転生巫女の俺だが眷属と粘着者からBLに巻き込まれそう
鱗青
第1話 命九つ擲(なげう)つ覚悟
あの夢を見たのは、これで9回目だった。
───しゃりん。
闇の中、眩しいほどに色白な細い
───しゃりん。
刺繍も何もない、簡素な絹の
───しゃりん。
白桃の肌、栗色に近い流れる金髪。ヘーゼルの瞳の息を呑むような美少女が、巨石を組まれた神殿の闇の帷の下で舞っている。
一匹の黒猫が、ふと神殿の柱から顔を覗かせて高く鳴いた。少女は動きを止める。
「こんな
低い笑いと共に闇の中に現れたのは、重々しい甲冑の偉丈夫だった。木端の兵ではなく、戴く兜には将兵らしい
少女は男を見るや、軽蔑をまぶした微笑みを浮かべた。
「この
ほほほほ…と嘲り笑う少女に、柱の陰から猫が追従するように鳴く。
将士はかっと顔を赤くし、甲冑をガチャガチャいわせながら一気に距離を詰めた。
「強がるな巫女よ。貴様らは我ら偉大なるスパルタに負けたのだっ。この上は潔く我らが虜囚となれい」
「
疑問符にたっぷり拍を置いて、少女は自分より頭三つほど高い将士を
「
ぶつんと将士の堪忍袋の
獣欲を満たすべく、まさに獣のごとき咆哮をあげて少女を押し倒し、強引に股を開かせて
にゃぉぉぉん。
黒猫が将士の顔面に飛びかかり、死に物狂いで爪を立てた。
将士は堪らず「ぐおっ」と唸り黒猫を払い落とし、顔を押さえて立ち上がる。既に誰かの血と脂で汚れた指の隙間から、将士自身の鮮やかな色の血液が滴り落ちた。
「パエトーン!」
少女から名を呼ばれた黒猫は、主人を護るが如く四肢を踏ん張って毛を逆立てる。
「こっこの、忌々しい四つ足め…」
将士は獣欲を邪魔された憤怒に剣を抜いた。黒猫の威嚇の鳴き声が一層高くなる。
「いいだろう。貴様の命に免じて主人は助けてやる。───ただし」
諸刃の大剣が高く構えられる。将士の腕が筋肉で膨らみ、青筋が走る。
「一生、この俺専属の娼婦としてなぁっ」
銀の軌道が闇を切り裂いた。
一瞬遅れて、そこに血飛沫が飛び散った。
剣を振り下ろした将士が驚きに凝固する。
将士が斬ったのは黒猫ではなく、両手を広げ彼の前に立ちはだかった少女であった。羅の衣ごと胸から腹にかけてざっくりと切り裂かれ、真紅の噴水の彫像と化したカサンドラその人…
「パエ…トーン…お逃げ…」
冷たい石の床に生温かな血溜まりが広がってゆく。ゆっくりと斃れる彼女に寄り添い、黒猫は悲痛な鳴き声を上げた。
目論見が外れた将士の怒りに任せた剣が再び、ぶん、と振り回される。黒猫の鳴き声もまた、途絶えたのであった…
「───って感じ。どう思うよ?」
「いや、どうって言われても…」
ずずごごご、とシェイクを啜りながら俺の前に座る
平日昼間。蒲田駅から歩いて十五分、繁華街にあるハンバーガーチェーンのイートインスペースは、俺達都立
その賑やかさの中にあって俺達のテーブルだけまるでお
「お前が話せっつったんだろ?ひとの夢の話に興味津々でよぉ」
「いやいやいやいやいや、そんな血生臭くて深刻な内容だとは思わねーじゃん?お前こそ空気読んで明るい話をしろよ、嘘でもいいんだから。馬鹿正直に話してんじゃねえよ」
バカで悪かったな、と俺はダブルバーガーにかぶりつく。
「しかもなんだ、お前のその視点?
