【短編小説】最後の型 —月下の剣客と呪われた舞踏—

藍埜佑(あいのたすく)

【短編小説】最後の型 —月下の剣客と呪われた舞踏—

 薄暗い資料室の片隅、埃まみれの棚の最奥から取り出した古文書を、私は震える手で広げた。それは江戸末期、幕末の動乱期に「天下無双」と称された伝説の剣豪・蒼井尚斎に関する記録だった。歴史研究を専攻する大学院生として、私は蒼井尚斎の真実に迫ろうとしていた。歴史の教科書には載らない、伝説と化した剣豪の素顔を知りたいと思っていた。


「やはりここにも『月光舞踏』の記述がある……」


 私は小声でつぶやいた。これで5つ目だ。複数の古文書に共通して現れる「月光舞踏」という謎めいた言葉。蒼井尚斎が敵を前にして舞ったとされる奇妙な踊り。それは戦いの前の儀式だったのか、それとも戦闘技術の一つだったのか。


「剣客が、なぜダンスを?」


 疑問は深まるばかりだった。


 私が所属する大学の名誉教授・安田先生から、蒼井家の末裔が古い屋敷を整理した際に発見された品々が大学に寄贈されたという連絡があったのは、その翌日のことだった。


「蒼井尚斎の遺品と思われるものもある。君の研究に役立つかもしれないね」


 研究室に運び込まれた木箱の中には、古い書物や巻物、折れた刀の破片、そして古びた布団が収められていた。布団? なぜ布団が? 私は不思議に思いながらも、丁寧にそれを広げてみた。


 すると布団の中から一巻の巻物が現れた。「月光舞踏の極意」と題された巻物。私の心臓は高鳴った。


 巻物には、月明かりの下で行う特殊な舞踏の型が図解されていた。詳細な足運びや手の動き、呼吸法まで記されている。そして最後のページには、こう記されていた。


「此の舞、月の魔力を身に宿し、刀を天下無双の業にせん」


 私は興奮を抑えきれず、安田先生に報告した。


「これは重大発見です! 蒼井尚斎が『天下無双』と呼ばれた理由が、この特殊なダンスにあったということでしょうか?」


 安田先生は眉をひそめた。


「いや、話はそう単純ではないようだ。この巻物、よく見てごらん。筆跡が蒼井尚斎のものではない。彼の師と言われる霧隠玄斎のものだ」


 私は混乱した。歴史書には、霧隠玄斎は蒼井尚斎の師であり、神秘的な技を持つ剣客だったと記されているが、詳細はほとんど知られていない。


「それに」先生は続けた。「この布団にも謎がある。布団の縫い目を見てごらん」


 よく見ると、布団の裏地には微かな模様が縫い込まれていた。月と星と……踊る人影?


「これは月光舞踏の動きを示す暗号かもしれません」


 安田先生は静かにうなずいた。


「君の推測は正しいかもしれない。だが、もう一つ見落としている重要な点がある。布団の中から出てきた巻物は、なぜ布団に隠されていたのか?」


 その問いかけは、私を深い考察へと導いた。隠す必要があったのは、その内容が秘伝だったからか、それとも危険だったからか?


 私は翌日から、蒼井尚斎が生きた時代の史料をさらに詳しく調査し始めた。そして驚くべき事実に行き当たった。蒼井尚斎の最期に関する記録だ。彼は戦いで命を落としたのではなく、奇妙な踊りを舞っているうちに狂ったようにという。


 その夜、私は研究室に残って布団と巻物をさらに調査した。布団の縫い目をほどくと、内側から微かな銀色の粉が落ちてきた。顕微鏡で見ると、それは銀の微粒子だった。巻物にも同じ粉が付着している。


 そして巻物をさらに注意深く読むと、月光舞踏の真の目的が明らかになってきた。それは人間の体に月の力を宿らせる儀式であり、その力を剣に移すための手段だったのだ。


「月に魅入られし者は、刀に魂を与えん」


 巻物のこの一節が、全てを説明していた。


 私は布団を元に戻そうとして、底に何かが書かれていることに気づいた。かすれた筆跡でこう書かれていた。


「我が弟子・尚斎への戒め。月光舞踏は最後まで舞うことなかれ。最後の舞は、魂を刀に譲り渡す時」


 霧隠玄斎の署名があった。


 突然、私の頭に恐ろしい考えが浮かんだ。もし、蒼井尚斎の刀が「天下無双」と呼ばれたのは、その刀に魂が宿っていたからだとしたら? そして彼の最期は、自殺ではなく、その刀に魂を奪われたのだとしたら?


