巣立

錦木

巣立

 ひなまつりに行こう。

 そう言われたときは断ろうと思ったが自分に断るなんて選択肢はそもそもなかったのである。

 行こう、という言い方には引っかかったが深く考えてはいなかった。



 渋い顔で石段を上る僕の前を飛ぶような軽い足取りで美女が歩いていた。

 見目だけならば見事な大和撫子だ。

 その実は理屈屋のじゃじゃ馬だが。


「お嬢、まだ着かないんですか」


 そう言うとくるりと回って僕を見下ろし、美女ーーお嬢は言った。


「これくらいで根を上げているようじゃ余程の根性なしだ。若者とは思えないね」


 そう言って目を細めて口の端を上げる。

 そして背を向けると再び歩を進めた。

 自分だってさほど歳は変わらないだろうに。

 僕はため息を着いて目の前の光景を見上げる。

 石段がどこまでも続いていた。

 まわりは林に囲まれている。

 時刻は真夜中近く、薄霧がかかっているので足元がよく見えない。

 家から持ってきた懐中電灯が頼りだ。明かりが乏しくやや心許ない。

 この先には神社があるらしいがさて、いつまで上れば辿り着くものやら。



 お嬢という呼び方は変わっているかもしれないがこの人は生粋きっすいのお嬢様である。この街で一番の名家のご令嬢だ。

 本人は嫌がるが意趣返しと皮肉をこめて僕はお嬢と呼んでいる。

 そして本人はその呼び名に反して変人である。

 家柄に相応しい気品には溢れているがおよそ人より好奇心が旺盛で、己の知識を満たすことに余念がない。

 気の向くまま行動することが大好きで猫のように気まぐれであり、さまざまな場所を渡り歩いて人を困らせている。

 主に僕を。



 これから行こうとしているのは人智を超えた世界である。

 怪奇に神秘、幻想。

 呼び名はいろいろあるが人の域を超えたものにまでこの人の好奇心は止まるということを知らない。

 詳しくは聞かされていないが今回は鳥にまつわる祭りに行くという。

 なんだその奇祭は。



ひなのまつりだよ」


 ほっそりとした外見に似合わず、登山家顔負けの健脚で軽々と歩いて行く


「今回は稀な祝い事を見に行くんだ。いや、君は実に運がいい」


 真夜中に足が棒になるまで歩かされている時点で運がいいのかどうかは微妙だと思うがあえてそれは言うまい。


「さあ着いたよ」


 やっと頂上に至る頃には息が上がってしまっていた。

 人並みに体力はある方だと思うのだが。

 あたりはシンと静まり返っている。

 何の姿も見えない。

 祭りとはにぎやかしいものだと思っていたが、どうやら自分が知っているものとは異なるようだ。


「……もうすぐだ」


 しばらく進むと目の前に真白で大きな石があった。


「この石は何ですか?」

「石ではないよ。これは卵だ」


 不思議なことを言うがその物体は言われてみればなるほど、ただの石とは違う。

 滑らかな表面は不思議な色に輝いて見えた。

 乳を流した白のような、虹のような光沢のような。


「美しいだろう」


 いつの間にか見入っていた自分の耳元でお嬢は囁いた。


「人の背後に回らないでください」


 じゃっかん不機嫌になるがそんなことで動じるものではない。

 涼しい顔で言った。


「そら、よく見ているんだ」


 卵に、ひびが入る。

 その時頭上から巨大な鳥が舞い降りてきた。

 自分が知っているどんな鳥とも違う。内側から輝くような羽を持っている巨大な鳥だ。


「トリの降臨だ」


 トリ、に不思議な抑揚を混ぜていかにも面白そうにお嬢は言う。この人は動じるということをしらない。


「あれは親鳥だね。静かにしておいで」


 言われなくても騒ぐ間もなかった。

 卵が割れると内から親より一回り小さな雛鳥がよちよちと出てきた。

 舞い降りてきた鳥と同じように燃えるように羽が輝いている。

 あたりは宵の口ほどに明るくなったように見えた。

 親鳥がひらりと舞い上がる。それについていくように雛も翼を広げ飛んだ。


「あの鳥は月の光で羽を染め、日の光を啄んで成鳥となるんだ」


 いつの間にか暁のほのかな明かりがあたりを照らしている。

 それから僕はちらりとお嬢を見た。


「ところでこれがひなまつりなんですか」

「そうだよ」


 どのあたりがまつりなんだという気持ちが顔に出ていたのかお嬢は笑って言う。


「祭りは本来生きるということを尊ぶものなんだ。祝おうという気持ちが少しでもあればそれは祭りなんだよ」


 なるほど、と思う。

 空を見上げて僕は言った。


「……綺麗ですね」

「ああ。来てよかっただろ?」


 悔しいが確かにここに来られたことは幸運だ。

 どこからか夜明けを祝福するように鳥の鳴き声が聞こえた。







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巣立 錦木 @book2017

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