ペンライトの波の中へ

くれは

ライブに行きたい

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。

 夢の中で、わたしはいつも大きな会場の中にいる。周囲にはたくさんの、人。誰もが一心にステージを見つめている。

 乱れ飛ぶライト、スピーカーから放たれる重低音。そのリズムに合わせて心臓が跳ねる。会場の歓声が重なって、まるで大きなうねりの中にいるみたいだ。

 推しの歌声が響く。「行くよ」と言うように手をあげて、会場中を見回す。その視線がこちらを向いた気がして、喉から悲鳴のような叫び声が出る。必死でペンライトを振る。

 ペンライトの光は波になって会場中に広がってゆく。会場全体が、推しのために揺れている。わたしもその一部だった。そのことがたまらなく嬉しい。

 推しが、ステージにいる。そこにいる。歌っている。踊っている。夢中でその姿を目に焼き付ける。歌声を浴びる。

 ──目が覚めた。

 薄暗い自分の部屋。音はない。光もない。ペンライトを持っていたはずの手は布団の中、ただ握りしめられている。

 起き上がれば、ポスターの推しが微笑んでいた。あの熱狂はない。ただ、静かにこちらを向いて微笑んでいるだけ。

 ああ、これで九回目。でも、現実では一度も、ライブに参加したことはないのだ。




 特に予定のない、普通の土曜日だった。午前中に宿題を終えて、お昼を食べてから午後はずっとSNSに貼り付いていた。

 今日は推しのライブの日なのだ。スマホを開けば、タイムラインはもう熱気に溢れている。「グッズ買えた!」「完売早すぎ!」「会場到着!」そんな言葉とともに、グッズの写真や会場の写真が流れてくる。

 指が勝手にスクロールする。そして新しい投稿を見るたびに、心が苦しくなる。それなのに、スクロールをやめられない。

「良いなあ」

 ベッドに寝転んだまま、呟いてしまう。

 行きたい。ライブに行きたい。行きたかった。でも、チケット代だって会場までの交通費だってグッズ代だって、中学生のわたしには遠すぎる。

 親に相談しても「子供なんだから駄目」としか言ってもらえなかった。子供っていつまで? いつになったら良いの? そう聞いても「自分でお金を稼げるようになったら」って。中学生じゃバイトもできないのに。

