第10話

 一呼吸置き「そして、その結果が今の状態です」と明は前の車のライトを見ながら喋った。


「卒業してからはフリーターで半年間バイトを続けてましたけど、流石に定職に付かないとまずいかってなって、塾講師になりました」

「教員にはなろうとしなかったんですか? 教師になるために大学に行ってたんですよね? その……動機みたいなものがあったのでは」

「教職に付くのに調べるのも、手続きするのもあれこれ説明するのも面倒くせー、ってなってしまって。一回説明して採用されればそれで終わりっていう考えで、楽な方を選んだんです。教師っていうのも安定して定年まで働けるし、世の役に立つ実感が一番感じるからというふわっとした理由で目指してただけです。駄目でも結局はそれほど後悔しないだけの熱意だったんですよね」

「事情を説明すれば何とかなったと思いますよ。親の死去で憔悴して手に何もつかなかったって」

「今思えばそうですね。もっともらしい理由を作れば良かったって。教員採用されるのに嘘を付いてはいけないって当時は考えてました」

「立崎先生も真面目ですね」

「昔は、です」


 数年前の青々しい思考を思い出し、明は笑った。


「だから、長谷部先生と話してて今、羨ましいなって思いました。車を持っていて、生活に対する経済的なストレスより仕事上のストレスに悩んでいるのが」


 嫉妬ではなく自身への純粋な劣等感。それを見せられるどころか叩きつけられたのだ。


「別に長谷部先生は悪くないのに、変に愚痴になってしまいすみません。……俺は、二年くらいしかいなかったもういない選手のユニフォームを着て、野球場に来て一人で応援しているようなもんなんです」


 長谷部先生は何かを言おうとしたが、何も言わなかった。

 こちらへと視線を一瞬だけ合わせ、すぐに前へと戻した。

 憐憫や同情でないその顔を見て、明は罪悪感のようなものを覚えた、気がした。


「昼間は私が。夜は立崎先生が生徒に教える。それで互いに頑張りましょうよ」


 抑揚を抑えた声で長谷部先生は続けた。


「教師としてだけではなく、大人として不自由なことは変えていきましょう。今度飲みに行きましょうか」


 その一言が嬉しく思えた。


「今からはどうですか?」


 朗らかな口調で明は答えた。

 長谷部先生は吹き出すようにして笑った。


「飲酒運転になっちゃうんで」


 それはそうだ、と明は気付いてつられて笑った。

 徐行から解かれた車が淀みなく進み出していた。間延びしていた道路も車内も終わったのだ。

 塾講師として、自分はまだ頑張れる気がした。


(終)

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教育者たちの放課後 頭飴 @atama_ame

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