風の声を持つもの【KAC20254】

冬野ゆな

第1話

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。

 布団から勢いよく飛び起きると、僕は9度目になる同じ行動をした。

 トリの降臨だ。


 僕は急いで部屋にある槍を持つと、部屋の真ん中に立ち、軽くジャンプをした。「オー・オオー、オー、オオー」と吼えるように声をあげながら、槍で床を打つ。今度は円を描くように歩く。頭の上で拍手をすると、今度は大きく片膝をあげる。片膝をあげるたびに、膝の下で手を叩く。そうしてぐるりと一周すると、再びジャンプ。「オー・オオー、オー、オオー」と吼えると、その場に座り込む。

 大きく両手を掲げるようにしてから、次に平伏の姿勢をとった。

「おお、偉大なるトゥオ・リィ! 風の声を持つものよ、神々の語り部よ!」


 こんなものを見られたら、僕はきっと頭がおかしくなったと思われる。

 でも僕はこの一連の儀式をしなければいけない。あの夢を見るたびにだ。たとえ現代日本のど真ん中だからといって、これをしなければ――この儀式を遂行しなければ――僕は死ぬ。

 トリと言っても、動物の鳥ではない。

 実際には「トゥオ・リィ」とか「トォ・リ」とかいう発音に近い。

  

 アマゾン奥地のアム・キュオーク族のもとへと向かったのは、9年ほど前のことだ。ゼミの石橋教授に連れられて、十数名が南米に向かった。

 アム・キュオーク族は十年ほど前に発見された古い部族で、十年近い歳月をかけて、ブラジルの国立アマゾン研究所の人々と交流を続けてきた。友好的な部族だったが警戒心は強く、彼らは根気強く交流を続けてきた。その甲斐あって、このたびゼミの石橋教授に集落への立ち入り許可が下りたのだ。

 ただし、実際にアム・キュオーク族の集落に入れることになったのは、僕を含めた数名に限定されたので、残った何人かは研究所で過ごすことになったが。


 彼らの集落は、川を船で下った先から更に密林に包まれた奥にあった。木材と巨大な葉の屋根で作られた簡素な住宅は、他の部族とそう変わるものではない。全裸で過ごす子供たちには物珍しい目で見られたが、交渉人の男はやはり友好的だった。

「やあ、これから世話になる。よろしく頼むよ」

「ハイ、ヨロシクオネガイシマス」

 教授の流ちょうな英語に、交渉人の男も、少しぎこちないがにこやかに英語で答えた。

 交渉人の男はタブといい、英語で会話ができるのは唯一、彼だけらしい。

 そうして、僕らの研究が始まったのだ。彼らの生活様式や文化、そして宗教。僕は慣れない密林での生活に大変な思いをしながらも、新鮮な日々を過ごした。青年たちに乞われて、英語を教えたりもした。

 だけど僕らが今回、ここへ来たのはとある儀式に参加するためでもあった。 

 それが、トゥオ・リィの儀式――つまりトリという名の神へ捧げられる儀式だった。

 

「トリはね、創世を伝える神なんだよ」

 石橋教授は僕らの前でそう言った。

「トリが彼らの最高神ってことですか?」

 いまいちぴんと来ない。

「いや、そうじゃない。あくまで創世の物語を伝える神だよ」

 教授は僕らに真剣な顔で言った。

「いいかい、彼らは年に一度の祭りで、トリに創世神話を捧げるんだ」

 創世の神話は宇宙開闢から、人間生活のはじまり、そして部族の対立や勃興、教訓めいたもの、擬人化された動物たち、そして「どこそこの沼には悪魔が住む」といったものまで多岐にわたっていた。

 それを「トリに満足するまで聞かせる」という体裁で、ほぼ一ヶ月近くに渡って、踊りや豪勢な食事を交えながら物語るのだ。

「おそらくだが、彼ら自身の神話や、民話を子供たちに聞かせて伝えるという行動そのものが、神聖な儀式になっていったんだろう。それがトリという神の正体ではないかな」


 だがいわゆる創世の神と違い、トリは単なる善神とも言い切れなかった。

 善神でもあり悪神でもあった。

 それは、トリの飽くなき欲求のためだ。

 

「トリはその特性上、物語を求める神だとも考えられた。それが、トリの夢だ」

 トリに気に入られた者は、夢の中で宣告をされるという。

 選ばれた者は、トリに物語を捧げなければならない。

 それは創作でも、体験したことでも、とにかくなんでもいい。

 だが、無視したり、満足させられなければ――死ぬというのだ。

 これは明らかに悪神としての側面があるのだろう。

「一ヶ月近くにわたる祭りは、神話を伝えるのと同時に、トリの欲求を宥めすかして満足させるための儀式とも言えるだろうね。物語を捧げることができなければ死ぬというのは、後世に自分たちの成り立ちを伝える役目ができない、つまり部族を構成する人間として失格ということじゃないかな」


