってたんだ。俺って、沢山食べる子が好きでさ~。料理は得意な方なんだけど、花沢さんみたいにモリモリ食べてくれる子がいないかってずっと探してたんだ!」


 これは告白なのでは? 恵は次々と繰り出される芹沢の褒め言葉に目を泳がせた。どうしよう、男子との春など自分には手の届かないイベントと思っていたが、存外神様は優しかったのかもしれない。


「………そう、お役に立てたのなら良かった」


「うんうん、でさ、これからも料理とかお菓子とか作るからさ、食べてくれない? 俺、花沢さんが食べるところもっと見たいなぁ」


「そ、そんなの悪いよ! 材料代とか勿体ないし!」


「あ、そんなこと気にしないで? 俺、親が金持ちだから全然気にしないし!」


 芹沢はそう言うと、恵の肩を軽く叩いて親指を立てた。駄目だ、この男は聞く耳を持っていない。このまま恵が首を縦に振らなけれな、教室にまで付いてくるだろう。まぁ食べることは大好きだし、クッキー以外にも芹沢が作る食事を食してみたい。


 恵はそっと芹沢から手を離すと、腰に手を当てて毅然とした態度を取った。


「好きにしなよ。持ってきてくれたら食べないことはないし」


「ほんと!? わかった、じゃあこれから一組にお邪魔するね!」


 芹沢が目を輝かせた瞬間、彼は二組にいる友人達から声をかけられた。お別れのときだ。彼は恵に手を振ると、駆け出そうとして一度振り返った。


「あ、自己紹介忘れてた! 改めて、俺は芹沢翔せりざわしょう! じゃっ!」


「………ゲリラ豪雨みたいな男子だな」


 恵は非日常的な出会いに、ふっと笑みを零すと一組に戻っていったのだった。





 




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