言ってて可笑しくなったのか、今度は机を叩いて笑い出す。
「お前と真逆なキャラじゃねぇか。ぎゃははっ。コレ他の
「やめとけ。命が惜しいならな」
ツボに入ったらしく、腹を押さえて身を捩る小田に俺は冷たい視線を送る。
鏡を見るまでもない。俺、
ついた渾名が『コメダワラ』。名前をもじりつつ、米俵を担ぎ上げる力士みたいだという印象を言い表せている。思いついた奴は中々センスがあると思う。それは自分だと手を挙げてきたらその場でぶん殴るだろうが。
「随分チョーシ良さそうじゃないか、コメダワラに小田。僕には分からないけど、中間試験の追試はそんなに楽しいのかな?」
「
俺達に気さくに声を掛けてきたのは、肩に学生鞄と竹刀の袋を提げているちょっと濃い目の顔立ちでアシンメトリな髪型の
そしてこいつ、中坊からなぜかしつっこく俺に絡んでくる。殴り合いの喧嘩になったのも一度や二度ではない。まさか工業高校にまでついてくるとは思わなかった。なにせ奉岩の成績なら日比谷高校とか三田高校とか、東大ストレートコースの学校がよりどりみどりな筈なのだ。なんだってロッコーみたいな二郎系、もとい二流の高校など選んだのやら。
「ちょっと気になる噂があってね。この辺で違法薬物を学生に
俺は一気にハンバーガーをガブガブっと食い終えた。
「まさかとは思うが、コメダワラはそんなものに心当たりは…」
「無いにきまってんだろっ。俺ぁな、ヤクやら反社やらはポリシーじゃねんだよ」
行くぞ、と小田を促して席を立つ。
「おい!少しは僕の話を」
「痛くもねえ腹を探られて飯が不味くなった。俺に関わるんじゃねえ」
取り巻きごと通り抜けようとした俺の鞄の紐を奉岩がガッシと掴んだ。さすが常日頃から竹刀を握って鍛えているだけあって、軽く掴んでいるだけなのに引っ張ってもビクともしない。
「──僕はね、コメダワラ、君の事をこれでも買ってるんだ。中学の頃から運動万能で、今だって選択体育の授業でインターハイ選手の柔道部員を投げ飛ばしてるそうじゃないか?そうだ、この際君もそこの小田君と一緒に剣道部に入れよ。なんなら勉強も見てあげよう。毎回のように追試に補講よりは効率が良くなると思うけど?」
「勘弁しろよ。そういうのは、てめぇの
俺は背負い投げの要領で紐を引っ張った。バチ、と音を立てて奉岩の手から紐が離れると、鼻を鳴らして足早に去る。
悪いね、コイツこーゆー奴だからさ、諦めなよ…などとフォローしている小田を無視して外に出た。この辺はエロ関連の店も多く、舗装された当初はパステルカラーだった煉瓦歩道もひっきりなしの酔っ払いどもの吐瀉物を浴びてすっかり褪色しているが、そんな地面の上の五月の空は気持ちの良い快晴だ。
さてどうしよう、ゲーセン…っていう気分でもないな。バッティングにでも行って体を動かしてスッキリするか?