 するうちに、儀式の最初の日が近づいてきた。

 多くの動物たちや植物が持ち込まれ、男たちが解体した肉を、女たちが手早く調理していく。火がたかれ、着飾った男たちが槍を手にジャンプをしながら中心へと集まり、吼え声をあげる。

「オー・オオー、オー、オオー」

 祭りのはじまりだ。円を描くようにジャンプし始める。槍を持たないものは、頭の上で拍手をすると、片膝を大きくあげながら、その下でも手を叩く。ぐるぐると火の周りを一周して踊りが終わると、今度は再び吼えながらジャンプをした。

「オー・オオー、オー、オオー」

 中央に座った長老が、手を大きく広げる。

「おお、偉大なるトゥオ・リィ! 風の声を持つものよ、神々の語り部よ!」

 そうして、宇宙開闢の物語が始まった。


 その一ヶ月の間の出来事は、僕らにとってずいぶんと新鮮な出来事となった。

 毎日のように踊り狂いながら、途切れることなく料理が振る舞われ、その間、交代しながら語り部たちが宇宙開闢からこの世界ができるまでの話を続ける。これは、思った以上に疲弊する。

 しかもトゥオ・リィのために、自分たちの経験を物語として面白おかしく語ることもあった。

 猿に食糧を奪われた話。隣の部族と一触即発になった話。新たな友人たちと出会った話――。

 僕たちがそろそろ飽きてきた頃に、タブと教授が笑いながら話しているのを見た。


「どうだい、きみたちも一席。トゥオ・リィに捧げる話だよ」

 教授はどういうわけか日本語で言った。

「なんでもいいんですか?」

「ああ、そうらしい。落語でも民話でも、話してみるといい」

「僕、彼らの言葉なんて話せませんよ!」

「俺もです。英語はともかく、ちょっと自信無いですね」

「いやいや。トゥオ・リィはどんな言葉でも理解するらしいからね。英語でもいいし、日本語でもいい。ただしなるべく、ここにいる人々の知らない話にしようじゃないか。誰も知らない面白い話で頼むよ」

 教授はにやりと笑った。

「トゥオ・リィに気に入られたらどうなるか見てみたいからね」

 教授は下手なウィンクをする。

 なるほど。

 わざと気に入られようというわけか。

「それじゃあ桃太郎は私が話すから、きみたちは別の話にしなさい」

 しかも先んじてそんなことを言い出したので、僕らは笑ってしまった。

「教授がそうするなら、浦島太郎でもいいですかね」

「じゃあ、俺はここに来る前にやったゲームのストーリー話すわ」

「それ、ロボットものだろ」

「ここに来てからのことでもいいのかな?」

 

 なんでもいいと言われると、途端に思い浮かばない。

 僕は散々迷った末に、その場で適当な話をでっちあげることにした。

 せっかくなら、誰も話してない話を語ってやろうじゃないか。ここで作った適当な話だ。

 そんな風に、僕らはおのおの話して聞かせた。

 とはいえ、ほとんどは日本語や英語で話したせいか、反応は芳しくなかった。

 それでも身振り手振りを交えて、彼らの言語も少しだけ交えると、歓声と拍手があがった。


 僕は一席終えたあとに、拍手をしていたタブのところへと行った。

「ところで、トゥオ・リィはなぜ、物語が無いとその人を殺してくるのですか?」

 疑問を投げかける。

「人ハ、物語ソノモノデス。人生、生キ様、経験。……ソウシタもの、カワリニタベル」

 そうなのか?

 例えば僕の人生なんて平凡なものだ。いまのご時世に大学まで出してもらえる時点で少しは恵まれているかもしれないが、かといって研究者になれるほどじゃない。ごく普通よりは少し上、くらいだ。かといって、大会社の御曹司ほどじゃない。ありふれた人生のうちの一人だ。

「トコロデ、サッキノ話ハ、本当ノ事デスカ?」

「いや、実は適当にでっちあげたんだよ。創作でもいいって聞いたからね」

 そう言った途端、タブの顔が少しだけ曇った。

「キヲツケテ。とぅお・りぃノ知ラナイ物語、とぅお・りぃヲ惹キツケル……。」


 三ヶ月にわたる研究が終わると、僕らは日本に凱旋した。

 久々の日本は、逆に何もかもが新鮮に思えた。なにしろコンビニ店員から駅のインフォメーションまでが気遣いに溢れている。なんてことのない日常が感動に溢れた。コンビニ店員が「ありがとうございましたぁ」とビニール袋の手持ちの部分を差し出してくれることに感動すら覚えた。

