シリル

 知らない人と顔を合わせるというのは、アビゲイルにとっては拷問に近かった。

 誰も彼もがアビゲイルを一目見ただけで悲鳴をあげ、後ずさるからだ。

 だというのにシリルと顔を合わせても、アビゲイルは動揺することもなかった。

 なぜだろう?

 と自問自答してすぐに気がついた。

 シリルからはアビゲイルに対する嫌悪感を感じないからだ。

 彼はアビゲイルと握手をする時も常にニコニコと微笑んでおり、真摯な態度で接してくれる。

 一瞬顔を隠しているからか、なんて思いもしたが、この国でそれはあり得ないとすぐに気づく。

 なぜなら彼も、耳に赤い宝石のピアスを付けているからだ。


「それにしても驚いたよ。急にフェンツェルに来たいから身元保証人になれ、だなんて」


「悪かったな。詳しい話は手紙ではさすがにできなくてな」


「君のことだから、そんなことだろうと思ったよ。今日はどうする? このまま一度ホテルで休むかい?」


 グレイアムの目がアビゲイルへと向けられる。

 どうする? という意味の込められた視線に、こくりと頷いた。

 体力作りが功を奏したのか、はたまた初めての旅行に興奮しているからか、あまり疲れを感じてはいない。

 どうせならこのまま行ったほうがいいだろうと頷いたのだが、グレイアムはそれを汲み取ってくれた。


「エイベル、荷物を頼んだ。少し見て回ろうと思ってたんだ。シリル、案内頼めるか?」


「もちろんだとも! ここら辺で人気なパティスリーにでも行こうか。個室を使えるところがあるんだ」


 確かに詳しい話をするのなら、人の目がないところのほうがいいだろう。

 シリルからの提案をありがたく受け入れ、アビゲイルたちは港にあるパティスリーへと向かった。


「…………わぁ!」


 そこはたくさんの女性客であふれかえっていた。

 真っ赤な絨毯に真っ白なテーブルや椅子がよく映える。

 店内も一階と二階、さらにはテラス席まであるがどこもかしこも女性客で溢れていた。

 彼女たちはこぞって美味しそうなケーキを食べながらおしゃべりに精を出している。

 そんな中をずんずんと進むシリルに気づき、女性たちが黄色い声を上げた。


「シリル様よ!」


「ここのパティスリーによくいらっしゃるって聞いてたけれど、まさか会えるなんて!」


 人気者なんだなと、女性に手を振り笑顔で答えるシリルの後ろ姿を見つめる。

 そんな彼は近くにいた従業員に目配せすると、さっさと奥の方へと向かう。

 ひっそりと存在しているドアの前へと向かうと、懐から鍵を取り出し中へと入る。

 アビゲイルたちもついていけば、そこは長く薄暗い廊下だった。


「表はあんな感じだけれど、中に入れば人と顔をあわせることはないよ。誰かが使っているときは、あのドアの前にガードマンが立つんだ。鍵を持っている人間も限られているから、誰かに聞かれることはないよ」


 まるで秘密基地のようだと、アビゲイルはキョロキョロとあたりを見回す。

 いつぞや公爵家で読んだ物語に、こんな場所が出てきた。

 スパイとして活動している主人公は、時折こんなところに入って仲間たちに報告するのだ。

 まるで物語の中に入り込んだかのようで、どこかワクワクしてしまう。

 長い廊下を進みきった先に、またしても小さな扉がある。

 シリルがさきほどとは違う鍵を使い扉を開け、中へと招待してくれた。


「…………わ、あっ!」


「中のものはお好きに食べていただいて構いませんよ」


 中はそこまで広くはないものの、ふかふかそうなソファにローテーブルが置いてあり、五、六人程度なら談笑できそうだ。

 さらにはそのテーブルの上にたくさんのケーキが置かれており、アビゲイルの瞳はキラキラと輝き出す。

 さきほど表で見た時に女性たちが食べていたものだ。

 クリームに覆われたいちごのケーキに、フルーツがふんだんに使われたタルト。

 かわいらしい形のクッキーに、色鮮やかなマカロン。

 想像するだけで頬が落ちそうだと両頬を押さえていると、扉が二回ノックされた。

 シリルが顔を出しすぐに戻れば、彼の手には紅茶とお酒が乗ったトレーが握られていた。


「お酒は飲むかい?」


「いらない」


「君はいつもそうだね。レディはいかがです?」


 アビゲイルは慌てて頭を振った。

 残念ながら生まれてこのかたお酒なんて飲んだことがない。

 どうなるかわからないのに、初対面の人の前で口にするのは憚られた。

 シリルは少しだけ残念そうにしつつも紅茶を三人分用意し、ソファへ座るよう諭してくれる。


「それにしてもすごいな。ここは一体どうなっているんだ?」


「表が騒がしければ騒がしいだけ、いい目隠しになるのさ。人気パティスリーなら、入ったところで変に疑われることはないだろう?」


 確かに表があれだけ賑わっている裏で、こんな場所があるなんて誰が思うだろうか?

 いい意味で隠れみのになっているようで、ここを使用する人は多いという。


「もちろん、金額がそれなりにかかるから、ここを使うのは貴族か……はたまたあくどいことしてお金稼ぎしているような連中ばかりだけれどね」


「なるほど関わり会いたくないな」


 グレイアムのそんな感想にも笑顔を返したシリルは、紅茶で喉を潤しつつもそっと口を開いた。


「それで? 君たちはなんのようでこのフェンツェルまでやってきたんだい?」

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