マッサージ

南雲 皋

ようこそお越しくださいました

「ワンコインキャンペーンか……」


 帰りの電車に揺られながら確認したメールボックス。

 今まで利用したことのあるマッサージ店の系列なのか、キャンペーンのお知らせメールが届いていた。


 ワンコインで30分のマッサージが受けられるというタイトルに興味をそそられ、つい予約してしまったのが一週間前のこと。

 このところ営業先を回ることが多くて脚が限界を迎えていたので、このタイミングでマッサージが受けられるのはありがたかった。


 よくある雑居ビルの一室を利用したマッサージ店だった。

 インターホンを押すと、感じのいい女性が迎えてくれた。

 黒い髪を一つに括り、清潔感のあるメイク。マスクのせいで目元しか見えないけれど、こちらに微笑んでくれているのが分かるくらいに優しげな人だった。


「いらっしゃいませ、ようこそお越しくださいました。ご予約の成田なりた様ですね」

「はい、よろしくお願いします」

「わたくし、本日担当させていただきます田畑たばたと申します。よろしくお願いいたします。では、まずはこちらに簡単で構いませんのでご記入ください」


 渡された用紙には、名前や住所の記入欄と、前後から見た人の絵が描かれていて、今気になっている部分や症状を書く欄があった。

 一人掛けのソファに腰掛けて、両方のふくらはぎからつま先にかけて大きく丸をつけた。他にも、気になる部分を書き出していく。

 30分でどれだけのことをしてもらえるのかは分からないが、今後も通うかもしれないし出来るだけ記入しておこうと思ったのだった。


「ローズヒップティとカモミールティ、どちらがよろしいですか?」

「あ、カモミールでお願いします」

「かしこまりました」


 記入している間、田畑さんがお茶を淹れてくれた。カモミールのいい香りが部屋を包み、それだけでかなりリラックスできたような気がする。

 田畑さんに問診票を渡すと、目の前の小さなテーブルに置かれたカモミールティをいただいた。

 久しぶりに飲むカモミールティは少し独特の風味がして、この店のオリジナルブレンドなのかもしれないなと思った。


 私がお茶を飲んでいる間、田畑さんは問診票に目を通し、施術室を整えに行ったようだった。

 ゆっくりとお茶を堪能したタイミングで声を掛けられ、部屋に案内される。

 用意されていた施術着に着替えて、顔の部分に穴が空いているベッドにうつ伏せになった。


「それでは、始めさせていただきます。成田様は主に脚がお疲れとのことで、まずは下半身からほぐしていきますね。もし時間に余裕があれば、肩や首の方も少しマッサージしたいと思います」

「はい、助かります」


 タオルを掛けられて、田畑さんの手が触れる。

 そこからは、もう天国だった。


「あの、すごくいいです。お上手ですね」

「まぁ、ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです」


 お世辞でもなんでもなく、今までで受けたマッサージの中で一番気持ちが良かった。

 体重の掛け方、指の使い方、何もかもが理想通りで。


 自分で言うのもなんだけれど、私はかなり面倒くさい客だった。

 色々なマッサージ店に通いすぎて、生半可なマッサージでは満足できなくなってしまっていたのだ。

 この店は強さはいいけれど押してほしいところを押してくれないとか、この店はツボを押さえるのは上手いけどもっとゴリゴリやってほしいのにとか、そういう文句ばかり出てしまっていたのに。


 彼女には、それがなかった。

 私の考えていることが分かっているみたいに、今押してほしいところを押してほしい強さで刺激してくれる。


 ここに、通おう。

 絶対に彼女を指名して、全身を整えてもらおう。


「成田様のからだ、ほぐしがいがありますね。ずうっと触っていたいくらい」


 あまりの気持ちよさにうとうとしていた私の耳に、そんな言葉が聞こえた気がした。





「あの! すみません! 勝手に困るんですけど!」


 肩を揺すられて意識が浮上する。

 いつの間にか眠ってしまっていたらしい。慌てて起き上がると、困惑した顔の女性が立っていた。


「どうやって入ったんですか? 施術着まで!」

「え?」


 この人は何を言っているのだろう。

 訳が分からず、自分はここを予約してマッサージを受けていて、いつの間にか眠ってしまっただけだと説明した。


「田畑なんて、うちのスタッフにはいません!」


 キャンペーンのメールも、予約確認のメールも、このマッサージ店から送られたものではないという。


 それじゃあ、私は誰にマッサージをされていたの?


「問診票……!」


 最初に記入した問診票、それ自体はこのお店のものだった。

 けれど、私が書いたものはお店の問診票を保管しているところには入っていなかった。

 どこにも、見当たらなかった。


「住所も電話番号も全部書いちゃった……」


 その頃にはもう疑いの目から同情の眼差しに変わっていて、ここの店長だという女性は私に付き添って警察の対応をしてくれた。

 田畑さんはお店の監視カメラにしっかりと映っていて、私が何か罪に問われることはなかったけれど、私の個人情報が彼女に渡ってしまった件について、警察が何かしてくれることはなさそうだった。


 住所も変え、電話も変える羽目になり、マッサージを受ける前よりどっと疲れた私の脳裏に、あの日の彼女の手が思い出される。


「最悪」


 どのマッサージ店に行っても、彼女以上のマッサージを受けられることはなかった。

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マッサージ 南雲 皋 @nagumo-satsuki

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