見上げた俺の耳に、高く小さい悲鳴が飛び込んできた。
ヒョイと裏路地に顔を突っ込んだ。ビル壁に追い詰められた褐色の肌の少女が、どう見てもまだ十代のデブ・ヒョロ・ガリの野郎三人組に絡まれている。
「この辺じゃ見ない顔だな」
「どうせ不法入国なんだろ?」
「いくらでもいいから出せって。な?可愛い顔に傷ついたら損だろ?」
あー、クソ。ひとが気分悪いときに限って、こういう連中が湧いてやがる。
「おーい、そこのカスども。募金の強制は犯罪だぞー」
三人が俺を見てギョッとする。
「な、なんだアンタ。コイツの知り合いか?」
「一人じゃねえか」
「カッコつけてんじゃねえぞオッサン。ボコられたいんかっ」
はじめの二人までは冷静に聞き流せた。
だが最後の一人が俺に火をつけた。
「…が……だ」
「ああ?ンだよオッサン、よく聞こえねえぞ」
首をゆらゆら左右に揺らしながら精一杯の凶悪
「制服見えねえのかアホンダラっ。誰がオッサンだぁッ」
防御も取れずまともに喰らい、ヒョロは他の二人を巻き込んで後ろに吹っ飛ぶ。おでこの周りにピヨピヨとヒヨコの幻影を飛ばしながら気絶したヒョロの下でデブとガリがもがいているのを尻目に、俺は少女の手を取って裏道を離れた。
警察は呼ばなくてもいいだろう。むしろあんなチンピラに逆恨みされて付きまとわれる方が面倒だ。
「どうせフィリピンかインドネシアあたりの観光客なんだろ?この辺りは東京でも昔から治安の悪い地域なんだ。ポヤポヤしてっととっ捕まってさっきみたいな目に遭う。気をつけるこったな」
それにしても細い手首だな。引っ張っても抵抗力を感じるほど体重も感じない。きちんと食えてんのか?
「ア…アノ…」
人通りの多い場所へ走る。駅前から伸びる大きな道路ならああいうチャラカスも出まい。
「ソノ…チョット…」
そういや小田を置いてきてしまった。ま、いいか。事情を説明すれば納得するだろう。
「Hey!Stop moving and listen to me!」
センテンスを区切らない滑らかな発音とともに、細い腕が俺の手を振り払った。
俺達はもう蒲田駅の駅舎が見える大通りに来ていた。気を緩めてもいい頃合いか…
「日本語が分かるか?家族…あー、ペアレンツ?ホーム、じゃなくてホテルか?とにかく帰れ。もう
俺は改めて相手を見下ろした。相手もまた、溢れそうに大きな緑の瞳で見つめ返してきた。
「───?お前、男…なのか?」
年齢は十四くらいだろうか。東南アジアというよりインド系のような彫りの深い顔立ちだ。秀でた額に柔らかに弧を描く眉。鼻筋が高く唇は小さくぽってりしている。なで肩までかかる黒髪は艶のあるストレートで、なよやかな手足も相まって中性的な美しさを醸し出している…
───しゃりん。
見つめ合うと頭の芯がぼうっと痺れ、なぜか鈴の
「ハイ…ボク、男の子デス」
日本語の問いの意味を理解して相手は頷いた。そしてさも嬉しげに笑った。
うっ、と思わず声が出た。それは俺でさえ太陽を浴びて朝露に輝く花のようなと言いたくなる、本当に心から可愛らしさを覚える表情だったのだ。
「ちー、惜しいなあ。女の子ならナンパしたくなる感じなんだけどよ」
「…?ナンパ?」
「なんでもねぇ。ま、気をつけて帰んな」
くるりと踵を返した俺だが、ガクンと後ろにバランスを崩した。俺が助けた相手が学ランの背中を引っ掴んで引っ張っていた。