「そろそろ開場! 楽しんでくる!」

 そんなSNSの投稿に、溜息をつく。推しがステージに立つまで、後一時間ってところだろうか。あの、夢の光景がそこにはあるんだろうか。

 ベッドの上から視線を推しのポスターに向ける。いつもの微笑み。

「いつか、本物を見たいな」

 あの夢の中みたいに。あの光の中で推しに会いたい。

 できるのはいつになるだろう。どのくらい待てば、ライブに行けるんだろう。わたしの夢はいつ叶うんだろう。

 答えは見つからなくて、わたしはスマホを強く握り締めた。




 高校に入学して、真っ先にやったことはバイトの面接を受けることだった。

 だって親は言ったのだ。「自分でお金を稼げるようになったら」って。だったら、自分でお金を稼ぐしかない。

 それでバイト代を貯めて、わたしはライブに行くのだ。

 チェーンのファーストフードのバイトになんとか受かって、部活にも入らずに、わたしは目一杯シフトを入れた。

 初めてのバイトは緊張したし、「いらっしゃいませ」と言う声は震えていた。でも、やるしかない。ライブに行ける。そう思えば笑顔だって作れた。

 シフトを詰め込むのは、正直体力的にもかなりきつかった。友達とのおしゃべりも「バイトがあるから」と切り上げて、チェーン店の制服に身を包む。

 ピークの時間帯は余裕なんか何もない。ミスをして怒られて、お客様に頭を下げることだってある。でも「これがグッズ代になる」と思えば、いくらでも頑張れた。

 シフトの時間が終われば制服を脱いでようやく座る。足がじんじんと痺れるように疲れている。それでも、スマホで今日のバイト代を計算すれば、疲れなんか吹っ飛んだ。

 ライブチケット、グッズ、交通費──遠征費が溜まってゆく。夢が近づいている。これならきっと推しに会える。そう思ってひとりでにやにやとした。

 もうすぐチケットの申込日。スマホのメモに、何度も計算した遠征費の予算が並ぶ。貯金額を書き込みながら、もうすぐ、と心が弾む。

 後ちょっと、と思いながら次のシフトの希望を書き込んだ。




 申し込み開始まで後十分。わたしはベッドの上でスマホの画面を見つめていた。

 設定画面を開いてWi-Fiの調子は大丈夫。充電もOK。事前に会員登録してログインもしている。指定のURLは「準備中です」の表示だけ。今は、まだ。

 抽選だから、真っ先に申し込む必要はないのかもしれない。でも、できるだけ早く申し込みたい。気持ちは焦る。失敗はできない。

 じりじりとした気持ちで時計の表示を見つめる。指先が冷たくなってゆくのがわかる。

 三分前。心臓がどくどく鳴っている。

 二分前。手のひらに汗が滲む。深呼吸する。落ち着かなくちゃ。

 一分前。焦らなくても大丈夫って、わかっていても焦ってしまう。何度もリロードする。まだ「準備中です」の表示だけ。

 十秒前。リロードする。まだ。

 またリロード。まだ。リロード、まだ。

 三回繰り返したら、それが「ただいま混み合っております」というエラー画面になった。すっと背中が冷える。

「そんな……っ!」

 泣きそうな気持ちでリロードする。

 リロード。エラー。リロード。エラー。

 このまま繋がらなかったらどうしよう、と思って涙が滲んできた頃になって、ようやくページが繋がった。申し込みボタンが表示された!

 震える指先で、青いボタンに触れる。ボタンの色が反転する。タップした。支払い方法の画面、慎重に手続きを進める。

 何回かタップして、ようやく「申し込みする」ボタンに辿り着いた。心臓の鼓動に背中を押されるように、そのボタンをタップする。

 読み込み画面。

 何秒か待ってから、「申し込みが完了しました」という画面が表示される。申し込み番号と「当落結果はメールでご案内いたします」という文字が並んでいる。全身の力が抜けた。

 本当に申し込めた。ちゃんとできたよね? 大丈夫だよね? 震える指先で、申し込み番号をスクショする。

 ぽん、と通知音が鳴る。申し込みの案内メールだった。

 メールにも「当落結果はメールでご案内いたします」と書かれていた。ここまできて、もし落ちたらどうしよう、と不安が込み上げてくる。

 こんなに頑張ったのに。推しに会うためにここまできたのに……。

 そんな不安を振り払うように、ぎゅっと目をつむる。スマホを握り締める。

「当選しますように!」

 祈るような気持ちで、目を開く。もう一度申し込み番号のスクショを眺める。何度も何度も、確認せずにはいられなかった。




 バイトが終わって制服を脱いでスマホを見ると、そのメールは届いていた。

 ──チケット抽選結果のご案内。

 一瞬、迷う。ここはまだバイト先。家に帰ってから落ち着いて確認しようか? でも、待てない。確認したい。

 わたしは震える指先で、メールの件名をタップする。心臓がうるさいくらいに鳴っている。

 ──この度はチケット抽選にご応募いただき、誠にありがとうございます。

 画面をスクロールする。

 ──厳正な抽選の結果、下記内容にてチケットをご用意いたしました。

 一瞬、息が止まったかと思った。

(これって、当選ってことだよね?)

 何度もメールの文面を見返す。座席の詳細、代金の支払い方法の案内、チケットの使用方法なんかの案内がある。

「やった……!」

 叫びそうになって、バイト先のロッカーの前だと思い出す。

「やば……」

 慌てて口を閉じる。スマホを胸に抱きしめる。

(行ける。ライブに行ける!)

 わたしは急いで荷物を抱えてバイト先を出た。バイトの疲れなんか全部吹っ飛んだ。「お先に失礼します」の声だって弾んでいた。走るように家まで帰った。

 そこからライブのために準備をはじめた。

 ライブのために服を新しく買った。「ライブ 服 おすすめ」で検索して、慎重に選んだ。動きやすくて推しカラーの新しい服。これを着て会場に行くんだ、そう想像するだけで胸が高鳴った。

 ペンライトも買った。当日はうまく色の切り替えができるかな? そう思いながら色の切り替えを練習する。会場でこれを振ることができると思うと、それだけでもう楽しかった。会場の波の中で、わたしもその中のひとりになれるのだ。

 電車のチケットも予約する。ひとりでこんなに遠くに行くのだってはじめてのことだった。ちゃんと行けるかな? 乗り換えは大丈夫かな? 少し心配だけど、それ以上にわくわくする。

 ひとつずつ準備を進めるたびに、ライブが近くなってくる。

 何度も夢に見たライブだ。何度も何度も、中学生のあの頃からだって何度も、夢に見てきた。憧れのライブまでもうすぐだ。

 ステージを想像して、スマホを握り締める。大丈夫かなって緊張はある。

 でも、とわたしは部屋に飾った推しのポスターを眺める。いつもの微笑みが返ってきて、緊張や不安は吹き飛んだ。鼓動がはやまる。指先がじんわり温かくなってゆく。高揚感と興奮が胸を満たす。

「もうすぐ、行くんだ」

 あの、夢の中のライブ、それが今度こそ現実の光景になるのだ。




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