妖精殺人事件 ~森に住まう怪異~

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妖精殺人事件

 僕の名前は道宮トシ。普通の高校生だ。友達からはよく童顔だなんて言われるけど、それ以外には特にこれといった特徴のない、どこにでもいるような人間さ。


 そんな僕は今、見知らぬ森にいる。そう、森だ。森っていうと、あの木とかがいっぱい生えてる、あそこだ。少なくとも僕の住んでいる東京都目黒区には存在しないはずの、緑と自然が豊かな場所。それが森だ。つまり、おおよそ、世間一般的に想像される森に、僕は今立っているということになる。


 どうしてこんなところにいるのか、僕にもてんで分からない。だって僕はさっきまで駅のホームにいたはずなんだから。改札に定期をピッとして、それから人混みの中を掻き分けて、それから、それから……。


「えっと……」


 僕の呟きは目の前の木々に吸い込まれて消えた。頭上遥か高くを木の葉が揺蕩い、その隙間から真夏の日差しみたいな木漏れ日が降ってくる。そうして初めて、僕はさまざまな異常を理解した。


 まず、季節が変わっている。肌を伝う汗が、皮膚を蝕む暑さがそれを物語っている。そうだ、僕が駅のホームにいた時は薄ら寒い秋だった。11月の秋だったんだ。カメムシの大量発生が終わって悲鳴を出さなくてもよくなった、秋だったんだ。だのにこの場所の温度はなんだ。少し厚着の僕を咎めるかのように暑い。真夏のようだ。体感温度は30度を超えている。


 だけどそれよりももっとおかしなことがある。時間だ。駅のホームにいた時は、既に辺りは薄暗くなってきた5時30分ごろだった。だけど今は太陽がチリチリと照りつける、真昼のような明るさ。僕は反射的にポケットからスマホを取り出して時刻を見た。そこには78:99という数字が並んでいた。どうやらバグっているらしい。


 やはり、と僕はため息を吐いた。明らかに異常な状況。これはきっと、噂で聞いていたあの『森』に違いない。


 僕がその都市伝説を聞いたのは、今から少し前……ちょうど夏の時期だった。学校のオカルト好きな友達から、ある日突然言われたんだ。


「なあ道宮、目黒区に伝わる都市伝説って知ってるか?」


 彼曰く、その都市伝説は『森』という名前らしくて。


「目黒区内を歩いているとな、突然森の中にワープするって話だ」


「なにそれ? 小学生が考えたみたいな都市伝説だね」


「まあそう思うよな。でも実際行ったって人もいるんだぜ。神隠し的なやつなんだけど、実はこのワープ現象には黒幕が……」


 みたいな話を小一時間ほど聞かされた。あの時はそんなバカな話があるかと鼻で笑っていたけれど、まさか本当にワープしてしまうなんて。しかも何の前触れもなく、唐突に。神隠しってこんな感じで起こるんだなぁ。


「えっと、それでなんて言ってたっけ、あいつ」


 僕はオカルト好きな友達の話を思い出すことにした。確かあいつは、神隠しからの脱出方法も言っていた。だけれどもそれがどうにも思い出せない。頭に靄が掛かったみたいだ。確かに興味がなくて聞き流していたけれど、こんなにも覚えていないなんて。よっぽど話がつまらなかったんだろうなぁ。


 あ、そうだ。思い出した。そういえば、森の中には妖精がいるって言ってたっけ。


「それでさ、その森の中には妖精がいるんだ。しかもただの妖精じゃねぇ。殺人妖精さ」


「殺人妖精」


「そう。森の木々の隙間から犠牲者を狙い、首を一撃で吹き飛ばすんだってよ。実際に森にワープした人が証言してるんだぜ」


 そうだそうだ、確かに言っていた。首を一撃で吹き飛ばすとか、残酷な妖精だなぁと思ったのを覚えている。


 うん、やっぱりアレだね。妖精の話も思い出したところで、そろそろ嫌な汗が背中を流れ出した。ようやく脳ミソが現実を理解してきたみたいだ。さっきから心臓の動悸が止まらない。だって神隠し……神隠しだよ? 神隠しにあって冷静にいられるわけがない。しかも神隠しの先は殺人妖精のいる森の中だって? 冗談じゃない。冗談じゃないぞ。


「殺人妖精なんて……いない。いないはずだよ……。でもこれどうやって帰ろう」


 僕の口からは不思議と独り言が溢れていた。森の中があんまりにも静かで、その静寂が心臓の動きを際立たせていたから、僕は何か喋って気持ちを落ち着かせないと気が済まなかったんだ。


 だけど、それが誤りだった。


「誰かいるのか?」


 不意に後ろからそんな声が聞こえた。咄嗟に振り返る。誰もいない。気のせいか。いや違う。確かに聞こえた。しわがれた男の声だった。もしかしたら、僕以外にも同じように神隠しにあった人がいるのかもしれない。そんな淡い希望を持って、声のした方向に歩き出した。


 だけどすぐに、僕はその臭いに気づいた。嗅覚というのは記憶と深く結びついているらしい。だから忘れることはなかった、あの臭い。鼻にこびりついたあの臭いが、この森の中で確かにした。


 そうだ。この臭いは、血だ。間違えるはずがない。とすれば次に思い浮かぶのはら殺人妖精のことだった。僕は怖くなってすぐに反対方向に逃げ出そうとした。だけどその直後、僕の顔の横スレスレを何かが飛来した。それはボウリング玉くらいの大きさで、しかもかなりの速さがあった。僕は思わず振り返って、その飛来物の正体を目撃してしまった。