「アノ、アナタ、ボク…I’ve sought you for long time,my highness。Thanks for great Apollo」
「んぁ?な、何だって?」
「コイツ、コメダワラのことずっと探してた、だってよ」
謎の外国美少年の頭の上に小田の顔が現れた。
「いきなし消えるからびくったぜ。この子、コメダワラの何なワケ?」
「知らねえよっ。さっき不良に絡まれてたのを助けただけで、初対面なんだぜ」
今度はフルフルと瞼を震わし、泣きそうな雰囲気を出した。俺はどうしたらいいか分からず小田に通訳を頼む。小田は子供の頃英会話教室に通っていたそうで、日常会話ならまず不便はないという英語力なのだ。
「まあ落ち着けよ。こういう時はスマフォの翻訳アプリが使い勝手良くってさ…」
俺たちの会話を聞いていた美少年、急にズボンのポケットをゴソゴソやって、年季の入った画面がバキバキのスマフォを取り出してどこかに電話をかけ始めた。
そしてまた英語で喋る。通話をスピーカーモードにしてこちらに向けた。
『お〜大國かぁ?何だあ、先にパエトーン君と出逢うなんて、運命的だなあ』
俺は我が耳を疑った。それは、ひび割れたスマフォから発されたのは、俺の父親の声だった。
『お前には事前に説明してなかったけどなあ、今日からその子、ウチで預かるから。弟ができたと思って、虐めないで可愛がるんだぞ』
青天の
確かに真っ青に雲一つなく晴れた空に、白金の竜がごとき雷が立つことは稀だ。
「いやしかし、こりゃ霹靂どころか核ミサイル並みだろ…」
俺は自宅のリビングのソファで頭を抱えた。
そんな俺の前で、楽しそうにちびちびとコーラを飲んでいる黒髪緑眼の少年──何も説明されなければ、胸部の発達が未熟な女の子でも通用するだろう外見だ──は、名前をパエトーンと言った。苗字は小難しいので憶えなくていい、どうせウチの養子になるのだからという父親の台詞を思い出し、俺はまた深く溜息をつく。
俺の父親はあまり日本では名前が知られていないが海外では有名な考古学者だ。最近トルコだか何とかスタンだか、あの辺のマイナーな国で仕事をして長期間家を留守にしている。
まあ、それはいつもの事だから良いとして…
物心ついた時から滅多に家に長居しない父だった。たまに珍しい物品を土産にするくらいで、家庭人としてはいい加減な男の見本。母親はそんな父を愛想を尽かさず支えていたのだが、俺が中学三年の冬に交通事故で亡くなった。…まあ、そのショックやら煩雑な手続きやらがあって、俺は工業高校(しかも割と底辺に近い)に進学するハメになったのだ。
「今回の
パエトーンは、ん?どうかしたの?と言いたげに小首を傾げる。
幸い英語は喋れるし、日本語も親父と過ごした数週間で簡単な文法は身につけるくらい地頭が良いらしい。性格も穏やかで、どちらかといえばとっつきにくい面相の俺にも懐っこい笑顔をむけてくる。食事も習慣も、宗教による制限はないという…
「だからって、俺が大抵の面倒見ることになんだからよ…先にメールくらい打っとけってんだよ、クソ親父っ」
コーラを飲みきったパエトーンが、とてて、と俺の隣に来て座る。
そして下からじっと俺を見上げてきた。
「別に怒ってねえよ。お前は悪くない。悪いのは全部、あのクソでだらしなくて考古学バカな親父だ」
ふわりと微笑む。俺はなんとなく胸の中がくすぐったくて、照れ隠しにパエトーンの頭に手を乗せた。髪がなんとも触り心地が良く、まるでペットを撫でているような気分になる…
───しゃりん。
