あこがれの「あ」は悪魔の「あ」

etc

第1話

 拓也は神崎さんの音楽に心を打たれた瞬間から、彼を憧れ続けていた。


「俺を弟子にしてください!」


「あのねえ、僕はプロデューサーだよ」


 東京某所にある神崎三島プロの入った古臭いビルの前。頭を下げる大学生の拓也と困り顔の40歳の神崎であったが、この構図になろうと神崎は「困ったなあ」と頭を掻くばかりだった。態度は様子ではなく、どこかギラギラとした威圧感を醸し出している。


「分かってます! これを見ていただけますか?」


 そこで拓也は自前のポートフォリオを取り出した。それは神崎が多くのアーティストを育て上げた伝説的な音楽プロデューサーで、プロデュースしたコンサートやインタビューを徹底的に調べたものだ。拓也にとって魅力的なのは神崎という人物が仕掛ける戦略だ。小さな事務所が業界トップに成り上がる手腕が見事だったのだ。ジャンルを問わずに挑戦し、ウケたものを倍プッシュしていく。プッシュされなかった分野を統合し、事務所内の所属アーティスト同士の関係性から新たな価値を生み出す。システマチックな方法を編み出したのが神崎の凄みなのだ。今や当たり前ともなった方法を生み出した彼の思考と観察眼を間近で見て学びたい。


 神崎さんの音楽に、プロデュースに、惚れ込んだから。

 そんな熱い思いを高々とポートフォリオをフリップ芸のごとくめくりながら語ったのだが。


「ほう。君が良く調べているのは分かったよ。ただし、弟子は取ってないんだ」


 そそくさと神崎は事務所へ引っ込んだ。

 拓也は唸った。神崎プロは新卒を募集していない。大学生で業界未経験の拓也にとって、この売り込みは賭けだった。しかし、憧れた神崎の方法を拓也はよく知っている。それを今こそ実行するのだ。


 彼は、神崎さんの事務所に何度も訪れて、弟子入りを志願した。

 しかし毎回断られた。しかし、3回目に「次はウチをやめたアーティストについて調べてみたら?」と言われ、それを引っ提げて話をしにいくと、4回目は「次はダンス動画を上げてる伸びそうな人わかる?」と質問され……、そんなことを10回は繰り返した。


 そんなある日。


「拓也くん、ちょっとある人物にインタビューしてみない?」


 神崎の提案でインタビューをさせてもらえることになった。

 拓也の熱意を神崎は楽しんでいるようだった。同時にその熱意を試しているようにも見えた。


「喜んで。相手は誰ですか?」


「三島さ」


 三島とは、この神崎三島プロのもう一人の立役者だ。

 しかし、何度もこの事務所に足を運んでいるのに一度も見かけたことがない。

 神崎は教えてくれないし、社内スタッフも三島のことは話せないと口を固く閉ざしていたのだ。


「良いんですか?」


「ああ、構わない。僕に憧れるんならあいつの話は聞くべきだ」


 それがどんな意味をしているのか拓也には分からなかった。当然、恐怖よりも興味の方が勝る。プロデューサーとして名前も出てこない三島の存在を知る良い機会だ。プロデューサーを目指す拓也にとって、三島の話もぜひ聞きたかった。


 別の日に時間を作ってもらい、三島を待った。事務所のソファで待っていると、数々のアーティストが事務所を行き来した。大学生の拓也を「若い~!」って可愛がってくる自称17歳のアイドル、「俺の代わりにステージ出てよ」と隙あらば帰ろうとするバンドマン。みんなどこか疲れた顔をして、画面やステージじゃ見えない陰影が見て取れた。


 アーティストもみんな大変なんだな……、と思っていると。


「どうも、あなたが拓也くんですね?」


 この人が三島さんだ。

 彼は神崎と真逆の人物だ。ギラギラ感はまるでなく、穏やかなカピバラのような男だった。まだ彼も40代だろうに髪と髭は白髪交じりである。

 思わずまじまじと観察してしまった。拓也は慌てて立ち上がる。


「はじめまして、拓也です。今回、時間を作っていただいてありがとうございます! 三島さん、ぜひ今日はよろしくお願いします!」


「はい、ええ、よろしくお願いしますよ」


 会釈をして、ゆっくりと腰掛けた。

 それから拓也は定型的な質問を繰り返す。何度かアーティストが通りかかり、三島を見るなり「三島っち~!」とか「話したいことがあるッス、三島さん!」とか、えらく頼られている様子だった。どうやら三島という人物がこの事務所において、みんなの心の支えになっているように見える。