「……っ!?」


 それは頭だった。人の頭だった。恐怖で顔をぐちゃぐちゃにして、そのまま死んだ人間の男の頭だったのだ。首は刃物で切ったように綺麗な切断面で、変色した肉と血と骨の色が見えた。既に血は固まっていて、血が流れ出たりはしなかったけれど、それが僕の精神に与えた影響は大きかった。


「うわあああああああああああ!?」


 思わず尻餅をついた僕の頭上を、もう一度飛来物が通りすぎる。それは地面に転がり、ワカメのような髪を辺りに広げた。今度の頭は女の頭だったようだ。しかも、今ので分かった。理解してしまった。頭は僕を狙って投擲されている。僕に危害を加えようとしている。そのことを頭で理解してしまった。


 僕はもう足腰が立たなかった。振り返ることもできなかった。だけど逃げなくてはという思いだけはあった。逃げなくては殺人妖精に殺されると思った。だってそれしかあり得ない。この『森』の中で僕を『襲って』くるのは殺人妖精しかあり得ないんだ!


「うわあああああああ!」


 僕はなりふり構わず叫び、ハイハイをするように両手を使ってその場から逃げ出した。今度あの弾丸のような頭が飛んできたら、もう避けられないと直感的に察していたからだ。だからそのまま、全身全霊、最後の力を振り絞り、目の前の1本の木の陰に飛び込んだ。


 直後。先ほどまで僕がいた場所に、大砲のような威力の頭が飛んでくる。それは地面にぶつかるとまるで陶器みたいに割れて内容物をぶちまけた。おぞましい光景に目を背け、呼吸もしないように心がける。だけど妖精はそんなことなどお構いなしで、ズルズルと何かを引きずるような音と共に近づいてきていた。


 死。その一文字が脳裏によぎる。これまで人の死は何回か見てきた。けれどこんな常識外れの場所で、よく分からない怪物に殺された人なんて、ニュースですら聞いたことがない。ましてや当の僕がそうなるだなんて微塵も思っていなかった。このまま殺されてしまえば、きっと僕は行方不明者となって永遠に発見されないだろう。知らない森の中で死体は腐り、白骨になってもなお逃れることはできないんだ。家族はきっと僕のことを探す。でも僕はどこにも見つからないんだ。家族はきっと死ぬまで僕と会うことができなくなる。ここで死ぬというのは、そういうことなんだ。


 ……それは嫌だ。絶対に嫌だ。死にたくない。死んでたまるか。そもそもなんだってこんな理不尽に殺されなくちゃあいけないんだ。たかだか妖精ごときに殺されなくちゃあいけないんだ!


 僕は激情のままに立ち上がると、地面に落ちている割れた頭部を掴んだ。そしてそれを音の方向に投げると、一目散に走り出した。


「思い出したぞ! オークの木だ!」


 そうだ、確かに友達は言っていた。森から出る方法は、オークの木の周りを回ること! そうすればこの神隠しから解放される! 本当かどうかは分からないけれど、何もせず死ぬよりは試してみた方がいい!


「来いよ妖精! お前の攻撃なんか当たらないぞ!」


 しかし最大の問題は、オークの木の実物を見たことがないため、どれがオークの木なのか分からないってところだ。だけどここは自分の勘を……いや、『幸運』を信じる。さっきから殺人妖精の攻撃を何度も躱し続けているこの『幸運』を!


 直後、背後から風切り音が聞こえてきた。僕が咄嗟に飛び上がるとその股下を人間の首が飛んでいく。だがもう恐れはない。僕は飛んできた首の眼窩の窪みに指を入れ、それを持ち上げた。


「『そこ』だッ! 殺人妖精!」


 そして振り向きざま、それを来た方向に投げ返す。しかしその首は空を切った。なんと、振り返った先には何もいなかったんだ。透明だとかそういう話ではなく、確かに何もいなかった。


「どこに……?」


 という思考になりかけてハッとする。ここで戸惑えば妖精の思うツボだ。ヤツはきっと僕の油断を狙っている。ならば、僕はその逆に進む。


「オークの木は……アレだ!」


 僕は適当に目星をつけた巨木に駆け寄ると、それの周りをぐるぐると回り始めた。何回回ればいいのか分からないけど、僕はとにかくなりふり構わず回った。だけど一向に変化はなく、「オークの木ではなかったのか」と次の木に向かおうとした――。


 ――次の瞬間、僕は駅のホームに立っていた。


「え?」


 既に辺りは暗く、厳しめの寒さが頬を貫いてくる。スマホを確認すると20時弱であると分かった。駅のホームには人はいないけど、外には確かに通行人がいる。


 ということは、出られたということだ。あの森から出られたということだ。僕は内心で友人に感謝しつつ、ホッと安堵の息を吐いた。


 今の体験はなんだったのだろうか。あのままやられていたらどうなっていたのか。そもそも殺人妖精なんて本当にいたのか。結局何も分からずじまいで、何かモヤモヤした感じがする。


 だけど一つだけ確かなことを言える。あれは夢じゃない。間違いなく現実だ。だってそうでなければ、さっきから血で濡れていて鉄のような臭いを放っている僕の手の、説明がつかないのだから。

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