またあの鈴の音だ。しかも現実に、鼓膜にはっきりと空気の振動が伝わってきた。
見回すが、家の中にそんな音を立てるものは何一つない。俺は変な気分になりながら、パエトーンに家の中と設備を説明するために立ち上がった。
それから俺が作ったカレーを二人で食べ、片付けを手伝いたがるので一緒に食器を洗い、風呂にも入った。この時も、パエトーンの身体のあまりに美しい曲線と肌の輝きに
ベッドは高校生になってからはダブルサイズにしてあり、おかげで二人で横に並んでも窮屈ではない。
パエトーンはパジャマもなく俺と同じく下着姿で、俺の背中にピッタリ体をくっつけるとすぐに寝息を立てた。
風呂の時のように一部分がすこぶる元気になった挙句、理性を失ったらどうしようかという心配は杞憂に終わった(何とか堪えた、という言い方もできる)。
意を決して寝返りを打った俺が見たのは、パエトーンの幼く安心しきった幸福な寝顔だったから。こんなに無防備な相手に悪さをするのはさすがに気が咎める。
(弟…には可愛すぎるけどな…)
起こさないよう気をつけて、そっとつむじあたりに手を置いた。鼻先からうにゅふふん…と甘えた音を出すパエトーンに、俺は生まれて初めて胸が「きゅん♡」と鳴るのを聞いた。
その夜は、
次の日、まだ中学とかに編入する手続きが何もできていないのだからと説明し、付いてきたがるパエトーンを家に残して俺はいつも通り登校した。
いつも通りでないのは、クラスに着いた途端に男子(女子は二人しかいない)全員に取り囲まれた点だ。
「コメダワラちゃん、抜け駆けかよおっ」
「俺らモテない系男子の星が!あろうことか」
「なんで知らせてくんねぇんだよ?そーいうのはLINEグループで回せってぇ」
押し寄せるクラスメイトから、嫉妬、羨望、茶化しの入った台詞の数々が俺に降り注がれる。
「はぁぁ?待てよお前ら、何のこと言ってんだ?」
「いや、だって小田の奴が…」
男子の一人が指差した先で、小田が眼鏡をクイとずり上げた。
「昨日から見目麗しい
「…お前、ぶっ殺されたいのか」
もう二、三言文句をつけようとしたのだが、クラスメイトに阻まれた。それから一日中、休み時間も昼休みも質問攻めにあった。いつもは俺の存在を敬して遠ざけるばかりだった女子ですら、他クラスの者まで俺の机の前に来てなんやかやと尋ねてきた。
小田曰く、
「コメダワラ、
だそうだ。当然、俺は小田の坊主頭に鉄拳を叩っこんでやった。
放課後はそそくさと帰り支度をし、まるで刺客に狙われた時代劇の主人公のように通学路ではなく裏道を通って下校する事にした。
一旦学校を離れてしまえば、気を抜いても構わないだろう。人の噂も七十五日だ、しばらく逃げ続ければ同級生の野郎ども(も女子)も飽きるはず───そう思ったのが命取りだった。
同級生に会わないようビール瓶の箱やらプロパン容器やらが積まれた飲屋街の裏通りを歩いていたら、
「オッサン、昨日は世話になったな」
どこかで聞いた事のある声の後に後頭部をしたたか打ち据えられた。
気絶した時間は僅かなものだったろうが──
浮遊感と手首の痛みに正気に戻ると、あちこちの雨漏り穴から光の筋が差し込むどこかの廃倉庫の壁に俺は両手を縛られたまま吊るされていた。
首筋から肩のあたりが妙に痒いと思ったら、後頭部から流れた血で濡れていた。出血自体は既に止まっているみたいだが、頭に衝撃を受けているせいか事態が飲み込めない。
思い出せ。何があった…?