「次は神崎さんについて教えてくれませんか? 特に、彼の成功を横で見てきた三島さんの視点でお願いします」


「そうですねぇ、神崎は一言で言いますと……、悪魔です」


「あ、悪魔ですか?」


 終始おだやかな彼から意表を突く言葉が出てきて舌が回らなくなった。


「ガチャガチャってありますよね。100円を入れると景品が出てくるもの。彼はそれを当たるまで引くんです。どんなに金が尽きて乞食のようになっても、最後の一つを引くまでは絶対に譲らない男なのです」


 さらに話を深堀りしていくと、神崎の過去は成功のために多くの困難を乗り越えたものだった。彼は、多くの人々から尊敬される存在だけど、同時に孤独な存在でもある。神崎は成功を追求することに異常な執念を持ち続けた、ということだ。


「つまり、成功の裏には代償がある、ということですか?」


「ええ、そういうことです」


 事務所に神崎が戻ってきた。アーティストやスタッフたちの動きが止まって、神崎が社長室に行くまでの間、誰もが口をつぐむ。

 拓也からすると初めて見る光景だった。今まで入待ちしていたし、神崎とはこのソファーで話すことが多かった。その間、みんな静かにしていたのだ。今日みたいにアーティストが拓也をからかうようなことだった一度もなかった。


「もしかして神崎さんは嫌われてるんですか?」


「うーん、そうとも言えるし、そうと言い切ることも出来ないですかね。語弊を恐れず言うなら、神崎は成功のために人と距離を置き、孤独を選んだのでしょう」


 孤独という代償。神崎のようになりたいと思った拓也だったが、彼のように成功しても自分にとってどれだけの意味があるのか。なぜ彼がそこまで成功にこだわったのか。この三島にもそれは分からないという。だから「悪魔」と語ったのだ。


「拓也くんが神崎のようになりたいなら私は止めませんよ。神崎は人を傷つけるが、成功を運んでくれますから。得体のしれない狂気的な執念が君にあるというのなら、ですが」


 インタビューはそれで終わった。

 拓也は帰路の電車で揺られる。分厚くなったポートフォリオが入ったリュックを抱えながら。


「俺は神崎さんのようになりたいのか? ……いや、違うな」


 拓也は決断した。

 神崎の影響を受けつつも、自分の音楽を追求する道を選んだ。

 自分自身の音楽で人々に喜んでもらえることを目指すのだ。


「よし、まずはアイドルの原石を発掘せねば!」


 やる気に満ちた拓也は新たなスタートを切った。4人組のアイドルグループを作ったのだ。

 神崎のプロデュースを参考にしつつも、自分自身のスタイルを模索し始めた。やはり知名度のないアイドルを伸ばしていくには、地方と癒着するか、地下に潜るか、ネットで長時間配信をするか、という三択である。いずれもすぐに結果は出ない。


 原石として見出したアイドルたちは次々と辞めていった。

 拓也の音楽は神崎の影響を受けている部分もあるが、同時に彼自身の感情や経験が込められている。彼は、自分の音楽で人々に喜んでもらえることを目指していたが、アイドルは理想を売る現実の仕事なのだ。売れなければ続かない。


 拓也の周囲には神崎のような成功を目指す人も多かった。彼らは神崎のような成功を追求するために、自分自身を、そしてアーティスト自身を犠牲にすることも厭わない。拓也はそんな人々を見つつも自分自身の道を選んだ。彼は神崎の成功が自分にとってのあこがれではないことを知り、それでも自分自身の音楽で人々に喜んでもらえることを目指した。


 4人組アイドルグループ『シーズン』は冬担当だけが残った。

 だが、拓也のプロデュースはまるで関係のないところで成功する。冬担当の笑い声が綺麗な音階を踏んでいると言うMADのshort動画がバズったのだ。これを皮切りに人々の注目を集めるようになった。それからグループは息を吹き返した。辞めていった3人が戻ってきたのだ。


「まさかこんなことでヒットするとはな」


 その年の人気投票でアイドル祭への出場権を得た。神崎のプロデュースするアイドルグループと同席する。関係者席で拓也は神崎に話しかけられた。


「また会ったね、拓也くん」


「神崎さん! あの時はお世話になりました」


「ううん、君を弟子にしたつもりはないからね。それより今度は僕が質問いいかな?」


「え? ええ……」


「『まさかこんなことでヒットするとは』って思わなかった?」


 図星だった。

 しかし、神崎の言いたいことが拓也にはよく分かった。


「はい。どうやら俺も悪魔になったようです」


 アイドル祭の花火が上がった。

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