 私は震える手で破片となった刀を取り上げた。月明かりが差し込む窓辺に立ち、思わずその動きを真似てみた。巻物に描かれた月光舞踏の最初の型。


 すると不思議なことに、体が勝手に動き始めた。次の型、そしてその次の型へと。


「何が起きているんだ……!」


 私は恐怖に駆られながらも、止められない。体が月明かりを浴びるたび、刀の破片が微かに輝きを増していく。


 そのとき、刀の破片から声が聞こえたような気がした。


「いいぞ……舞え、……」


 私は必死に抵抗した。巻物の警告を思い出し、舞踏を中断しようとした。しかし体は言うことを聞かない。あと三つの型で完成する。二つ、一つ……


 そのとき、突然部屋の電気がついた。安田先生が立っていた。


「危ない! その刀を離せ!」


 先生の叫び声で我に返り、私は全力で刀の破片を投げ捨てた。それは床に落ち、不気味な音を立てた。


「君はあやうく最後の型まで舞うところだった」


 先生は額の汗をぬぐった。


「危ないところだった……」


 安田先生は説明した。蒼井尚斎の剣が「天下無双」と呼ばれたのは、その剣に師である霧隠玄斎の魂が宿っていたからだという。霧隠は自ら命を絶ち、月光舞踏を通じて己の魂を愛刀に移した。そして弟子の尚斎にその刀を託した。しかし尚斎もまた、知らずに月光舞踏の最後の型を舞ってしまい、今度は彼の魂が刀に吸い込まれてしまった。


「この刀は持ち主の魂を喰らい、次々と強くなっていく」先生は言った。「蒼井尚斎が最後に自害したように見えたのは、実は刀が彼の魂を奪い取る瞬間だったんだ」


 私は震えが止まらなかった。


「でも、なぜこんな恐ろしい秘密を、布団に隠したのでしょう?」


 安田先生は微笑んだ。


「それは霧隠玄斎の最後の慈悲だよ。彼は自分の過ちに気づき、後世の者が同じ過ちを犯さないよう警告を残した。そして、その警告を最も安全な場所——人が休む布団の中に隠したんだ」


 先生は窓から差し込む月光を見つめた。


「月光舞踏の力は、月の魔力と人間の意識的な動きが結びついて初めて刀に力を与える。だが布団の中は、古来より人の魂を守る結界のような場所とされてきた。月の光が遮られ、人が意識を手放し、体が静かに横たわる場所。それはだ。さらに」


 先生は布団の縫い目を指差した。


「よく見ると、この布団には守りの印が縫い込まれている。霧隠玄斎は布団そのものを魂を守るための道具として仕立て上げたんだ。銀の粉を混ぜ込んだのも、月の力を反射して魔力の侵入を防ぐためだろう」


 刀の破片は大学の金庫に厳重に保管された。私の研究テーマは「江戸時代における剣術と民間信仰の関係」へと変わった。


 しかし時々、満月の夜になると、私は体が勝手に動き出すような、不思議な衝動を感じることがある。そんなとき、私は安田先生から譲り受けた古い布団を広げ、その上で静かに眠りにつく。


 布団の中では、どんな魔力も私を襲うことはない。そして私は夢の中で、あの「天下無双」と恐れられた刀が、ただ一つだけ願っていることを知っている。


「舞え、最後まで舞え。そうすれば、私も、お前も、永遠の舞踏の中で解放される……」


 だが私は決して応えない。伝説の剣豪たちが命を賭けて守ろうとした秘密を、私もまた守り通すと決めたのだから。

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