弟子にしてください

「サトシくん、出来たよ」

 明るく珈琲を持って来たオサムさんは笑顔で二人掛けの席へいざなった。


「どうも」

 装飾の無いマグカップに真っ黒な飲み物。どこまでも黒いものにいっそ吸い込まれたくなる。

 この淡い気持ちも気持ち悪い感情も全部このブラックホールに溶け込んでしまえばいいのに。


「サトシくんは好きな女の子いないの?」

 ゆっくり飲んでいた珈琲が気管に入った。


「あ、ごめん。大丈夫?」

 オサムさんは冷たいおしぼりを持ってきてくれた。


「そ、その。予想していなかったので」


「そういうのは早いか」

 困った顔をしないでオサムさんがする一挙手一投足に視線が向いてしまう。これは年上の同性に対して思う感情で疲れているせいで感情がおかしくなっているだけだ。



「いえ別に」


「いるの?」


「好きな人はあまり」


「僕ね、サトシくんの憧れている人、知っているよ」


「憧れですか?」

 心臓がバクバク言っている。好きな相手ではなく、憧れている相手。あなたです。


 もう分かったのですか。物静かなのに袖からのぞく腕は少し太いところ。かすかに香る制汗剤、仕事中にはけして外さないふちのきれいな眼鏡は知的さを倍増させた。金色の混ざった髪は地毛らしい。そういうところが、好き。いや憧れている。


「それで明日はどれくらいの時間になりそう?」


 逸らされた。どういうことだ。

 僕、今気持ち悪かったかな。

 何か変な仕草をしたかな、黙り過ぎたこと。

 目がウロウロしたかもしれない。

 とにかく取り繕って平静を保って冷静に。


「明日は十八時に終わるので、十九時には」


「それくらいならお家で食べられるね」

 明日はオサムさんと二人ではないのか。


「じゃ、今日はここでおしまい。早く片付けよう」


「オサムさん、僕。オサムさんの弟子になりたいです」

 これだ。これが模範解答だ。憧れての上位互換、弟子。


「ええと弟子というのは」


「服の着こなし」


「サトシくんは清潔感あるし、こちらが参考にしているよ」


「料理の技術」


「一人暮らししたら自然と身につくよ」


「頭がいいところ」


「今努力したら花開くよ」


「あと、その。いい匂いするなって」

 そういうところまで言う気はなかった。


「今度の休みを教えて、一緒にデパートに探しに行こう」


「いいんですか?」

 僕は嬉しくて詳細な約束やどこに行くかの取り決めをする前に荷物をまとめた。



「行きましょう。絶対に行きましょう」


「今はそれだけだよ。僕だって自分の物にしたいって思っても出来ないんだから」


「何のことですか?」


「子どものうちは教えてあげないよ」


「そのうち大人になりますから待っていてくださいね」

 何を待たせるのか。受け取り方をどうしたかは分からないけど、もし最悪な状況なら恥ずかしいことを聞いたし、一般的なものであれば楽しみにしておくよと言ってくれるだろう。



「期待している」


「はい! 分かりました」


「今、風切羽を切るわけにはいかないからね」


「かざ、きり」


「疲れている時はちゃんと寝る。おやすみなさい」

 外は涼しくて少し頭がスッとした。その時になってやっと詳細な約束をしていないことに思い至った。

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