「おい、ンで目ぇつぶってんだよ起きろっ」
顔に冷水…いやペットボトルの水を浴びせかけられた。
完全に目が覚めた。顔をブルブルやって周囲をしっかり見渡す。廃工場、恐らくは従業員もそれなりに居た自動車の整備業か何かの建物だ。俺を吊るしているフックも多分、十年くらい前までは依頼された車を持ち上げるために使われていたものなのだろう。
がらんとした床の上に三人組が立っていた──そう、つい昨日パエトーンをカツアゲしようとしていたデブ・ヒョロ・ガリ達だ。
「オッサンのお陰で俺達、ボスに怒られたじゃねえかよ。どう落とし前つけてくれんだ」
「いや知るかよ。中坊くれぇの奴相手に弱い者虐めかまして、たった一人の高校生からお仕置き喰らって、お情けで通報されなかたってハナシだろ」
るっせぇ!とデブが叫ぶ。唾が飛んで粘着筋の糸が口元にできている。鼻筋の低さも相まって、豚にそっくりだ。
「んで、なんだ?お返しに俺をボコりてえのか?こんなご丁寧に抵抗できねえよう吊るしやがって」
「やり返すのもいいけどよ、もっと効果的で効率的な方法があるんだよなあ」
ガリは胸元から紐に提げた巾着袋のようなものを取り出した。そこに指を突っ込んで風邪の粉薬みたいなものを一包み、指につまんで弄ぶ。
「このチャイナホワイトをキメさせてやんよ。そらもう、
「チャイナホワイト…?」
「フェンタニルって言えば分かるか?コレを一度でも使えば頭がバカになる。俺達の大事な大事なお客様の一丁上がり、ボスからも褒められて一石二鳥ってワケさ」
何のことはない。あの時パエトーンを壁に追い詰めて言っていた台詞はブーメランで、コイツら自身が不法入国者なのだ。
加えて何だと?聞くからに麻薬の類だよな?それをこの大田区の蒲田界隈で、相手がガチで
「ガチのクソ野郎じゃねえか、お前ら」
三人組は、ゲヘゲヘゲヘ・ひょっひょっひょ・プークスクスとそれぞれに相応しい癖をつけて笑った。
「おい、顔を上向きにさせろ。溢すと勿体ねえから」
ガリがコイツらの
「ホントは
ぴりり、と包装を破る音。頭がのけぞっているので良く見えない。
ヤバい、口に入れられたらアウトだ。一瞬の隙を突いて吐息で吹き飛ばすか?それとも…
ガリの手が伸びてきた。今頃気づいたのだが、俺を押さえつけてるヒョロもデブも体臭が変だ。汗臭いというかハムのような匂いというか…
いや、何を冷静に分析してるんだ俺は。
あ。これはひょっとして生きるか死ぬかの瀬戸際に世界がスローモーションになるっていうアレなのか?
愕然として絶望に呑まれかけたときだった。
トタンの天井に張られた自然採光のガラス窓が、ばしゃんと砕けた。
三人が反応するのも、薄い氷の破片のようなガラスが高い天井から降りてきて接地し微塵に砕け、水飛沫のようにキラキラと輝くのも、何もかも時間が引き延ばされて見えた。
窓を突き破って侵入した
その姿勢、鼻頭を中心に皺を寄せる表情、頬も裂けよと引き上げた口、そこに覗く牙。
それは豹──いや、豹のような四つん這いになりに怒りに
「パエ───…」
名を呼ぶ間もなくパエトーンが宙を飛ぶ。そして俺の目の前で姿が膨らんだ。
手足が太り、シャツとズボンが破れて脱げた。
頭の上に耳が移動して形を三角に変え、顔から首から獣毛に覆われていく。しまいに尻から
立ち尽くす三人組の前に着地したパエトーン…
ぎに゛ゃおおおおおっ。
ガリが最初に
次にデブが、回し蹴りで反対側に飛ばされた。
最後はヒョロが、股下から掬われて頭の上に担がれ、ぐるぐるぐると激しく回転させられた挙句に背後に放り投げられた。
ごふー、ごふー…獣の喉から荒い呼吸をしているパエトーンの背中は、ギチギチに割れた筋肉に肩甲骨が乗っていて、俺よりもさらに頭一つ分高く分厚く広い。
ゆっくりと振り向いた。その顔は、昔ファンタジーアニメで観た黒い豹の頭を持つ獣人そのものだった。
裸身のままゆっくりと近づいてくる。俺はてっきり、殺されるか食われるか、どっちにしろ人生が終わったと思った。