 しかしそんな感動も薄れ、一年もした頃、僕らは奇妙な夢を見た。

 奇妙な鳥のようなものが現れる夢だった。巨大な翼を持っているが、ただの鳥とも思えなかった。巨大な目で見下ろされる夢――。そいつは何かを待っているようだった。

 風の声がする。

 そのなかで、聞こえる。


 物語を、捧げよ。

 

 僕は何か熱に浮かされたように、喋った。まるであの部族の人々に再会したような気分だったからだ。南米から帰って最初に乗った東京の電車で、「空港をご利用のお客様はお疲れ様でした。どうぞこの先もお気をつけて――」と流れた声に感動した話だ。何しろ海外では誰しもが適当で、コンビニの袋を投げ渡されたこともあったからだ。しかしもう一年も経つと、そんなことが日常になってしまって受け入れてしまっている――そんな事を話した。

 起きた時には、喋り疲れたような妙な感覚に陥っていた。


 妙な夢だな、と思った。

 そういえばアム・キュオーク族のところから帰ってきてそろそろ一年が経つかな、と思った。だからそんな夢も見たのだろう。

 そういえば、なぜあれがアム・キュオーク族の――トゥオ・リィだなどと思ったんだろう。僕はぼんやりとそんなことを考えながら、大学へと向かった。ずっとこんな研究をしているから夢も見るんだろうと思った。

 ――大学で、ゼミ生が死んでいることを聞かされるまでは。


 唐突だった。

 部屋の中で、心臓をかきむしるようにして死んでいたらしい。置いてあった漫画をどうにか短いストーリーに書き直そうとした謎の形跡があったとも言われている。僕らはぞっとした。もしかして――普段聞かないような話をしたから、トゥオ・リィに気に入られたんじゃないか?

 だから、トゥオ・リィがやってきたんじゃないか?

 遠い海を越え、物語を捧げよと――。

 その結論に至ったのは、死んだのがゼミ生一人だけじゃないからだ。

 教授も死んだ。

「アム・キュオーク族のトリのように、物語をせがんでくる存在を夢で視たんだよ」

 そう言って笑っていた。

 ゼミ生は結局、それから三人死んだ。

 僕らのゼミは教授が死んだことで解散になり、それぞれ違うゼミにむりやり詰め込まれた。他の教授たちはこの「悲劇」に対して優しく接してくれたが、僕らはそれどころではなかった。

 

「トゥオ・リィに物語を話す前に目覚めれば、大丈夫なんじゃないか?」

 そう言っていた友人は、結局死んだ。


 それから毎年。

 儀式の季節になると、まるで狙い澄ましたようにトゥオ・リィはやってくる。

 僕は必死になって、一年かけて考えたり、思い出したりしたことを――起きてからトゥオ・リィに捧げる。時には、趣味で漫画を描いている友人に頼み込んで新しい話を作ってもらったこともある。もしも新しい物語を捧げられなくなったら、どうなるのだろう。

 それから九年が経ったいまも、僕はあの夢に悩まされている。

 

 僕ももうあのときとは違う。

 妻もいて、子供もいる。いまはまだいいが、子供が大きくなったら、僕の奇行に気付くだろう。

 トゥオ・リィはいまもやってくる。


 僕はようやく物語を捧げ終えると、槍を置いてふらふらと部屋を出た。

 キッチンでは妻が朝食の用意をしていた。五歳になる息子が、何か言っている。お気に入りの玩具を片手に、何か妻に向かって喋っていた。

「それでね、僕がレンジャーソードで、ダイアーク将軍をおさえて、「いまだ!」って叫んだんだよ! そしたらレンジャーレッドが……」

 妻ははいはい、と適当に流しながらキッチンで調理をしている。

「おはよう、朝からレンジャーごっこかい?」

「うん。トリさんにも教えてあげたんだよ!」

 ぎくり、とした。

「その、トリさんっていうのは……」

「夢に出てきたんだよ。大きな鳥さんみたいだった。お話を聞きたいっていうから教えてあげたんだ」

「な――」

 僕は途端に冷たいものが走るのを感じた。

「……トリさんはなんて言ってた?」

「トリさんはね、凄いんだよ。桃太郎も浦島太郎も知ってたよ」

「それで?」

「だから、僕がレンジャーレッドと一緒に戦う話をしてあげたんだ」

「他には。他にはなんて?」

「面白かったから、また来るって!」

 僕は膝をつき、息子を抱きしめた。

 妻が不思議そうな顔で僕を見ている。

「パパ、苦しいよ!」

 息子のいやがる声も、耳には入らなかった。

 

 ――おお、偉大なるトゥオ・リィ!

 風の声を持つものよ、神々の語り部よ!

 どうか我らを赦し給え、赦し給え――。

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