破局の予感
「レギュラーを見に行こう」
彼の言葉をかき消すためにユニットバスの排水構にゴム手袋を装着して手を突っ込む。私の長い髪、彼の短い髪が絡み合い、ネトネトして張り付いているから、こそぎ取ってビニール袋に入れてしまう。
なぜ髪の毛は生えてるときは魅力的なのに、人から離れてしまうと不気味の代表選手みたいになるのだろう。
でもそんな不気味の塊が彼と私の暮らしの蓄積だと思うと愛しく感じる。2人ですっかり不気味を作り出して、お湯の流れを悪くした。私は2人のためにこそぎ取る。
幸せに感じてしまう。
特にお風呂場にいると馴れ初めを思い出す。
4回目のデートの後にホテルに行った時のことだった。お風呂場でイチャイチャしていると彼はやっぱり愉快で変なことを言う。
「野球拳をしない?」もう裸だから笑ってしまった。
「何を脱ぐの?」
「いや一回やってみたかったんだ。お風呂あがったらバスローブとかでいいからじゃんけんしてさ」
私はちょっぴり興味があったし、それに彼と初めて交わる気恥ずかしさや緊張も柔らかくしたくて承諾した。
髪を整えたり、おでかけポーチに準備した保湿クリームを塗ったりしてから彼が待つベッドに向かう。
備え付けのバスローブはふかふかだし、1枚だけじゃ盛り上がらないから下着も着けた。ヘアバンドなんて普段は使わないのだけどその日は備え付けのものを装着した。
最初はヘアバンドです。
可愛らしく言いたい。絶対盛り上がる。
ベッドにいた彼は私がお待たせと声をかけると立ち上がる。掛け布団から出た彼は外で会ったときのコートまで着て、私が知らない手袋まで着けていた。
「暑くない?」
「あっつい、早くしよう。最初はグー!」
最初は私の勝ち。次も私の勝ち。そこから彼は11連敗してストレートで全裸になった。
気まずい。私が先に裸になってしまって、次負けたらどうなるの?みたいなことを言いいたかった。ヘアバンドもそのまま。このパターンのことは知らない。どうしたらいいのかわからない。
すごく気まずい。私がすっごい変な女みたいだ。野球拳で脱がせてしまった。11対5ではじめたのに負けた彼の責任。なにより彼も縮んでいたから、おおよそ気持ちは同じだった。
勝者である私はこの状況を打破する主導権を握っていたのだと思う。だけど見たことのない予想したことさえない展開に私は何も出来なかった。今考えるとおかしなことなのだけど、あの気まずさは破局を招く可能性さえあった。
彼は少しの間をおく。彼はいつもそうだ。何かトラブルが起きると不思議な間の後に起死回生をする。その時も今までよりずっと大きな声で歌いだした。
「野球〜すーるなら、こういう具合にしなさいや」
今までは最初はグーだったのに、全力野球拳を披露した。全裸で安っぽい愉快な振り付けまで再現しながら、そうして彼は試合延長を求めた。
私はその時、まだ怖かった。これでまた私が勝ったら主導権がまた戻ってきてしまう。気まずさが戻ってくる。
それでも私は彼のコールに合わせてグーを出した。彼はパーを出していた。
結果を言えばそこから彼が全部勝った。私は無事に全裸になった。
私が最後のパンツだけになった時にはもうWBCの大谷翔平がトラウトに投げた最後の1球を思い出した。ちょうどそのホテルの名前はエンジェルスだったから。私はチー。彼はグー。私達の歴史に残る一戦。彼は勝利してそのままグーの拳を掲げた。私はその間に急いで残ったパンツを脱ぐと、全裸になれた2人はどちらともなく優勝したみたいに抱き合って喜んだ。
「運命だね!」彼はそう言った。
「運命だよ!」私がツッコまなかったから、運命になった。
私達はそれからずっと一緒にいる。あの11連敗を最後につい先日まで破局の予感はやって来なかった。
排水溝にへばりつくソープを纏った私達の髪をとり終えたら泡々になる粉末を一包入れる。泡々が盛り上がるところを眺めていると塩素の香りがしたから私はユニットバスを離れることにした。
私は彼の子を妊娠しているかもしれない。
避妊はしていたし、まだ確認できる段階ではないのだけど、そうなのではないかなと、理由はないのに周期の遅れ以上に心のうちでは確信している。
彼に伝えると彼は一拍置いてから「レギュラーを見に行こう」と言った。
「ガソリンスタンド?190円くらいだよ」
「いや、そうじゃなくて…松本くんと西川くんの、ほら、あるある探検隊の…」
「あのレギュラー?どうして?」
「どうしてもだよ」
私は別れ話だと思っている。これから結婚して一緒に子育てする人とレギュラーを見に行くわけがない。
彼はレギュラーなんて好きじゃないと思う。バカリズムとか尖った笑いが好きなはず。興味のないものを一緒に見に行こうなんて誘いは今までになかった。
私は周期の遅れに気づいた時、嬉しかった。彼と3人で暮らしてみたい。小さな彼、私の分身、新しい命が私達をたくさん困らせる。そんな幸せが待ち遠しい。
彼となら11連敗しても大丈夫なのだから私達親子は無敵。もう1人増えたのだから30連敗くらいまでカバーできるかもしれない。
そんな未来を望んでいたのは私だけだったのかもしれない。
「レギュラーを見に行こう」
そう言った彼の真剣な顔は、11連敗した直後の悲しい全裸の時を思い出させた。だから私は彼の表情から破局の予感を感じずにはいられなかったのである。
つづく
レギュラー ぽんぽん丸 @mukuponpon
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