「我が…
人間の時とは比べるべくもない低くしゃがれた声が囁いた。両手で頬を挟むと肉球と毛皮で「ぽふ」と気の抜けた音がする。
そして満足げに喉を鳴らし、俺を包み込むように抱きしめ、頬をザリザリと舐めた。
───しゃりん。
いきなり目の前が闇になった。
いや…これは…
ただいつもの夢と違うのは、俺は黒猫を胸に抱きしめてその毛並みを優しく撫ぜているところだ。
しばし俺に身を任せていた黒猫が、やおら頭をもたげて金色の瞳で俺を見つめて喋った。
「我が愛しき主、カサンドラ様。我が
美少女(俺)もニッコリ微笑んで応える。
「ええ、パエトーン。やっと逢えたわね、懐かしき我が
「此れからは、ずっと一緒に居ります。
「そうね。私達、今生では離れずにそばにいましょう。たとえどんな剣が
美少女と黒猫は鼻先を合わせた。
それはまるで、異種族の間で交わされる婚姻の約束のようで──
「おいコメダワラ!無事かっ⁉︎」
怒鳴り声の一発で、俺はハッと目を覚ました。
場所は元の廃工場だ。俺は拘束を外されて壁にもたれるように座り込み、その上から生まれたままの姿のパエトーン…
「お前が怪しい連中に気を失ったまま連れて行かれた、という知らせを放課後パトロールに出ていた部員から受けてな。蒲田警察に通報して、僕達も探していたんだが───」
奉岩だった。肩に竹刀を担ぎ、こちらに駆け寄ってきて跪く。
「済まなかった。まさか本物のマフィアが
「…いや。早いほうだぜ。助かる」
「こちらの少年は?この子も奴らに何かされたのか?」
俺は首を振る。裸のままも何なので、自分の血で汚れてしまった学ランを肩からかけてやり、背中に背負って立ち上がった。
「救急車もおっつけ到着する。悪いがその後、警察署の方で事情聴取だそうだ」
「救急車ぁ?そんなもん必要無い無い。ちっと血が出た程度…」
「頭の怪我を油断するな!頭蓋骨の内部で出血があれば笑い事では済まんのだぞ‼︎」
いきなり声を荒げた己を恥じて、奉岩はカアッと赤面した。
「…済まん。ただ、その、君が心配で…僕は……」
何度も頭を下げる生真面目な、いつもより低姿勢の奉岩に俺は苦笑を誤魔化せなかった。
「お前、部長なんだから俺なんぞにペコペコすんな。いつも通りゴーマンにそっくり返ってりゃいいんだぜ」
わざとそうやって小馬鹿にして胸を拳骨で叩いてやった。
その瞬間だった。
───しゃりん。
鈴の音…今なら分かる、巫女であった俺の前世が祈祷の舞いの際に身に付ける
目の前にいる奉岩が、甲冑姿のギリシャ人に変化した。その表情は憤怒ではなく、安堵と懐古、そして僅かならぬ執着の色を帯びている───
「…おい?おいコメダワラ?しっかりしろっ」
肩を揺すられて俺は目をぱちくりさせる。奉岩が心配げな顔で、担架に乗って行った方がいいんじゃないかと言った。
「いや…いい」
そうか奉岩、お前も俺の前世の関係者だったのか。どうりでやたらにちょっかいかけてくるわけだな…
気を抜くとずり落ちかけるパエトーンを、よっこらしょと背負い直して俺は歩き出す。
「そうか。無理するな。必要なものがあったら言いなよ、僕が用意するから」
「いやマジでいいって。…てかお前、本当に変わったよな。えらく紳士的になりやがって」
「ん?僕は生まれてからずっと紳士的だけど?」
その言いようと、キョトンとした様子に俺は自然と口角が上がった。
廃工場の前に集まるパトカー、それに近づいてきた救急車のサイレンを聞きながら俺は顔を上げる。昨日と同じく、蒲田の空は春の上機嫌に酔いしれて快晴だ。
そんな俺の背中でパエトーンが寝言のようなものを呟いた。
「I’ll follow forever…your highness, Cassandra…」
転生巫女の俺だが眷属と粘着者からBLに巻き込まれそう 鱗青 @ringsei
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