三人官女はお内裏様にフラれたい

いちこ みやぎ

三人官女はお内裏様にフラれたい

「わたしも最期くらい、思い出してもらいたい。だから、行くね」


 と、彼女――タイガーカットは言った。

 そうしてわたくしたちの前から本当にいなくなってしまった。


 わたくしにも決意があれば、あの人の声を聞けるかしら。

 そんな 詮無せんないことを考えてしまって、こっそりとため息をつく。


 夜の 最中さなか、照っていた月の光がかげる。

 上段をほのかに見上げると、いつもただ見つめるだけのあの人の瞳にかち合った。

 それでも、あなたは私が見えない。




 二月。

 桃の節句を前に準備されるわたくしたちは、雛人形だ。

 今時の住宅事情に合わせ、四畳半一面にではなく半畳もあれば飾れるサイズの、小ぶりなもので。

 けれど小さい割にきちんと十五人揃っていて、段も五段あつらえてあり。

 朱塗りの台は光に当たるとつやりとひかる、上品なセット。


 そのうちの、わたくしは三人官女、くわえの 銚子ちょうしを務めていた。


 昨日いなくなってしまったのは、お 姫様ひいさま――お雛様をわたくしたちはそう呼んでいる――のご友人だった、お人形だ。

 この家で遊ばれていた、着せ替え人形だったそうだ。

 三年ほどだろうか。

 偶然出会って、仲良くなり。

 わたくしたちが出ていられる間だけ、おしゃべりに興じたり少し遊びに出たりと、交流する仲だった。


 もう、会えない。


 お 姫様ひいさまのご友人だったから、わたくしたちと遊ぶというわけではなかったけれど。

 それでも、三年、それぞれのひと月ひと月。

 月日があれば、言葉を交わすことは多くあった。


 コーヒーより紅茶の方が好きだとか。

 ジェニーのボーイフレンドが、いけすかなくて実は気に食わなかったんだ、とか。

 ドレスは、タイトなものよりふんわりしたものの方が好みだったとか。


 本当に、そんな他愛もないことを、よく聞かせてくれたし。


 わたくしたちも、三人揃ってやれお 姫様ひいさまのお転婆がだの、五人囃子が実は演奏下手で、だの。

 お酒は結構いける口である、だのを。


 よく、ぴーちくぱーちくと語って聞かせていたのだ。


 わたくしも、少なからず……もちろん親友などと 烏滸おこがましいことを思ってもみなかったが。

 友人だと、思っていたのだ。


 人と違って寿命長く、一緒にいられるとどこかで思っていた。


 そんなはずは、なかったのに。

 確かに死ぬ、ということはわたくしたちには関係がなかった。

 だって、物、なのだから。


 そう、わたくしたちはこうして動けていても、おしゃべりをしているのだとしても、所詮は物。

 それ以上でも以下でもなく。

 だからといって役目が変わるわけでなく。

 ただ与えられた仕事を与えられたようにこなすための存在だった。


 けれど。

 いつからだろう。

 振り向けばなんだか柔らかな眼差しの、あなたのその堂々たる 居住いずまいが気になりだしたのは。

 そう、あれはお 姫様ひいさまがうっかりと段の上から転げ落ちそうになったのを慌てて引っ張り上げた時。

 あの時、もんどりうって後ろへと転げそうになったのを、あなたが受け止めてくれた。

 一瞬、包まれた気がして。

 もちろん、その頃まだわたくしと真ん中の三人官女である 三方さんぽう――名前はサンポ――と、お 姫様ひいさまとくらいしか、しゃべることも動くこともできないことは知っていた。

 けれど感じたのだ。

 その柔らかな、心を。


 結果、わたくしには擦り傷ひとつなく。

 お 姫様ひいさまも無事で。


 しこたまお 姫様ひいさまを叱り飛ばしてことなきを得た。

 あの日から、ずっと密かに願っている。

 一度でいいからあの薄やかな唇からわたくしの名前を聞いてみたい、と。


 そんなことは夢物語だ。

 何せ、相手はお 姫様ひいさまのお 内裏だいり様。

 わたくしとは身分も違えば、すでに結婚したお方。

  懸想けそうする方がおかしい。


 だのに。

 今日も背後の彼を想う。

 どんな声をしているのか。

 和歌はたしなんだりするかしら。

 一首読んでいただけたなら、それを胸にいつまでもかき抱いて一生幸せでいられそう。

 そんな妄想が止まらない。


 はしたない。

 そう思っても、やめられない。


 あの子は昨日、自分の望みのために、自分の足で進んで行ってしまった。

 わたくしたちは、あと何回こうしてここへと飾られ、時を過ごすことができるだろう。

 もう、お人形遊びをしなくなったあの子が、ここを巣立てば。

 タイガーカットと同じく、わたくしたちもまた……その役目が終わるのだろう。

 ならばそれまでには、と願う。

 どうか。

 どうか。

 どうかどうかどうか。

 愛しいあの人の声を、ただひとたびでいいから聞かせてください。


 しんとした部屋の中に、翳っていた月の光が淡く差し込む。

 すると背後に羽ばたく音。


「……え?」


 驚き振り返れば、彼の背後にトリの降臨を見た。

 茶色い羽色をした、黄色いくちばしのまんまるなトリ。

 そのトリは鳴くより宙に嘴でなにがしか文字を書き、光かがやきながら三回転半ほど回って背中を見せると。

 振り返ってウインクしてスッと消えた。


 妖精……?

