私のためのひな祭り【KAC20251】

🌸春渡夏歩🐾

ひな人形に願うこと

 子供の頃、家には立派なひな飾りがあった。


 私の初節句に父方の祖母からもらいうけたというひな人形は、今風いまふうではなく、少し古めかしい顔立ちをしていた。

 狭い団地の部屋に、段飾りを毎年、飾っていた。


 大きな古い木箱を物置から出して、丁寧に紙に包まれたひな人形や小道具を取り出す。

 虫除けの樟脳しょうのうの匂い。

 板を組んでひな壇を作り、紅い布を敷く。

 男雛、女雛、三人官女、五人囃子、随身(右大臣、左大臣)、左近の桜、右近の橘、三人上戸とあって、毎年、並べる順番を迷うのだった。

 今、考えると、かなり本格的な段飾りだった。


 正直、人形の顔を可愛いとは思えなかったけれど、たくさんある小道具を並べて、母と一緒に準備する時間は楽しかった。


 私と弟が成長して物が増え、手狭になった室内には段飾りを置く余裕がなくなって、いつしかひな飾りは物置に押し込められたまま、出されなくなった。


 ひとり暮らしをはじめてしばらくしたある日、電話で母が言った。

「あのひな人形だけどね、家にあっても、もう飾らないだろうし、田舎の従姉妹いとこさんに譲ることにするから」

「うん、いいよ」

 特別に深い想いもなく、私はそのときそう答えていた。 


 ◇◇◇


 今、私の元にあるのは、小さなひな飾り。

 横幅が15cmほどのケースの中に、男雛、女雛、三人官女、五人囃子といった小指の先ほどの豆雛達が収まっている。

 雑貨屋さんの店先でひとめぼれして、自分のために購入したもの。


 結婚するのが遅かった私達夫婦は、早く子供が欲しいと願っていたが、なかなか子宝に恵まれなかった。

 子供がふたりいる義妹から(妹といっても年上)、あるとき吐かれた言葉が忘れられない。

「ちゃんとやることやっているんでしょうねっ?!」(夜の夫婦生活のコト)

 なぜそんな言われようをされなければならないのか、そして、その言葉をとがめなかった夫は、妹に甘い人だった。


 不妊治療は「出口の見えないトンネル」「ゴールの見えないマラソン」とも言われ、心身ともに疲弊していく。

 どこまで、いつまで、続ければいいのか……。

「不妊治療を頑張って、子供を授かり、今は幸せです!」という話はよく聞くけれど、「治療をあきらめて、子供を持たないという人生を選択しました。ふたりで幸せに暮らしています」という話は、あまり聞こえてこない。


 不妊の原因はわからないことも多い。私達の場合は夫側の問題だったが、どちらが悪いということではなく、ふたりの問題だと思ってきた。


 単身赴任が決まったとき「それでも頑張ろう」という夫に、「もうこれ以上、頑張れない」と、私は言った。


 卵子が成熟するタイミングに合わせて実施する採卵は、前もって予定がたてられるわけもなく、私は正規職員からパート勤務に変更していた。大手企業の営業職である夫が、お客様との大事な約束や会議を突然、投げ出して、その日に遠く離れた赴任先から戻ってくるなんて、できるわけがない。

 時間と、さらに距離の大きな制約が加わった。

「なんとかする」

「なんともならないでしょう?」


「たとえどんなことをしても、自分達の子供が欲しい」

 そこまで強くは思えなかった私達の、ここが限界だった。


 妊娠には至らなかった受精卵を想う。

 ……あなたに生まれてきて欲しかったよ。


 妊娠と出産、新しい命が生まれることは奇跡だ。

「案ずるより産むが易し」というけれど、いつだって出産は命がけで、そんな簡単なことじゃない。


 どんなに望んでも手に入らないもの。

 どれだけ頑張っても届かないもの。


 でも、誰かに

「あなたは充分、頑張ったよ。もうこれ以上は頑張らなくてもいいよ」

 そう言って欲しかった。


 子供達は宝。

 全ての子供達が、どうか望まれて生まれてくるものでありますように。


 娘を持つことが叶わなかった私には、母と一緒にひな人形を飾ったあの濃密な時間を、同じように自分の娘と過ごすことはできないけれども、

 ただ自分のためだけに、ひな祭りをお祝いしてもいいよね。


 たくさんの子供達の健やかな成長を祈りつつ。


 今日は楽しいひな祭り。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私のためのひな祭り【KAC20251】 🌸春渡夏歩🐾 @harutonaho

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