【KAC20253】ある生物学者の手記

ハル

 

 いま私は、膝の上ですやすやと眠る子どもを撫でながら、この原稿をしたためている。


 窓の外で繰り広げられている光景は、二十年前には想像もつかなかったものだ。


 どうして世界がこうなったのか、私には書き残しておく義務があるだろう――。


      ***


 二十年前。数々の妖精が生息するという伝説の島、「骸骨島」が実在することが判明し、世界は熱狂の渦に巻きこまれた。


 骸骨島の周囲では常に暴風雨が吹き荒れていたのだが、最近ごくまれに、一部の箇所でほんの数分ばかり暴風雨がやむことがあるらしく、近くを通った漁船の乗組員たちが島を覗き見たというのだ。


 日本の生物学者である私は、光栄にも、アメリカ主導で結成された第一次調査団の一員として、人類で初めて骸骨島の土を踏めることとなった。


 小型飛行機で近づいては戻りを繰り返すこと二十日余り、ついに我々は暴風雨の間隙を突き、骸骨島への上陸を果たした。


 だが、飛行機を降りた我々は愕然とした。


「これは、『妖精』なのか……?」


 全長三十センチはある、透明な羽の生えたクモのような生き物、全長一メートルはある、六本足のヤドクガエルのような生き物、三つ首の大蛇のような生き物、額に角のあるトラのような生き物――。


 妖精というよりも、怪物やモンスターというほうが遥かにふさわしい。


 中でも異様だったのは、全長四メートルはある、頭はサメで体はトリという生き物だった。体型はワシやタカに似ているが、体のうちで尾が占める割合がワシやタカよりも大きく、翼は濃青色、腹部は淡紅色、脚は銀色、尾は淡青色で先だけが青灰色だ。外界のどの鳥の体とも異なるため、私はこの生き物を単に「サメトリ」と呼んでいた。


 混乱はしたものの、生物学者にとってこれほど興奮させられる場所もない。嬉々として調査を続けること三日――事件は起こった。


 食事中の調査団が、トゲジンロウの群れに襲われたのである。


 トゲジンロウは、体の大きさはハイイロオオカミと同じくらい、体型はヒトとオオカミを足して二で割ったようで、背骨に沿って、長さ約五センチから十五センチの棘がびっしりと生えている生き物だ。


 調査団の仲間たちは、トゲジンロウに殴り飛ばされて顔を潰され、喉笛を食いちぎられ、肉も内臓も骨までも貪り食われていく。むろん銃で応戦する者もいたが、トゲジンロウの皮膚は銃弾も撥ね返してしまうほど硬かった。


 阿鼻叫喚と、血や吐瀉物の異臭の中、私にもトゲジンロウが襲いかかってきた。生臭い息が顔にかかり荒い息遣いが聞こえ、死を覚悟したとき、


「ピイイイイイイイッ!」


 甲高い声が響きわたった。目を開けると、サメトリががっしりした鋭い爪でトゲジンロウを鷲摑みにし、舞い上がっていくところだった。


 サメトリの降臨……!


「降臨」だなんて宗教的で仰々しい言葉だが、そのときの私には、サメトリがまさに光り輝く神仏のように見えたのだ。


 頭上には何十羽というサメトリがいて、次々とトゲジンロウを自らの領域へと攫っていく。わずかに生き残ったトゲジンロウもう這うのていで逃げ去っていった。


     ***


 私の帰国から数ヶ月後。やはり調査団の一員だったアメリカ人の植物学者が、アメリカでサメトリの目撃談が相次いでいると教えてくれた。


 どうやら、小型飛行機にサメトリの幼鳥が何羽かひそんでいて、我々とともにアメリカに渡ってしまったらしいのだ。


 サメトリは知能が高く、捕獲しようとする人間から巧みに逃げ隠れし、着実に数を増やしていった。海を渡り、ついには世界のあちこちの空でサメトリが飛び回るようになった。


 人類はサメトリの餌食となり、滅亡への道を辿るかと思われた。


 ――だが、それは杞憂だった。


 たしかに一時は世界は大きな混乱に見舞われたが、やがて、サメトリは人肉が嫌いで、愛情をもって接する者には危害を加えず、子飼いにすればオウムやインコも顔負けというほど飼い主に懐く生き物だということが判明したのだ。


 サメトリはペットとして愛され、人間や荷物を運ぶ畜産動物として重宝され、人類と共存する道を歩んでいる。


 いまも窓の外ではサメトリタクシーやサメトリトラックが飛び交い、私の膝の上で眠っているのも、ペット――いや、大切な家族である子サメトリなのだ。


〈了〉

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