 夢でも、見たのだろうか。

 自身のほっぺたをつねってみる。


いは……」


 痛い、痛覚はしっかりとあるらしい。

 人形に痛覚、というのも変な感じではあるけれど。

 そんなよくわからない考えをしながらぼぅと突っ立っていると、突然眼前から声がした。


「……クワエ、クワエ。そんなに伸ばしていたら、戻らなくなってしまうよ?」


 ついで、頬に手の感触。

 気づけば、自分の左手はその目の前の人物の手に取られ、頬から離れていた。


 薄い唇、すらりとした姿。

 きりりとした眉と切れ長の瞳。

 その瞳が、わたくしを見つめている。


「クワエ?」

「……なぜ、わたくしの名、を……?」

「ずっと、動けない時からずっとずっと、君を見ていたと言ったら、君は迷惑だろうか」

「あ……」


 なんてこと。

 まさか……?

 でも。


 お内裏様の瞳が、まぶたが少し下がり薄目になる。

 顔が、徐々に近づいてくる。

 くちびる、が……


「ちょ、ちょっとちょっとストーップ!」


 そこへお 姫様ひいさまの声がかかって我に返った。

 何もしていないのに、なぜか胸元のえりを整えてしまう。

 お内裏様は、 姫様ひいさまが首根っこを捕まえて後ろへと下がらせたから、わたくしから少し離れていっていた。


「おひい、なんで止めるかな」

「そりゃ止めるっしょー、目の前でらぶしーんとか勘弁してほしー、こちとら独り身よ?」

「え? あの、お 姫様ひいさまはお内裏様のお嫁様では?」

「「は?」」


 二人の声が重なる。


「ちょっとやめてよねー、このナルシーな感じ、うげーなんだから」

「私も願い下げだな、こんなお転婆でガサツなギャルは」


 おでことおでこがくっつく位の距離でメンチを切り合っている二人の目は、両方とも本気で心底嫌そうだ。

 わたくしの、思い違い……?

 不思議な顔をしていたのか、お 姫様ひいさまがわたくしの疑問に思う表情に気づくと、こちらへとやってきた。


「いやさ、もちろんお雛様とお内裏様っていう役職じゃん? なんか……テレパシーっていうの? 出来上がってセットになった日から伝わっていってたみたいでさ」

「はぁ……」

「そうそう、こいつときたらずっと服装にケチをつけるものだから、動けないのがずっと苦痛であった」

「言えばいいじゃーん」


 振り向きつつお姫様が彼へと反応する。


「そちに聞こえていなかっただけであろう。私は伝える努力はした」

「うっそだー」

「嘘ではない、かなり罵倒もしたが聞こえとらなんだ」

「ばっ罵倒?!」


 驚いたらしく、お姫様の背中がのけぞった。


「聞こえてなかったのだから、無いも同然。無効だ」


 言いながら、お内裏様がこちらへとやってくる。


「それはこっちのセリフー」


 睨み合いが再開されそうになり、けれどすぐにお互い顔を背ける。

 これは、なかなか根深い問題の様子。


「んでまぁ、二人で決めたのよね、その、職業夫婦でいいよねって。元々人形の設定でしかないわけだし。お互い好きな人とくっつきゃいいじゃんって感じで」

「本当はもっと早くに動きたかったのだが、なぜか私が一番最後だった……もっとイチャイチャできたものを……口惜しい」

「こいつ、結構キてるから嫌なら言うんだよ?」

「うるさい」

「公衆の面前でキスしようとしたくせに」

「恋人なんだから当然の権利であろう」

「まだ違うでしょーが」


 どうしよう、理解が追いつかない。

 お 姫様ひいさまたちの言い合いを聞きながら、右を向けば同僚の三人官女の二人。

 その二人は、わたくしと目が合うとサッと逸らした。


 突然のことで、事態は飲み込めていないけれど。

 この気持ちは本当なのだから、わたくしも。

 タイガーカットのように、まずは一歩を踏み出したい。


「お内裏様」

「うん、なんだい?」


 わたくしの声かけに、お 姫様ひいさまと言い合いを続けていたお内裏様が、とろけるような顔をして瞳をくれる。


 どうか。

 どうか勇気を。


「わたくし、ずっとあなた様の声が聞いてみとうございまし」


 言い終わらないうち、わたくしは唇を奪われていた。

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